ミサゴが現れたのは午前中でした。鮎を「転がし」という漁法で多くの釣り人が釣っていました。(スレバリという返しがないハリをたくさん付けて、先端に重りがついている。)
親父の兄弟姉妹は多く、若くして鬼籍に入った者を含めると8人の兄弟・姉妹であった。現存している叔父や叔母はすでに全員他界していて、いとこの一番若いのは66歳である。年長は80歳以上になる。今回の発案は、すでに昨年からあったが、集まることが出来ず、本日となってしまった。いとこが在住している場所は都内がほとんどであり、交通の便がよい二子玉川となった。一番遠くは長崎県から飛行機で羽田まで来て、会場に着ていた。
しばらくぶりに会う方々であるが、この2~3年は年賀状のやりとりで終わっていた。参加したのは11名で、女性は6名、男性は5名であった。前回お会いしたのはたぶん10年前である。いとこの中でも他界した者もいる。今回が最後かなという雰囲気もあるが、再会すると予定した2時間はとっくに超え、5時間という長時間は瞬く間に過ぎ、多くの話題で、盛り上がったところである。若い頃の思いでは走馬燈のように頭をよぎる。いとこのうちの長兄はルーツの研究をしており、興味深い話は尽きることがなかった。自分の家族にどのようにして伝承するのか大きな宿題をもらった。
人にはルーツがある。遡れば、世界各国の人々はアフリカの一人の女性にたどり着くとの話を聞いたことがあるが、そこまで戻らなくても、顔見知りの親戚縁者は知っておく方がよいと思う。最近は個人情報を入手するのがはなはだ困難になってきている。一定の時間がたてば、戸籍も抹消されるようである。膨大なデータを管理することの意義は薄れてきたのであろうか。正式な書類においても本籍地は記載しないようになり、またどこを本籍地にしても良いわけであるので、世の中の趨勢と思うほかはない。
今回のいとこ会は、お互いの生活や経験を披露するもので、一種の血縁関係の確認であった。本人ばかりでなく子供についても左利きが多く、世代にわたってDNAの不思議さを知ったところである。ルーツを知ることによって、偉業をなしえた先祖の功績をたたえることもあった。それぞれ生きた環境は異なるし、はっきりした根拠も乏しい中、収集し、それをまとめたことに対しては敬意を持っている。約一世紀まで遡ることが出来たのは長兄が図書館業務に精通していたというバックグラウンドがある。
後生の血縁者がどのように評価するのかはわかり得ないが、自分という存在が突然生まれてきたわけではなく、偶然を超える縁を感じざるを得ない。