メジロが連れてきたのか、四十雀も来ていました。
信頼関係は永遠ではない。食品にも賞味期限、消費期限があるように、多くの製品で、性能を保証する期間が設けられている。しかし保証期間は、販売者側にもその製品の持つ瑕疵担保責任がある。他方、購入者側には、本来マニュアルで表示される、取り扱いについては、その遵守が求められる。取引とは暗黙裡にそのことが、契約として存在する。クーリングオフという制度もあり、一定期間において契約を解除できる制度である。
人と人との間にも、契約が存在する。卑近な例は、物品の貸借や、金銭の授受である。最近の報道に連日登場する、高齢者をターゲットにした振込詐欺は、心痛める現象として、憂いを持つ一人である。人の善意を悪用し、ますますもっともらしい公務員や家族を語る演出でだます手口は、人として決して許される行為ではない。自衛することはもちろんであるが、人が持つ信頼関係を著しく阻害するばかりではなく、築いてきた社会のルールを根本から覆す卑劣な行為で、その撲滅には社会あげての喫緊の課題として対策を講じなければならない。
願いの最後の頼み先は、神様であるが、この一年を振り返ると、大病に侵されることなく、健康で、そこそこの生活が続けられたことへの感謝は家族も含め、おかげさまでという思いが強い。宗教心は多くの日本人とさして変わることはないが、神や仏に見守られていたことは、心の隅にはある。大掃除の一環で、神棚と仏壇は自分の仕事として行ったが、併せて感謝の誠を捧げたつもりである。
何枚もたまった天照皇大神宮もお札は、自宅では焼くわけにはいかず、初詣に行くときにもっていけばよいのであるが、初詣で入手したお札は各家庭ではどのように処分するのかということと、ふと思ったことは、お札も使用期間があるのかとの考えがよぎった。枚数がたまること自体が、普通ではないのかもしれない。お札ばかりではなく、お守りなどの同様なのであろうか、お墓にあげる卒塔婆についても、いつまでも置いておくものかどうかも分からないままでいる。卒塔婆は何のためかも含め、調べてみたい。
高齢化が進む中、永代供養や、国中に過疎化が進展しており、死後の世界観が変化し始め、宗教もアンタッチャブルな世界としていつまで存続するか、心のよりどころとしての根本的な問題が浮上した今年であった。