10月5日土曜日、武村洋一さん(85)のお別れ会がありました。
会場はシーボニアプールサイド、清らかな晴天の下、お別れ会に先立って仲間の船による散骨も。
「エスビースポーツクラブ事務局長」「ニッポンチャレンジ」発足メンバー、日本セーリング連盟事務局長などの要職を務められたが、私が初めて武村さんを知ったのは、もう50年くらい前の「相模湾ポイントレース」、私がヨットレースに憧れていろいろな艇に潜り込んで参加していたころ、「ミスサンバード」の舵を取っているのを遠くから見ていた時、先輩クルー・オーナーから「あのスキッパーが武村さん」「あの艇が飛車角、スキッパーは周東さん」「あれが天城、あれが足柄、あれがはやまる、あれがくろしお・千葉大・・・・・。」などなど教えていただいた時でした。
先輩たちの話を聞きながら強いあこがれとレースへの衝動に胸が高鳴ったものでした。
個人的には、サンバードチームが「香港~マニラレース」に参加するための回航の記事を「舵誌」で読んだり、故渡邊タクさんを通じてSBスポーツクラブであいさつをしたりでしたが、セーリング連盟事務局長をされていたときにいろいろと話をさせていただく機会があり、その後はボートショーでお目にかかる度に冗談も交えてたのしく過ごしたものでした、もちろん著書「古い旅券」も買い求めて読ませていただきました。
お別れ会のスピーチの中で、「月光チームの故並木さんのことを、おい、並木! と呼び捨てにできるただ一人の人でした」と紹介されていましたが、時代は変わっていくんだなぁ、と感じたものです。
ご冥福をお祈りします。