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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

自浄能力その3

2015年10月26日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 自由に選択が出来る場合に、つまり他者からの強制力が働かない場合には、行った行為やその結果に責任が発生する。逆に考えれば、責任は自由に選択が可能であるという状況があって初めて責任が生じる。英語ではresponse,responsibility(応答、反応、責任があること、義務、義理等)であり、職責、責務、信頼度、義務履行の能力をいう。resuponsibleは形容詞で、人が法律的・道義的にある義務を実行するに当たって、過失・失敗などに対して責任のある立場にあることである。仕事・地位などに責任を負うべき、責任のある、責任を伴うなどの表現で使用する。

 

 また、日本語では、自分の分担として、それだけはしなければならない任務や負担、不結果、失敗に基づく損失や制裁を自分で引き受けることを意味している。責任についてパソコン辞書であるウィキペディアから引用すると、

 

 責任とは、社会的に見て自由があることに伴って発生する概念である。自由な行為・選択があることに伴い、それに応じた責任が発生する。(中略)責任の概念は、他のことを意志できること、少なくとも意志したとおりの行為をなすことが出来るという意味での自由意志の概念を前提としている。そのため、責任という概念は伝統的に自由意志の概念とも結びつけられてきた。責任にまつわる近・現代的な観点からは、心に重きを置く考え方と、ある人の行為に重きを置く考えとがある。現代社会において、ひとりひとりの人間は、何らかの自由を行使し行為を選択する際には、その自由に応じた責任があると認識・自覚する必要がある。(ただし、その自由に応じた責任以外まで認める必要はない。ともされるので、どこまでが自由であったか、どこまでが選び得た行為か、どこまでが強制された行為か、ということはしばしば曖昧で、争いの原因となることがある。)また、責任という概念は、何らかの行為を行ったことだけについて適用されるのではなくて、行われるべきだったのに行われなかったことに対しても適用される。また、一般には、責任は原因とは区別される概念である。BがAの原因ということだけからは、BがAの責任を担うべきことが結論されることはない。(以上引用)

 

 管理責任があるといっても、強制されるものでなく、行為者が自由に選択できる余地があるかどうかが判断のポイントとなり、道義的責任や、無過失責任については、司法上の凡例や判断を要する。我が国では曖昧になりやすい仕事上においての責任とその範囲を明確にする職務記述書(ジョブディスクリプション)の必要性を感じる。