『日本沈没』 小松左京 (小学館文庫)
『日本沈没第二部』 小松左京+谷甲州 (小学館文庫)
小松左京の日本沈没を頭から第二部まで続けて読んでみた。
日本沈没(無印)を読んだのは中学生ぐらいで、もう忘却の彼方なのだが、読み返してよかった。
当時は『復活の日』や『日本アパッチ族』よりも面白くない印象だったのだけど、これは現代においても読む価値のある名作。古典ではなく、今に生きている作品である。
日本沈没(無印)を読んで一番驚いたのが、日本沈没という天変地異を科学的、破滅パニック的に描くだけではなく、政治的、経済的な面にまで踏み込んで、日本という民族を描いていたことだろう。
当時の首相や影の実力者のような人物も出てくるが、彼らは私利私欲に走るのではなく、日本という国の維持のために命をかける。とはいっても、それが自分勝手な“日本”であるということは非難されてもしかたが無いかも。
さて、第二部では、日本列島という国土が消失しても、日本という国家は継続しており、国民はニューギニア、南米、オーストラリア、ロシアといった世界各地に入植している。国家の根幹である税金はどこから来ているのかというのが不思議なのだが、これは第一部で国家の財産を必死に国外へ持ち出したおかげということか。
世界各国の入植地では、風土や現地住民の気質から、いろいろな問題や確執が発生する。その原因や対応から日本人の性格付けや、日本人であるということはどういうことかということが浮き彫りにされていく。
農耕民族である日本人が、国土を失ったとき、日本人であり続けることはできるのか、日本人であり続けることに意味があるのか。日本人は新たな国土を手に入れるのか、世界市民として生まれ変わるのか。この問いかけには、世界を股にかける商社マンも、ガラパゴス市場に生きる技術者も、深く考えさせられるのではないだろうか。
そして、日本沈没がさらなる世界的危機の前触れであることが判明したとき、日本人は日本人としてどうするべきなのか……。その先は日本沈没第三部という噂のある『果しなき流れの果に』でどうぞ(笑)
さて、不思議なことに日本沈没では“日本人とは”をメインテーマにし、第二部のラストシーンでは君が代まで流れるのに、天皇の影がまったく薄い。これはいろいろ取り様があるのだろうけれど、さすがに書かれなかったことをあれこれ言うのもなんなので、省略。
それで、個人的にどう思うのかと聞かれれば……。ここで描かれている日本人像が、早くも壊れつつあるような気がする。自己責任とか新自由主義とか、やっぱり日本人には合わないよねということか。60年代から80年代の日本では、悪しき横並びと言われようとも、資本主義的社会主義みたいな平等主義が社会全体の底上げを行っていたことは確かで、そこに対する信頼が勤勉で真面目な日本人というものを作っていたのではないだろうか。20年後くらいには、この作品の日本人像が鼻で笑われるような日が来るかもしれない。良いとか悪いとかではなくてね。