もうこんな歳(どんな歳?)

30代半ばで化学物質過敏症を自覚。以来、過敏症の症状はありつつも、病院には行かず、普通に生活できています。

安堵した一言

2022-04-01 16:02:21 | 日記
母が交通事故で入院手術してから(いつから?)、ずっと母の病院の付き添い。

その間、手術したり、救急車で運ばれたり、入院したり、入院したり、入院したり。。。


今一番心配なのは糖尿病。

一時、体内のインシュリンが分泌しない糖尿病に移行しましたが、現在は少しは出ているようです。

必要以上食べてはいけない、特に大好きな果物はダメ、薬やインシュリンを忘れてはいけない、運動しなければいけない。。。

いつもそう言われていました。

私の事ではないけどネガティブな私には、辛い事ばかり。

母はけっこうお気楽♪(こっそり食べているので)

そんな中、病院を変わる事になりました。

系列の病院で糖尿病のスペシャリストの先生がいらっしゃるとか。

最初の診察でした。

「食べたらいけないと言われているでしょ。でも食べていいのよ。」と言われた言葉に力が抜けました。

これまで鬼のように母に接していた自分の鎧を脱いでいいのだと。

その一言に涙が出ました。

「今は良いお薬も沢山あります。まだまだ試していない薬もあるようだし、やり方もいろいろあるので、やっていきましょう」とも。

そういうお医者さんに巡り合えて良かったです。



p.s.
血糖値計測も自分の指を傷つけないでよい、新しい計器になりました。
この計器については、使えないようなので、見に行かないと。
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父親の言葉

2022-04-01 12:32:23 | 日記
父親の少年時代は戦争中でした(私の年代がわかる?笑)。

家の事情で学校に行けなかった父は、当時日本領だった満州に行って働きながら勉強をしていました。

戦況が悪化して、ロシア軍が攻めてくるという噂が流れ、集団で日本に戻る事になったそうです。

女子は髪を切り男装し顔にわざと炭を塗って集団の真ん中にして守りながら戻ってきたそうです。

その話は私達にと、孫達にと数回しか聞かされませんでした。

父は何とか日本に戻ってくる事ができました。

当時の悲惨な話は何度も聞かされました。

生前私達に「お前たちは幸せぞ」と。

美味しい物を食べたら嬉しい事があると、「今日はほんなこて良かったぞ」と口に出して言っていたのをいつも笑って見てました。


かの地の人達にも、美味しい物を食べて、幸せと思う日がきますように。

日々祈ります。
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