つがいのようでしたがカワラヒワが水を飲みに来ていました。
正月の遊びとして凧上げがある。風に乗って空高く上がる凧は大人が夢中になるほど面白いものだ。最近は子供も成長し、凧上げに興じることはなくなったが、自宅が多摩川に近いこともあって、現在でも多くの家族が凧揚げをしている。ほとんどは安定性がよいためか既製品のビニールカイトで、狭い場所でも垂直に上がる。角凧、連凧、奴凧など多くの種類があるが、対岸で、円筒形の凧を見かけたことがある。
凧は我が国には中国から入ってきたのであろうが、わが国独自のものではない。無風では上がらないが、駆け出せば、上空に気流があればよく上がる。現職の時に短期の出張で5月にエジプトへ技術支援に行ったことがある。5月はハムシーンと言って、砂嵐が吹き始める時期である。日中は40度にもなる暑さであったが、良く現地の子供が凧揚げを行っていた。話を聞くと、年中季節にかかわりなく上げるといっていた。
太平洋の島国では、凧を漁業に使っていると聞いたことがある。凧を船の上で揚げて、凧に釣糸と餌をつけ、ポイントに落とすと魚がかかるという漁法である。原始的な漁法であるが、大漁とはいかないであろうが、日なが、洋上での釣りはのんびりとした光景が目に浮かぶ。
子供時分は、自分で竹ひごを曲げて和紙を張り、角凧を作って上げたものである。安定性を高めるために、新聞紙を細く切って凧の足にした。手作りである。糸は凧糸を売っていたので、良く買いに行った。現在のようにおもちゃ屋で凧を買うようなことはなかった。男子は小学4年生になると肥後守という名の小刀を親から買い与えられて持っていた。鉛筆を削ったり、竹ひごを作ったり、竹トンボも自作した。
子供のころの工作は、遊びであったが、小刀の扱いにも慣れ、創意工夫でいろいろな遊び道具を作った。子供のころの経験は大人になっても役立つことが多い。最近は小遣いさえあれば何でも買うことができるが、果たしてそれで良いのであろうか、鉛筆も削れない子供が多いと聞く。遊びの種類もいつの間に、テレビゲームや、電子機器が幅を利かせるようになった。将に消費者として、おもちゃ業界の手先となっていることは否めない。
昔を称賛するわけではないが、遊びの世界の中に得ることができるノウハウがあることを親は知っておいてほしい。凧の上がった空を見てふっと思った次第である。