今年も会えたコチドリ、目のリングがいいですね!
同じ仕事を続けていると興味を失い、気乗りがせず、果たしてこの仕事が自分に向いているかどうか疑問に感じてくるときがある。いわゆる、スランプに陥ることがあり、継続することを諦めてしまう場合がある。誰しも経験することであるが、自分を責め、原因を十分に考えずに投げ出してしまう。あまり一般化してないため、知られていないが、物事の習熟といわれることとして、例えば、自転車を乗ることを考えてみると良い。
初めて乗る自転車は、誰しも簡単に乗れると思うが、それでも最初の内は、補助輪なるものを取り付けた、安定性がある自転車に乗る。当然、補助輪を付けると4輪となるため、倒れることはない。しかし、カーブを曲がると接地輪は3輪となり、スムーズには行かないが一応倒れることはない。
3輪の自転車もあるが、スピードが出ないし、本来の2輪の良さが得られない。補助輪を使う時期が過ぎると、いよいよ2輪となり、誰かに荷台を押さえてもらって、何度か練習をする。1週間も練習すれば何とか自力で補助輪無しで、安定した走りを体得できる。
その後が問題である。荷台を押さえて貰っているときは既にペダルに足が乗っていて、サドルに臀部が固定されているので、ハンドルの操作とペダルのこぎ方だけに注意すればスムーズに走ることが出来る。自転車にもよるが、どうも思った運転が出来ない。始めに乗るときのスピードの出し方、腰を下ろすタイミングが完全ではなく、発進できないのである。このときに運転を諦めてしまうと、それ以後自転車が乗れなくなる。ちょっとした原因であるが、物事の習熟はこんな所に隘路(分かれ目)がある。専門用語で言えばプラトー(学習の高原)という。
プラトーにはいると諦めが先に立ち、自分は適していないと判断しがちとなる。気分を変えて、うまくいったときのことを思い出し、こうすれば良かったと思い出す。自転車に乗れる人(指導者)に聴いてみるのが早道であるが、正しく教えてくれるかどうかはよく分からない。自転車については親にも教えることは出来るが、自分の子供となるとやさしく教えるより、返ってきつくしかり、子供を萎縮させてしまうことがある。的確な指導者を捜すしかない。(次回へ続きます)