オオバンはツル目に属し、クイナ科の水鳥です。体長は39cm、大形の鳥です。
阪神大震災から20年を経て、震災の記憶を後世に伝える様々の試みがなされている。震災の教訓はその後の災害に役に立っているのであろうか。震災を契機としたボランティア活動は近隣住民だけでなく、広く全国的な規模で拡大し、NPOを始めとする組織的な活動が現在も続けられてきているという。ボランティア元年とも言われている。多くの死者とけが人を出した惨事に遭遇された方には心から哀悼の誠を伝えたいが、20年を経ると、記憶から薄らいでくるのも事実で、日頃から減災への準備は怠ることなく続けていかなければならない。
ことさらに被害のマイナス面だけを強調して、不安を引き起こすと思われる体験談は、自然災害がもたらす総てのことを伝えるのでは無しに、一部の強調と捉えてしまうのは、軽率なのであろうか。地震を引き起こすとされる活断層は、最近新たに発見されている。活断層の上にある、既に市街化した地域を他の場所へ移転することは物理的に難しい。多くの研究者を投入しても、観測機器を多数は位置したとしても、突然襲う地震や豪雨災害等は後を絶たない。
人災の要素は自然災害に遭遇しても簡単に変化するわけではなく、100年に一度、1000年に一度の巨大災害が、想定外として片付けられてしまうのは、携わってきた関係者の逃げ口上と捉えられないこともない。被災地を住宅地としてきた事案は、復興として被災地域を元に戻すことに始終していて、根本対策となってない状況を見ると考えさせられる。
人知が及ばない自然災害をどのように予知していくかの努力も大切なことで、災害を経験しなかった者が、何度と無く同様な災害が起こる確率が高い地域に、生活の便利さを優先し、定住する傾向にあり、被災地で生活する例が多く見られる。先祖から引き継いだ土地であり、家屋であり、育った環境であれば、口で言う程簡単なことではないであろう。まして薄らいだ記憶は、平穏さが日常となれば、突然の災害を予想する考えが及ばなくなるのも事実である。
ある程度の覚悟を持って、平素からの避難訓練や、災害対応を準備する心構えが必要であろう。的中率を云々するのではなく、行政任せでは尊い人命を失うことになる。あくまでも情報が機能する環境作りも必要である。バランス感覚が適した表現ではないにしても、人災も最小限にしなければならない。そこには、柵(しがらみ)を解き放す勇気と決断が必要であることは間違いないであろう。