オールドヨットマンの残日録・ZANJITSUROKU

相模湾に育てられて60余年、ヨットレースや仲間との思い出を大切に、これからの日々を健康で明るく楽しく、絵日記に綴ろう。

横浜ベイサイドマリーナを楽しむ

2020-08-30 11:02:08 | 日記
 今年の夏ももう終わりです。
 事情があって1ケ月ベイサイドに引っ越してきている我らの艇、来週5日土曜日には江の島に戻る予定です。
 回航を前に艇のチェックを兼ねて、少しのんびりしたい思いベイサイドにやってきました。



 その前に、何かおつまみでもと新杉田駅下スーパーでお買い物をしましたが、旨そうな「海鞘」(ほや)を発見、見た途端に「O蔭兄」の顔が浮かび魚屋さんに捌いてもらいました。今日の目玉はコレだっ、ていう感じです。

 マリーナに着くとクレーン脇で「Leia」が上架して船底掃除・塗装の準備をしていました。
 さっそく休憩と称してウェストハウス2階で乾杯です。
 今年も海水温度が高く「藻」の成長が早く各艇ともテコズッテいるようです。
 私たちの艇も、先週のM副会長から「船底ビッシリの藻でエンジン2000回転で4kt」とのレポートがありました。
 チェックしてみるとスターボードサイド(右舷)船尾に直径1メートルはあろうかという藻の玉が発生していて、エンジンで走ってみると2200回転で3.9ktしかでません。
 これでは江の島まで30数マイル6時間の航海はムリでしょ、ということになりフロントに上架の相談にいきました。
 上架して1時間程度の水洗い、9月5日回航予定日の10時30分に予約がとれました。親切なフロントのお姉さんありがとうございます。

 回航への見通しがたっていよいよ「のんびりタイム」です。
 以下は写真でご想像ください。



 でも、来週は台風が気になります。

40年前の食料リスト

2020-08-15 22:05:19 | 日記
 先日、7月23日(海の日)、海の仲間でありプロのヨットマン「サトちゃん」の散骨が油壷で行われたのは小欄でご紹介しましたが・・・。
 その折、S悟空のオーナーO河原さん(以下、大ちゃん)から古い古いメモを手渡しされました。
 1980年・第5回「沖縄~東京ヨットレース」の食料買い出しメモです。
 当時、大ちゃんはまだ医学部の学生で、サトちゃんの紹介で一緒に乗船することになったのですが、レース食料の買い出しを彼に依頼した時のメモを40年間も大切に持っていて、私に返してくれたのです。
 見れば確かに私の書いたものでした。

 内容は、レースを6日間として、一日一回は米のメシを炊いて食べる、おかずはカレー・シチュー・豚汁など、その他はパン・缶詰スープ、うどんなど、インスタント食品は時化たときだけとして、あとはビスケット・クラッカー・ハムベーコン・ソーセージなどなどエネルギーになるものが中心、というもので「日産マリーナ東海」のレターヘッド8枚に書いてあります。 うんうん、少しは思い出したような気もするなぁ・・・。



 その1980年・第5回「沖縄~東京ヨットレース」で私たちは総合優勝しました。
 このことは彼のヨットライフに大きなインパクトになったようです。(もちろん私にも、オーナー・クルー全員にも)
 その後、彼とは一緒に乗ることもなく、やがて彼は医者になり大病院の副院長になり、現在は東京・日本橋に自身の病院を構えていて、彼なりのヨットライフを続けていたようです。 その彼も60歳を過ぎましたが、サトちゃんがまた二人を引き会わせてくれたのです。



 このことは私にとって感動を通り越して、何と表現したらいいのかわかりません。
 40年前のこと、その後のお互いのヨットライフのこと、「サトちゃん」のこと、たくさんの話をしましたね。
 彼が持ってきてくれた当時のスポーツ雑誌にレースの特集が掲載されていました。
  下の写真、左がデザイナーのK原さん、真ん中がサトちゃん、右が私、レース中の食事の支度をしているようです。



 私はいつも寝ながらラジオを聴いているのですが、ある朝の健康番組で「今週のドクターは日本橋〇〇医院のO河原D先生です」と言ったので思わず飛び起きてしまいました。 聞くところによるとその道の名医で通っているとのことでした。 あの時も驚いたなぁ。

 あの時のレースのことは忘れませんね、全艇の南にいて、朝日が水平線から登る中、風が120°まで振れて大ちゃんと二人でタック。南からの風を誰よりもはやくつかんで北上して優勝、勝負を決めたタックでした。

 思えば遠くへ来たもんだ・・・・・。


横浜ベイサイドマリーナへ回航

2020-08-02 21:52:30 | 日記
 この夏、事情があって1:ケ月ほど横浜ベイサイドマリーナに行くことにしました。 
 8月1日(土)我らのメンバーが集合して9時に出港しました。 今回は兄弟船「Mプティ」と行動をともにします。
 うれしいことに、見送りにきてくれたナイスガイがいます。
 ↓ この写真です。


 江の島を後にまずは「三崎港」へ向かいます。 三崎までが相模湾、三崎の向こうは浦賀水道~東京湾です。



 先週、「サトちゃん」の散骨をした水域にさしかかり、サトちゃんが好きだった「ボンベイサファイア」で献杯、梅雨明けもあって我々はトニック割をいただきました。



 三崎港通過。


 剣崎沖通過。


 Mプティとは離れずにずっと一緒です。


 観音崎灯台を通過、ここで我らの会長は福島のメンバーに電話しました。 「順調に走っている、ダイジョブだ、コロナの今はガマンのとき、また乗りに来られる日がくるから・・・・」、と。


 そうこうするうちに午後3時ベイサイドマリーナに入港、ここでは待っている人たちがいます。 いきなり飲み会の写真でスミマセン。



 盟友なのか悪友なのかよくわかりませんがO蔭兄が待っていました。
 ベイサイドをホームポートとする「レイア」「Mプティ」それと我らのチーム揃って久しぶりの宴会になりました。
 ベイサイド・イーストハウス2階のテラスには、T川姐さんの手料理が並んでいます。
 姐さんは午前中は仕事だったにもかかわらず、午後イチでお隣の太田市場に行き「ヒラマサ」を一本と「平貝」を手に入れて捌いてくれたのです。 加えて手作りの「ポテサラ」「焼豚」と念の入れようです。 いつもながら姐さんには感謝です。



 ここで終わるわけにはいきません、この後Mプティのデッキ上に移りました。



 梅雨も明けた、月もキレイだ。 
 「レイア」の誰かが言いました、「何でこんなに仲がいいの?」・・・
 「レースをすればわかるよ」 「一緒に雨・風に叩かれればわかるよ」 「それにね、40年50年という時間が必要なの」、なんちゃってネ。
 今年の夏はベイサイドを楽しもうと思います。