オールドヨットマンの残日録・ZANJITSUROKU

相模湾に育てられて60余年、ヨットレースや仲間との思い出を大切に、これからの日々を健康で明るく楽しく、絵日記に綴ろう。

11月最後の日曜日

2012-11-25 18:41:01 | 日記
新しいチャンネル

朝からスッキリと晴れたいいお天気、一昨日は雨の中の乗船会だったので船内乾燥・整理のため江の島に向かう。(一昨日の模様はドリームピックのウクレレ日記を参照) 江の島に向かって自転車をジーコジーコとこいでいると、すでに到着していた副会長
のM原選手よりメール、マウプティのオーナーIW田さんもお見えになっていると言う。スピートを上げて江の島に到着。ヨセフが燃料を補給してくれていた。ヨセフが見送る中、IW田さん、M原副会長、私の3人で出港、目指すは葉山沖、葉山マリーナの
クラブレース観戦、仲間のK山選手が江の島の艇で参戦している。
IW田さんは元祖太陽族のヨットマン、マウプティのオーナーであり、ゴルフの解説者として活躍されている。特にマスターズに
関してはIW田さんの右に出る人はいない。今春「マスターズ・栄光と喝采の日々」を出版され、私も出版記念パーティの末席に参加させていただき、多くのプロゴルファーと話をする機会をいただいた。 西に雪を頂いた富士を見ながらのんびりとレースを
観戦したが、微風のため上位5艇くらいのフィニッシュを観て帰港、江の島洲鼻通りのイタリアンの店に向かった。イタリアンヌーボーの赤を呑みながら、古き良き時代から最近までのヨット談義、ゴルフ界の逸話・裏話、プロゴルファーの人柄など、時の経つのを忘れるほどでありました。これからも兄弟船で、また、元旦初乗りの約束をしてお開きとあいなりました。 今日もいい一日になりました。 感謝。lue">

兄弟船とナビスコカップ

2012-11-12 11:47:41 | 日記


江の島の兄弟船「マウプティ」、彼のO蔭選手とは40年近いお付き合いになるのか。元々は油壷の「メルジーネ」という恐怖の船のクルーで武勇伝は山ほど、それは別の機会にするとして、その後はワントンの「フォロー・ザ・サン」、そして現在の船に落ち着き、とてもいい味を出している。そのO蔭兄がEYCのクラブレース「第1回ナビスコカップ」の運営をやる、という話を聞き、お手伝いをすることにした。前の週に打合せに行ったところクルーの皆さんで整備していた。打合せのつもりが、お昼のビール、焼酎となってすっかりご馳走になった。(いつものことか)翌週のレース本番は、私がマーク打ちのインフレータブルでO蔭
選手が本部船で指揮、VHFで交信しながら2レースを成立させた。我々のチームからはレース・運営で7名が参加した。詳細は我等のチームの総務部長ヨセフのブログ「ドリームピックのウクレレ日記」をご覧ください。レース艇の走りは見ているだけでも楽しいものです。

能崎船長の散骨・偲ぶ会@下田

2012-11-04 21:26:42 | 日記
新しいチャンネル
「そらとぶあひる」で世界一周、60ft「かもめとぶ」で海洋計画を主宰、林賢之輔ヨット塾の講師などをされていた能崎知文さんの散骨・偲ぶ会が11月4日伊豆下田でおこなわれた。先月の4日、台風を避けて八丈島に入港し、一息入れたあと船の確認に行き、堤防を超えてきた大波にもっていかれた、という。
能崎さんの生前に交流のあった仲間や教え子たちが下田ボートサービスに集結、7艇のヨット、1艇のプレスボートに分乗し下田港外にて散骨、その後、下田東急ホテルで偲ぶ会となった。能崎さんの海への想い、操船技術、熱心な指導、人柄などを惜しむ声やエピソードがあちらこちらから聞こえてきた。
能崎さんが環境省の仕事で不在の折、不肖・私が「林賢之輔ヨット塾」の講師の代役を務めさせていただいた直後だけに、ほんとうに驚いた。1944年生まれは私と同い年、心からご冥福をお祈りします。

下田は私にとっても忘れられない港だ。私が初めて36ftの新艇のクルーになった時、シェークダウンを兼ねて第1回黒潮南進レースのスタートを観に下田に入港した。当時の最新鋭のレース艇が一堂に集まり、下田をスタートして八丈島へ向かった。美しいニス塗りのハルをヒールさせ、真っ赤な船底を見せて帆走する新艇「飛車角Ⅱ」、吹けば吹くほどいいらしい、という評判に武者震いするほど興奮したのを覚えている。レースの方は大荒れとなり、「天城」1艇だけが小網代にフィニッシュした。聞けば、クルー全員で軍歌を歌いながら嵐の夜を乗り切ったという。・・・。下田の湾口でお別れの最中、そんなことを思い出していたら涙が溢れてきてしまった・・・。 
思えば遠くへきたものだ。