庭先に来るメジロとでは多摩川の方のメジロが元気のようです。
日経新聞朝刊の13版、エコノフォーカスに載った記事である。以下前文の引用である。「大学での勉強が若者の役に立っていない。そんな問題意識が世の中にじわりと拡がっている。大学進学率は5割を超す一方、就職率は低迷している。大卒者が就いた仕事を雇用形態で見ると非正規の割合が2割に達する。政府内では実践的な職業教育をする新しい学校制度を創る動きが出てきた。就職後に職場で役立つ技能や知識を学校でどこまで教えられるのか。課題も多い。(松尾洋平)」
学校教育と職業能力開発との関係は、既に何度か述べてきたところであるが、両者の接近と離散を繰り返してきた歴史がある。新たな学部の創設や統合等で紆余曲折してきたが、もはや根幹に係わる変革を行われなければならない時期に来たと言えよう。今の学制が時代に合っているとは言えない状況なのである。
そのことは、情報社会が成熟期に入り、人に代わり、情報機器で高度化した複雑化したシステムが構築され、進化していることである。従来からの学校教育では、情報機器を駆使できる能力付与の限界が見えてきたからで、産業革命以後新たに登場したコンピュータシステムが、雇用を奪い、学校教育から排出された者の受け入れ先とはなっていないからである。コンピュータシステムで、熟練という言葉すら死語に近くなってきている。
熟練技能は、ティーチングによってロボットに引き継がれ、大量の熟練技能者の代替として見事に高度技能の生産現場で利用されていて、工場ではメンテナンス要員が数名いればよいという状況が普通となっている。よく言われる話として、寝ずに働き、文句も言わない優良社員なのである。農業においての変化も温度管理や液肥管理で近郊農業はハウス栽培が中心となってきた。これも市況の状況に応じた生産調整も可能であり、人手を殆ど必要しなくなった。漁業においても養殖が山中で行われるとなると、今までの漁師は減って行くであろう。
産業革命で必要であった人材が、情報革命によって駆逐され、人手を必要としなくなった産業界では雇用すべき人材の質が大幅に変わり、既にこの兆候が現れてきている。就職できない人材育成はもはや機能が低下し、陳腐化していると言わざるを得ない。学校教育は、大学を卒業するまでに16年間を要する。ここでの変革は常に後追いで、教員の質まで変えるとなるとその倍の年数が必要となり、この改革を喫緊に行わなければ我が国はもはや先進国の地位を失うことは明白である。