オールドヨットマンの残日録・ZANJITSUROKU

相模湾に育てられて60余年、ヨットレースや仲間との思い出を大切に、これからの日々を健康で明るく楽しく、絵日記に綴ろう。

美女を囲む酔いどれ船乗りの会・忘年会

2016-12-30 22:28:13 | 日記

 12月28日今年の仕事納め、仲良しグループの忘年会で今年の呑み納めです。
 「HA●Aちゃんを囲む酔いどれ船乗りの会」メンバーが浜松町に集結しました。

 私もこの日で仕事納め、解放された気分です。 この歳まで健康で好きな仕事ができることに感謝しています。
 一人飛入り参加の方がいました。 油壺の「ア●レレ」のオーナーで、今の仕事仲間のKW島さんです。
 ケンノスケカップなどで皆会っているので、何の問題もありません。

 

 話の内容は、いつもと変りはありません。
 呑みながら、今年もよくよく呑んだ反省とか、来年の計画などを話していると元気が沸いてきます。

 年明けは5日からまた仕事、安全第一・健康第一で普通にガンバローと思います。
 今年1年、このサイトにお立寄りいただきありがとうございました。。
 皆様、よいお年をお迎えください。


恒例のチームの総会・忘年会

2016-12-24 18:04:21 | 日記

 12月23日(金)天皇誕生日、年末恒例の我らのチームの総会・忘年会が開催されました。
 福島、会津喜多方からも2名、いつものように参加です。

 例年、船を上架して船底をきれいにし、船内も大掃除をしてから、おお風呂~宴会へと移っていくのですが、前日の低気圧に伴う前線の通過で大西が吹き荒れているので上架は中止することにしました。

 昼少し前、江の島着、すでに船上で小宴会が始まっています。 遅れをとってはならない、とばかりにビールをいただきます。 青空の下でいただくビール、古き良き仲間、近況を話し合います。 喜多方の弥平選手は青空がうれしいらしい、聞けば会津方面は雪雲でずっと青空はないそうです。
 M編集長の差し入れのお酒もいただきます。



 頃合を見計らってお風呂に向います。
 大船・富士見町の「野田の湯」、昔むかし、独身寮が近くにあり、多くのヨット部員が住んでいたころから40数年通い続けています。 野田の湯のおばちゃんといっしょにパチリと1枚、おばちゃんいわく「ヨット部さんがウチのいちばん古いお客さんだもの」。ここの貸しロッカーにはヨット部の石鹸・シャンプー・髭剃りなど一式そろっています。



 お風呂から出たらすぐに乾杯です。 すぐ近くのこれまた40数年通い続けている「成ちゃん」、ご夫妻が温かく迎えてくれます。 「カンパァ~ィ」・・・。
 乾杯直後、総務・会計担当のヨセフからこの1年の会計報告がありますが、1~2分で終了です。
 いつものクルージングの話、3月の温泉旅行の計画など、いつもの顔ぶれなのに話は尽きません。



 倒したお銚子は60数本、いやはやよく呑む人たちです。
 福島組ほか江の島に戻って船に泊まる人もいて、めでたく今年の忘年会がお開きになりました。

 江の島から「野田の湯」そして「成ちゃん」、このゴールデンコースがいつまでも続きますように。



MAUPITIオーナー 岩田禎夫さんの海上お別れ会

2016-12-18 21:36:23 | 日記

 12月17日土曜日、岩田禎夫さんの海上お別れ会が相模湾・七里ガ浜沖で行われました。
 10月の末に亡くなった岩田さんを、海の仲間が集まり送ろうというもので20艇を超えるヨットが集結しました。



 ご存知のように岩田さんは、40数年にわたりマスターズをはじめプロゴルフの解説をされ、ジャック・ニクラウスやマスターズの会長からも表彰された日本のゴルフ解説の第一人者で、ゴルフ関係の方々も参加されました。

