コガモをジーと見ていると結構いろいろな姿を見せてくれます。
地域により、母親の育った環境によって、正月に食される祝い膳には雑煮が供される。我が家は父親が群馬、母親は東京出身であったため、出所がわからない雑煮である。女房は大分出身であるが、醤油仕立てで、丸餅である。具材は茹でたささみ、サトイモ、小松菜、なると、ゆずの皮、三つ葉を散らす。丸餅は女房の実家からのものであったが、母親は特別養護老人ホームに入っているため、今では叔母が作って送ってくれる。
丸餅はまぶしておる取りもち粉(上新粉)をはらい落とす。粉がついているとかびが生えやすくなるためで、冷凍庫にパックに入れて保存すれば数か月は持つ。昔はのしもちであったが、近所の米屋に米穀通帳を持って買いに行かされ、長方形に切るのも子供ながらの仕事であった。固くなったのしもちは、大根を輪切りにしたものを包丁で湿らせて切った。食前に炭火を起こし、七輪に網をのせて人数分を焼き上げる。お櫃に入れて冷まさないようにしていた。七輪はすでに姿を消し、炭火との世界はすでに記憶から忘れ去っていたが、火鉢は庭のどこかにある。
物置を整理していたら、ごとくと火箸、炭入れが出てきたが、処分した。もはや家庭生活では無縁のものとなってしまった。真空パックの重ね餅、切り餅に至っては一年中スーパーマーケットで売っている。平素から、うどんやなべに入れて食されているからであろう。餅は祝い事にはつきものであったが、その文化も地方に限られるようになった。新築の住宅では建前えに餅を巻く習慣があった。最近ではめったにお目にかかることもなくなったが、地面に落ちた餅を拾い集めることは衛生的にもよくないのか、ポリ袋に入れられた駄菓子を撒いているのを見たのが最後であった。
古くからの習慣が、正月行事として残されているのは、職場が年末年始休暇があり、帰省することで出身地での正月を迎えるからなのであろう。正月の都心部は人口が著しく減り、交通量も激減する。民族の大移動が始まり、しばしの静寂が都心部に舞い戻る。出身地への帰省は、地域の人のつながりを深め、地域文化の伝承の場となる。何か再生の儀式にふさわしい機会が生まれるわけであるが、新たなる歳へのエネルギーの注入源は将に地域文化なのかもしれない。
雑煮は地域文化の表面に現れる一部なのであろうが、大いに食し、変わりつつある地域文化の再考に努めてほしいと思う次第である。