鳴沢道の駅の宝石博物館屋外に展示している輝石です。
平成27年10月5日
午後5時に南部線と田園都市線とが交わる武蔵溝の口駅で待ち合わせた。相棒は2名来る予定であったが、一名は急用が出来て欠席、結局2名での小宴会となった。兼ねてから話題に上がっていた中学同窓生の女性が池尻大橋でスナックを経営していて、急遽場所を変えてそちらへ向かうことになった。相棒は三年位前に彼の友達と立ち寄ったことがあった。
武蔵溝ノ口も古くからの街で、大山信仰で詣でる大山街道にある宿場町の一つであるが、現在では当時の面影を知るには、困難で、いわれてみれば分かる程度の商店街の一部にしか残っていない。しかしながら、飲食店街を中心に、常時賑わっている。
池尻大橋のスナックは、歩道橋を渡り、国道246号線沿いに面していて、交番の近くにあったようで、店を探すことにした。付近を探したが、お目当ての店は見つからず、交番で聞いたが、埒が明かなかった。仕方なく、三年前に同行したという友達とやらに電話連絡をしたが覚えてないようで、こちらも歩き疲れたため、途中で見かけた居酒屋に入ることにした。
なかなかしゃれた店で、魚の魚拓のような細密画が多数飾られていて、店長が描いたそうである。都内に6店も店舗を持つ店であった。鰹のたたきをつまみに日本酒を嗜んだ。店員にもスナックのことを尋ねたが、分からなかったが、同窓生に電話をし、何とか店の名前、住所、電話番号を聞くことが出来た。数回の電話でママさんとも連絡が取れ、居酒屋を後にした。
探し歩いた場所とは異なり、駅を挟んで反対側にあり、それらしき店に入った。お客は誰もいなかった。相棒はすでに面識があり、歓迎してくれた。電話が通じなかったのは仕込みの準備で出られなかったようである。時間が早いのか、今日は店にでていないのか等いらぬ心配をした。しかし、当方は同窓生といっても一度も同じクラスで一緒に過ごしたことはなく、50年もの月日が過ぎているため、ほとんど記憶になかった。
昔話に花が咲き、次々に出る昔話を肴として大いに楽しんだ次第であった。どのような経緯でこの世界に入ったかなどは興味もなく、店のホステスとの会話とカラオケの音量に普段の生活とは異なる時間に浸ることが出来た。