 10時に江の島のバースでお別れ会がはじまりました。
 10時半に出港、七里ガ浜沖のポイントを目指します。相模湾は微風・快晴、雪を頂いた富士山が見えます。
 11時少し前、遺影を掲げたMAUPITIの回りを整列して反時計回りで回ります。EYC旗を半旗で掲げた我々の艇が先導し、コンテッサ→月光→以下参加艇が続き、11時のフォグホーンを合図にコンテッサから順に遺影の前でホーンを鳴らして献杯、各艇が続きます。
 11時半、合図とともに全艇が献花・散骨でご冥福を祈りました。




 江の島に戻ってクラブハウス2階でお清めの会が始まります。
 盟友のコンテッサオーナーのIS原さんの弔辞でスタート、あちらこちらで岩田さんの思い出話の輪ができました。
 私は岩田さんが好きだったイタリアワインをいただきながら多くの人たちと思い出を話しました。



 4年前、「マスターズ 栄光と喝采の日々」という本を岩田さんが執筆、出版記念のお祝いが催され、私たちも末席に参加させていただきましたが、著名なプロゴルファーが多く参加していたのには今更ながら驚いたものです。
 その頃から岩田さんは、自分の艇がレース中心のためか我々の艇に何度も来てくれて、サンセットクルーズを楽しんだり、「オイ、ここのニスはいつ塗るんだ」などお叱りをいただいたり・・・・。
 その頃撮った岩田さんとのツーショットが私の宝物になりました。   -合 掌-



 

鎌倉高校野球部OB会紅白戦

2016-12-11 21:43:12 | 日記

 12月10日の土曜日、母校野球部のOB会があり、OBの紅白戦が行われました。
 もうすぐ創部70周年、ここでOBの結束を再確認して70周年を盛り上げ、甲子園を目指す現役高校生たちを今まで以上に応援していこうという主旨で企画されました。

 OBと一口に言っても、平成の卒業だけでも28代いるわけで、私たちの年代は化石ものです。 それでも私たちより先輩も多く、初代監督も元気に参加されました。

 今回、同期のYM崎聖一君(以下。聖ちゃん)と一緒に参加です。聖ちゃんとは中学~高校の野球部仲間です。
 T芝を定年退職してから野球を続け、シニア野球(60歳以上)の全国大会に出場して2年続けて日本一になったツワモノでポジションはピッチャーです。



 当日、集まったのは総勢50名、女子マネージャのOGも数名います。
 早速、紅白に分けられて試合が始まります。使用球は軟式、審判やグランド整備、スコアボードなどは現役高校生が担当してくれます。



 私は一応白組です。
 平成卒のメンバーが多い中、聖ちゃんは紅組の先発ピッチャーで、年齢が40歳以上離れている白組を相手に、何と3イニング1失点の好投を見せてくれました。 「ナイスP」、ヤンヤの喝采です。

 私は代打出場でショートゴロ、でも前に飛んだだけでもよかったヨカッタ。

 紅白戦終了後はみんなで片付け・グランド整備、そして腰越の「かぎや」で懇親会です。
 昔と今の練習方法の違いや強い学校の話、昔の戦歴などなど、話は尽きません。
 70周年をどう迎えるか、現役高校生をどう支援していくか、なども話合われ今後の結束を誓いました。



 遠い遠い昔、10代のときに、たった3年間過ごしただけなのに、歳も離れているのに、考えてみれば不思議なものです。


今年の忘年会が始まりました。

2016-12-04 14:14:50 | 日記

 例年、11月の末から忘年会が始まります。 12月に入ると忙しい人が多く、日程調整が難しいからなんです。
 先ずは28日月曜日にはN社マーケティング部時代の仲間たち14人が集まりました。
 そして30日には「ケンノスケカップレース」の忘年会です。
 毎年5月の土曜日に行われるレースの参加者たちが集まります。 この会のために名古屋から参加する人も。



 いつものとおりケンノスケさんの挨拶でスタート、ケンノスケさんは各テーブルを回って大忙しです。
 私はJ-SAFルール委員で国際審判のH葉さんご夫妻の隣に座りました。
 お茶の「高遠合宿」ではたいへんお世話になり、その仲間たちがご夫妻を囲みました。



 今年で21回のこのレース、ケンノスケさんからは今の目標として25回ぐらいまでやりたい、とのご発言があり、来年の日程も発表されました。
 25回と言わず、ずっと続けていきたいと思っています。