幻想的で、吸い込まれそうです。アステカ文明の地獄はセノーテとか。
スピード違反は制限速度で走行しなければならない道路を超えて走行することであり、一般道路と高速道路は異なる。車を運転する運転者は道路交通法によって義務づけられている。しかし、それを遵守できなければ、運転者として許可されている運転免許は取り下げられ、罰金を受けることになる。交通事故をスピード違反が原因であれば、自己の責任を負うことになる。
厳しい処罰があっても交通ルールに従わない運転者がいるのはどうしたことかを考えてみた。ルールは人間が決めたことであり、変更も可能である。スピードの制限を車自体に設定することは考えられているが、車自体が持つ性能で制限できないのであれば、運転者に法の順守を義務づけなければならない。そうなっていても違反者が続出するのは、別の理由を考えなければならない。
現象面から考えると、スピード違反を取り締まる頻度と回数が、違反件数をカバーできていない状況にあることが考えられる。白バイや、覆面パトカーの運行を高めることが考えられる。導入したが、オービスという機械式の違反検出器の設定が、測定誤差や精度からして、誤差が大きく、精度が悪いので、違反者の特定が難しく、決定的な証拠とまでは行かないことが考えられ、事後の手続きが煩雑となっているのかもしれない。
改善すべきこともある。メンテナンスや事故発生による現場までの周知方法や時間帯が曖昧で、不必要な表示が延々と続けば、ドライバー側も標識を信じなくなる。ドライバーの注意も限界があり、制限速度の意味を判断できなくなり、通常のスピードに戻して運行することになる。工事者の安全や工事区間の徐行運転、交通事故二次災害の防止は分かっているが、適切性も求められるところである。
一時、交通法規の改定があり、駐車や停車の制限が厳しくなり、その取り締まりには選任をつけるなどの措置が行われていたが、最近は、不法駐車が増えているように感じている。狭い道路での駐車が増えれば渋滞がすぐに発生する。電柱の取り替えや、道路工事は、夜間に行うなど許可する側も一定の配慮が必要であろう。いたちごっこが続く道路行政であるが、行政側の瑕疵も全くないとはいえない。運転者側だけに注意を期待する安易な対応もまた問題である。
事故の未然防止、運転者の法遵守、マナーの向上は関係者相互の信頼関係の場で効果を発揮する。状況に合わせた方策を、継続的に行い、改善する余地もある。