誕生した雛に捕ってきたえさを与える様子がうかがえます。雛の体長の半分ぐらいのえさです。
芭蕉たちはこの黒羽で14日間の長逗留をしている。黒羽藩城代家老、浄坊(法)寺桃雪とその弟桃翠が温かくもてなしてくれたことと、雨が多かったことによると考えられる。その浄法寺桃雪宅跡はすぐ近くにあり、「おくのほそ道」には入っていないがこの地で芭蕉が詠んだ句の句碑がある。
田や麦や中にも夏のほととぎす
山も庭に動きいるゝや夏座敷
黒羽にはこの他、多くの句碑があるらしい。修験光明寺跡には、役行者の高足駄に旅の無事を願って詠んだ次の句碑があるという。
夏山に足駄を拝む首途(かどで)哉
今日の旅は、芭蕉たちが歩いた時期とほぼ同じで、今朝もホトトギスが鳴いていたし、麦も熟れていた。「夏座敷」の句は桃雪宅に来た挨拶句である。宅の跡は植木が植えられ、紫色の石楠花が咲いていた。
雲巌寺(大田原市雲岩寺27、0287-57-0105)はさらに丘陵地帯を東にしばらく進んだ山中にある。バス便もあるようだが車なしではとても不便な所だ。芭蕉は「雲巌寺に杖を曳けば、人々友にいざなひ、若き人おほく道のほど打ちさはぎて、おぼえず彼の梺に到る」と書いているが、とてもそんな簡単な距離とは思えない。昔の人の健脚ぶりがよくわかる。我々は11時にここに着いた。ここは芭蕉の禅の師、仏頂和尚が庵を結んだ所である。山門の下には赤い橋がかかった川があり、一見して幽玄な風情を醸している。山の斜面に建てられた臨済宗の古刹は観光の寺ではないと書かれており、清潔、静寂に包まれ好ましい。芭蕉はここで
木啄も庵はやぶらず夏木立
と詠んでおり、句碑がある。仏頂和尚への敬意が感じられる。(次回へ続きます)