気持ちの上では丹頂鶴をと思いながら、手元にある写真はカワウだけです。
古くは旧暦の12月8日に歳神様の棚をおろして正月行事を終了する。これが事始めを意味していた。元旦から7日間を松の内(松飾りがある間)といっていたので、現在でも七草がゆを食べて一応の正月を終わりとしている。門松も先端の穂を残して取り去り、穂を1月中は玄関の地面に植えていた。
官庁では言葉だけが残ったためか、仕事始めが今日(1月5日)から始まる。組織の部局長などから年頭の挨拶を受け、関係先に年始回りに出かける。関係先も年始回りに出かけるため、不在のことが多いが、ご丁寧に新年ご挨拶との判を押した名刺を不在者の机に置いていく。年始回りが終わると、職場へ戻り、通常の仕事が始まる。
そう遠くない時代では、仕事を早じまいして、ささやかなお祝いを行っていたが、世間の目もあり、職場での飲酒については御法度となったために、自粛が強く叫ばれ、消滅した。通勤に自家用車を使っている場合は飲酒運転になるし、あまり表に出なかったが、不祥事もあったようである。
公務員だけでなく、サラリーマンたる者は自らが襟を正す時代である。正月だといって甘えることはできない。むしろ飲酒がもたらす悲惨な事故は百害あって一利なしで、人生を狂わせる。よき時代を懐かしむ者もいるが、心の隅に置いておこう。
さて事始めであるが、気運を引き締め、目標に向かってけじめを意識してか、社員一同が初詣に出かける企業も多いと聞く。各自の努力は個人の力量に期するものであるが、組織人たる立場は、一致団結することによる成果の違いが結果として現れるものである。働き方そのものに変化について指摘されることが多くなったような気がする。このことは職場の横の繋がりが希薄となっていることによる弊害を産んでいるといえる。
組織の活性化に役立つことを行ってみるには多くの機会を使うことは新年もその一つであろう。かけ声だけではその場限りとなりやすい、仕事始めに当たっては常にPDCAを意識して行うこととなるが、PDCAのスパイラル性も忘れてはならないことである。
年金生活者で、ことさら新規の取り組みもないが、年賀状の整理とあわせ、身辺整理の意味で住所録を見直すことから始めようと思う。今年はお世話になった方との再会のための計画を作ることから着手したい。