鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

年末の事故

2015年01月03日 00時00分01秒 | 提言

 大晦日の日に所用があり、山を切り開き、坂道が多い場所へ駐車した。車から降りたときに、ドアを閉めたが、少し強い力で閉めたところ、左手がドアと車体の間に挟まれ、親指の先端を負傷した。見る間に爪が青く変わった。このときは我慢できないほどの痛みは感じなかったため、所用を済ませ帰宅した。次第に痛みが強くなり、打撲と同じだと思って、サロンパスを貼って寝たが、夜中に何度も目が覚め、痛みは絶頂に達した。

 朝になって患部をみると、指は1.5倍に腫れあがり、爪全体が青色に変わっていた。相変わらず痛みがあり、ちょっと触っただけでも飛び上がる痛さだ。患部は熱を持ち、手の平全体や他の指も腫れていた。病院も年始には休みなので、時間が薬と思っているが、しばらくはこの状態が続くのであろう。

 注意が散漫になっていたことの原因であるが、車の駐車方向が坂道の下り方向に向かっていたため、ドアを閉めるときに力を入れすぎたのかも知れない。自家用車のドアに指を挟むことは今までにはなかったが、子供の時に、市営住宅に入っていたときに、鋼鉄製の玄関ドアに挟まれたことがあった。そのときの痛みはもう忘れてしまっているが、痛い想いをしたとの記憶がある。

 親指が使えないと大変不自由である。手の腹と他の指で物を掴む握力が違うためで、思うように掴めない。ボタンを扱うときに感じた。顔を洗うときは右手で行うが、何処かぎこちない。親指の持つ能力がこれほどまでに低下するのかと言うことである。日頃はさほど感じていないことが、いざ使えなくなることや、不幸にして欠損した場合は自分が感じる以上の不便さがあるであろう。

 サーカスで綱渡りを演じる方が、盲腸を取っただけで、バランスが取れなくなったという話を思い出した。話を聞いたときはそのようなことがあるのかと思っていたがいざ自分が、指を痛めただけで不自由さを感じるので、さもありなんと思う。

 年始めから醜聞をお聞かせして申し訳ないが、他山の石として聞いて頂きたい。障害者の多くが健常者にはわかり得ない不自由さとつらい思いをされている事への配慮を、もっとしていかなければならない。総ての人への平安を願うには、自らが体験したことを肝に銘じて、障害者の立場で物事を考える習慣を付けたいと思った次第である。