コアジサシのカップルが出来ると繁殖行為が見られます。これも様々なパターンがあるようです。まずは成功した行為です。
我が国では香料が日常的に、焚香料や化粧品・調味料にはさほど深いつながりを持ってこなかった。その理由として、腐敗や抗菌への利用が酢や塩や乳酸菌の力を利用してきたし、流通が発達し、素材のうまさを享受できたため、香料に頼らなくて済んだ。神道の影響があり、神社には無節の檜材が多用され、檜の清涼感は清浄にも通じ、清浄にすることは禊ぎ(みそぎ)の行為が示すように、純粋なもの、色が付かない、無臭、素材そのもの、を最上としてきたのであろうか。
「抹香臭い」との表現があるように、あまり良いことには使われず、陰気な場面や、僧侶のような善なる行いや雰囲気を暗に批判する表現であることも影響している。抹香とは、スターアニスと同じシキミ(モクレン科)の葉や皮を粉にした焼香に用いられる香のことである。日常生活の中で、強烈なにおいを発散する場面が比較的少なく、降雨による浄化や、開放的な家屋の構造が風通しを良くし、悪臭を室内に籠もらせない等の理由が考えられる。
その一方で、世界が熱望するシナモン、ナツメグ、グローブなどの香辛料への知識や興味が乏しい結果を生んだ。外国への旅行に門戸が開かれて、家族旅行や、ビジネスなどで海外へ行く機会が増え、我が国と異なる文化にふれ、香辛料や香料の世界が異なっていることに気づくのである。最近では路上で、七輪を使ってサンマを焼く光景は見ることがないが、するめを焼くにおいを毛嫌う外国人は多い。また、たばこの紫煙は喫煙家には至福に思えるが、嫌煙権を叫ぶ嫌煙家には伏流煙の健康被害の影響を無視できないとのことで、分煙化や迷惑条例までに発展している。例は悪いが、畜舎の近所に団地が出来、畜舎を追い出す住民パワーを見聞したこともある。においとの戦いであった。いずれ、強い香水など同様な動きが生まれるかもしれない。
においは文化であり、経験しないにおいに違和感を持つのは日本人ばかりではなく、来日した外国人も同様である。特にくさやの干物や、納豆、みそ、なれ寿司、等の発酵食品は、強烈なにおいが異なる食文化を際だたせる。日本人は魚くさいといわれたこともある。異文化との接触の難しさは、においの違いがネックになることも多い。(このシリーズ最終回です)