コジャノメと不明な昆虫 2013年05月07日 00時00分05秒 | 画像 ニセアカシアの散策路にいたコジャノメ(シジミチョウの仲間か?)と不明な昆虫がいました。大変長い触覚を持ち、ふわふわ飛んでいました。体長の5倍はありそうな触覚です。始めてみました。 不思議な昆虫です。あまりにも長い触覚を持っています。
怠け者の意味(3回シリーズその3) 2013年05月07日 00時00分01秒 | 緑陰随想 人には怠けているように見えても、種の保存にはこの「ゆっくり」が役に立ち、外敵から見つからないように、えさが少ないところでも生活が出来る等の進化を選択したための生き方であったと思える。因みに飼育員の保護の下で60年、野生では20年の寿命だそうである。 日本人が長寿な民族として生きていけるのは、晴耕雨読や悠々自適なる言葉が肯定的に使われ、むしろ憧れとしているところから見ると、自然のサイクルにうまく迎合する道をよかれとした古からの生活術かもしれない。怠けることが実はナマケモノの例のように、環境に同化することへの大切さを物語っているといえる。快適で便利な生活は自然のリズムに反し、抵抗しているようにも思えてくる。自然を征し、人工的に温度や湿度が一定にすることは確かに快適であろう。 しかし、四季の移り変わりを肌身で感じ、暑さには汗を流し、寒さには震える。殺生をせず、四季に採れる食物を取り、太陽が昇れば起床し、太陽が沈めば床につき、明かりを消し、夜更かししないといった生活。可能な限り電車やバスを使わずに徒歩で移動する。できる限り我慢し、文明の利器を使わずに生活することなどは、本来、高尚な理想的生活なのであって、卑屈になる必要はない。人為的に操作された環境が快適で便利な生活ではないのではないか。なぜにこれほどまでに働くことへの執着と閉塞感、利益追求のための効果効率を追求し、限りない欲望と大量消費、利己的で物欲という社会になってしまったのか、ギスギスとした近所付き合いや、気持ちに余裕のない日常生活はここらでスイッチの切り替えが必要と思う。そのスイッチのキーワードは怠け者である。(このシリーズ最終回です)