鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

3G散歩(2)日光、黒羽、那須 その3

2013年06月16日 00時00分01秒 | 旅行
3G散歩(2)日光、黒羽、那須 その3

(3)黒羽
 5月31日。金曜日。今日は雲一つない快晴である。4時半、土手に棲むキジの「ケーン、ケーン」と鳴く鋭い声で目が覚める。サッと朝風呂を浴びて、朝食の後、8時過ぎにホテルを出る。
那須神社(金丸八幡宮、大田原市南金丸1628、0287-22-3281)はそこから車で15分ばかりの所だ。ここは4世紀の仁徳天皇時代の創建とされ、延暦年間(782-806)に坂上田村麻呂が東征に来た折、宇佐八幡宮の分霊を勧請し、金丸八幡宮としたという。おくのほそ道に「与一扇の的を射し時、「別しては我国氏神正八まん」とちかひしも此神社にて侍と聞けば、感應しきりに覚えられる」とある。長い参道を持つ神社は成程、立派である。少し剥落しているが美しい色彩で飾られた門構えも堂々としていて、片田舎の神社とは思えない。。参道の石橋には濡れた苔ですべらないよう筵が敷きつめられていた。人気のない静かな神社は雰囲気があった。

 そこから車で20分ほどのところにある「黒羽芭蕉の舘」と浄法寺桃雪邸跡に行く。ここはかつての黒羽城の敷地で、那須神社から東に向かって行き、那珂川を越えた高台になっている所で、現在は城址公園に隣接する。芭蕉の舘(大田原市前田980-1、0287-54-4151)の前庭には馬に乗る芭蕉と歩く曽良の像、および曽良が詠んだ

   かさねとは八重撫子の名成るべし

という句を含む「おくのほそ道」の文学碑がある。芭蕉たちが那須野に入って農夫から馬を借りたときに、馬の後を追って走ってきた子供が二人いて、ひとりは「かさね」というやさしい名の少女だったため、曽良が一句詠んだのである。館内にはとりたててこれというものは無いが、芭蕉たちの足跡がパネル展示されている。また、部屋続きで黒羽藩主大関家伝来の甲冑、刀剣などの資料展示もある。(次回へ続きます)