生活の周りには多くの縮小された情報が散乱している。実在の物体や、情景、景観、物事の考え方や行動等伝達を目的とする場合には地図や写真やカタログなどを用いている。
コミュニケーションの殆どはこうした情報の縮小物を利用する。世界のグローバル化時代を迎え、現実と遊離しても、忠実に再現するビデオや写真は、視野を広げることばかりではなく発掘や冒険、旅行などへ誘い、興味をかき立てるには都合の良い格好なメディアである。通常では当たり前と思っていても、これら縮小されたメディアは全てを表しているわけではなく、人工的に加工された情報であり、我々は無意識のうちに現実と同化させている。
何故に縮小というテーマを取り上げたかといえば、最近破綻した投資詐欺事件があったことによる。現実との違いを認識できるかというと、むしろ仮想の世界が先入観として定着することにより、誤った情報を鵜飲みし、あたかも実際にあるかのように記憶し、現実をゆがめているのではないかという疑念をもつ必要がある。金子みすずの詩の中で、「昼のお星は見えねども、見えぬものでもあるんだよ」と同様に、縮小されることにより、見えなくなってしまうことの危うさである。
辞書によると縮小とは、地図や設計図などの縮図をいう場合と、社会や人生などの縮図をいう。反対語である拡大との間に、ある基準点が置かれている。地図の場合には、原寸を基準にしている。カメラのレンズを通して映し出された写真は、デジタルカメラが殆どで、編集用ソフトを使うことによって、容易に加工が可能であるため、基準を設けるわけにはいかず、真実は隠されたままである。トリミングをすることや印刷条件を変えることによって、縮小も拡大も自在である。芸術性や、意外性の追求によって、また、撮影のテクニックやフィルターの効果、撮影条件の選択等によって、実体とかけ離れた表現も可能である。例えば、店の門構えやショーウインドウの写真を示したとしても、同様な店は他にもあるし、昼間と夜間では見え方も異なる。意外性ではスカイツリーを手のひらに載せた写真等もおもしろい。(次回へ続きます)