鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

成人の日続編その2(4回シリーズ)

2015年01月15日 00時00分01秒 | 提言

1.学校教育の知識偏重化と集団指導の弊害

 学校が初等、中等教育の公的機関として担ってきた役割は大きい。少子化社会への移行は既に始まっていて、若い世代の人口減少が顕著に表れてきている。教師一人当たりの受け持ち生徒数は減少傾向となっていて、個別指導の絶好のチャンスでもあるが、個別指導は授業に付いていけない子供の補填的な役割であり、本来教育の原則である、潜在能力を顕在化するための方向ではない。個別に教育プランを作成し、それに基づく連続的な教育を行うとする変革が未だ手が付けられていない。このことは、財政面での限界があり、集団教育を個別教育に移行する動きが難しいからなのであろう。

 

 集団教育に甘んじてきた行政の責任もあるが、その弊害は、中庸、標準化という仕上がり像に押し込める教育方法により、歪な競争社会を助長する反面、知識偏重化を増大してきた。このような教育環境の中では、他人を思いやる心は生まれてこないであろう。知識偏重は社会の動きに目が向けられなくなり、若い内に経験しなければならない社会の仕組みや、働く事への就業体験が無視され、社会人として必要な準備教育は殆どされてこなかった結果、どのように生き、どのような職業に就きたいかのイメージすら出来ない多くの若者を排出してきた事実が物語っている。

 

2.家庭教育の限界または崩壊

 世襲制は伝統産業、芸能、一部家内労働等にその名残はあるが、多くの平均的なサラリーマン世帯においての家庭教育は、高度に複雑化されたネットワーク社会においては、殆ど機能しなくなっている。共稼ぎ世帯が殆どとなり、学校行教育が終わった後の家庭学習は、教える家族が居ないため、教育を生業とする塾、予備校、○○教室などの外部専門家集団に任すことになる。(次回へ続きます)