鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

年始の過ごし方

2015年01月07日 00時00分01秒 | 提言

 新たな年が始まり、年賀状のおおかたの整理は終わったが、消息がつかめない方も多い。郵便局では移転された方が届けていれば、宛先が旧住所であっても、新住所へ年賀状は転送される。しかし、戻された年賀状をみると宛先が不明である。確認された配達員の印鑑が捺印されている。新たな住所からの年賀状をいただければよいが、数人が不明のままの住所録となり、連絡のつけようもない。

 年末から帰省される方、海外旅行、国内の観光地等で新年を迎えられた方、病院や介護施設におられる方、自宅におられる方、喪中等いろいろな過ごし方があり、当方が口を出す必要もないが、様々な過ごし方があったであろう。会津磐梯山は宝の山よ~で歌われる福島民謡の歌詞に「小原庄助さん、朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、それで身上潰した!」があるが、年に一度はそのような経験をしたいと思うのが普通である。

 贅を尽くすというのは、贅といわれる体についている不要なこぶ(瘤)の意味で、贅沢のことである。質素の反対語で、衣食住や趣味、娯楽などに必要以上にお金・人手、時間をかけて、自己満足に陥ることである。または、そこまで望むのは分を弁えないことの意味である。望み得る最高の状態が実現され、それ以上を期待することは無理であるという注文なども贅沢と言える。

 正月料理はおせち料理といい、古くからお祝いの膳であり、五節句に食べるものをおせちと呼んでいた。健康を願って、神に捧げていたのかもしれない。漢字では節供と書くようで、供える意味がある。供される食材にそれぞれ深い意味があり、それを食すことによる願いが込められているのはご存じの方も多いので割愛したい。

 最近では少子化も影響してか、正月料理を通信販売で利用することが増えてきている。価格をみると数万円もする豪華なものもあるが、実際に料理する手間や材料の準備や料理を考えると、無駄とばかりはいえない合理性もある。都心のホテルや旅館は、年始休暇中に営業して、特別料金で、おせち料理が供されるところも多い。自宅への年始客の接待などをする家庭は減ってきていると思われるが、少人数で高齢者の家庭では負担になる場合もあり、自宅を留守にする方法もよいのかもしれない。

 一年中市販されている食材が多くなり、ハレの日の食材の豊かさは、日頃の食生活で食すことができるため、特別なおせち料理は不要になったとまではいわなくても、十分栄養がとれる世の中となった。むしろ肥満対策等の食生活の改善が叫ばれるようになり、皮肉なことである。