鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

成人の日

2015年01月13日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 今日は成人の日で旗日である。新たにこの日を迎えられた方に対しては、大人の仲間に入られ、心から祝福したい。どのような感動を持つのであろうか、年齢で子供と大人を区分けしているわけであるが、どこで線を引くかは、国によって数歳の違いがある。我が国においても、武士の元服は15歳としていた時代があった。最近では18歳に引き下げる動きがあるが、関係する法律を手直ししなければならず、国民の同意も必要であろう。

 何を基準にと考えれば、成人式を基準にする必要はない。むしろ、育った環境や、自立性があると周りが判断種れば、子供から脱皮した大人としての立場を得られると思う。相対的な判断が根底にあると思っている。大学に籍を置く学生においても18歳になった時点で、児童手当の適用はなくなるし、選挙権はないが、結婚することも可能である。

 精神的な成熟や、肉体的にも社会人として活動できる。労働省で使われてきた労働力の年齢上の区分けは、15歳以上、64歳となっているが、このことは、中学校までが義務教育なので、義務教育を終了していれば、正式に働くことができると考えてよい。最近は上位学校への進学がほとんどで、職業訓練の対象年齢も高卒に変わってきていて、単純な労働を除き、中卒で就職する職域は限られてきた。

 20歳というと短大卒業がその年齢に当たる。すべての人間が、20歳を迎えると大人となった行動を行うかというとそのような状況ではないし、たとえ、大学院を卒業したとしても、自立できていない人間も多い。大人とは、成人したということは果たして何であろうか。様々の状況が考えられるし、その解釈は多様である。性差によっても違いがあるし、地域によっても異なるであろう。学歴はあまり関係ないようである。年齢が若くても、年がいっても、それだけでは語れない。

 では、自立しているかどうかは、15歳になれば賃金を得ることができるので、賃金を得ることではない。社会参加も十分に行っていれば、大人と何ら変わることはない。今までは結婚し、家庭を持っていれば、自立したといわれていたが、親の同意があれば16歳でも結婚可能である。

 大人といったが、大人の定義が曖昧であるため、なかなか結論には至らないが、常に相対的なもので、自らの考え方や行動が相対的に漠然とした大人のイメージに合うかどうかだと考えられるため、明確に答えることができないようだ。いえることは子供が持っていないものを持っていて、立ち振る舞いができることだろう。子供との違いにヒントがありそうである。