鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

不可能な課題への挑戦(3回シリーズその1)

2013年01月10日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 外国人が我が国を見聞する機会が増えていることは良いことであり、今後もその傾向は減ることはないであろう。昨年の尖閣諸島や竹島問題で特定国の旅行者の減少はあったが、この問題が一段落した今、旅行者は増加の傾向に戻りつつあるようだ。来日する外国人の目的は様々である。

 5年前の7月1日から対インドネシア国との経済連携協定の批准により、看護・介護サービスの職域に、労働者としての門戸が新たに開放された。これは、少子化をにらんで外国人労働者を、法の下に適正に受け入れるための、新たな入国ルートが増えたことを意味する。留学制度や、外国人研修制度、特定の国との国別研修制度等も機能しており、日本に学ぶ多くの研修員は、研修を通して政治、経済、文化、生活習慣等が、自国のそれとを比較対象として知らされることになる。

 戦後の復興期を経過して、半世紀後に先進国となった原因が何であったのか、学ぶべきことは何であるか、多岐に亘る興味は尽きないようで、羨望の的で見られていることに気づく。最近、ある国の組織の問題点を探り、改善事項を提言するというプロジェクトに参加した。
 結論から言うと、我が国が、問題なくこの60年間を過ごしてきたのではなく、結果オーライで、その時点時点での問題解決の積み重ねが、なし得た結果であり、先進国に学ぶことが多かったのであるが、先例のない状況に立たされている今、決して、安穏としていることは出来ないことも事実で、成功事例に隠されている工夫や知恵が参考となり、幾つか提言したに過ぎなかった。(次回へ続きます)

PDCAの意味(3回シリーズその3)

2013年01月09日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 更に、対応を困難にしている背景には、法が規定し、履修する内容や、時間、レベルの遵守である。通常5年ごとの見直しや改定で対応しているが、常に後追いである。世の中の動きに対し、地域に密着した訓練基準の柔軟な対応とカリキュラムの変更が鍵となる。しかし、地域性をあまり出し過ぎると全国的な基準と遊離することになり、就職に不利益となる場合が出る。PDCAにのっとても、細部においては、バランス感覚というか、総体的な判断が常につきまとう。計画の実施前には業界団体や上部組織との調整が必要である。

 職業能力開発では理論だけを教えて済むことではないため、最新機器の導入や、設置・作業スペースまで考慮すると、費用のことばかりでなく解決すべき多くの問題がある。
 就職率が低下する理由には、採用する側とされる側のミスマッチの問題がある。双方の条件が合わないと不調に終わる。在学中に地域の求人情報で職務内容や賃金相場を知り、企業見学やインターンシップ制度などを利用して、企業との接触を深めることも重要となる。

 離職率は、古くから、753(シチゴサン)といわれ、3年間の在職期間でみると、中卒7割、高卒5割、大卒3割が離職する。景気の影響で変動もあるが、この率はほとんど変わっていない。離職率を下げることは定着をよくすればよいのだが、これも一律には行かない。PDCAを導入し、途中経過ではあるが、信頼できる方法であるといえるが、企業の規模や社風が異なるため、修了後3ヶ月6ヶ月1年と就職率、定着率をフォローするが、十分ケアできなかったことも多い。

 PDCAは品質管理の一手法であるため、その導入には細心の注意を払い、十分に吟味して利用されることをお薦めしたい。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』のPDCAサイクルを参照されたい。(このシリーズ最終回です)

PDCAの意味(3回シリーズその2)

2013年01月08日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 因みに、習得に関して他の一般法則を上げると、印象強度の法則(最初の印象が重要で、教える側がやってみせる提示は正確で、明瞭でなければならない)、練習の法則(練習の回数が多ければ多いほど習得は確実になる)、直近の法則(やって見せた後、覚える側に、直ぐにやらせ、早ければ早いほどよい)、影響の法則(複雑な事柄は、1回で教えるより、いくつかの単位に分け、段階的に教える。始めのステップができると次のステップを学ぼうとする意欲がわく)。親が子供に何かを教えるときに参考になるかもしれない。

 では、どのような状況で、PDCAを使って、訓練効率を上げていくのかを考えてみよう。
 紙面の関係で多くを例示できないが、訓練の評価指標は、通常、就職率、定着率、各種資格の取得率、入校率、退校率、災害発生率等である。それぞれの率にはインデックスとして数値化されたガイドラインがあり、全国平均値以下の場合には管理部門から指摘され、強制的な改善を余儀なくされる。年度当初に作成する訓練目標は前年度の実績を下に、それぞれの評価指標ごとに新規計画を作成することになる。十分な調査無しに、前年の結果だけを見て数値の上積みをすればよいとは限らない。(数値化するためには「良い」から「悪い」までを5段階や10段階に区分し、相対評価するため、決して絶対評価ではない)就職率が悪い原因に、就職先が激減したなど受け入れ先に変化があれば、廃科を含めて、検討することとなる。常に、世の中は技術革新しており、日々変化している。

 従来の優位性が永久に続くわけではない。30年周期説と言われ、企業の存廃はこのルールに則っているそうだ。そうはいっても、急速に変化する技術革新に指導者が簡単に、追いついていくことも困難であり、無理な部分は外部の専門講師等に依頼するとしても、人選や相手の都合等を考慮すると簡単には対応できない。悩ましいことではあるが、少なくとも年単位での見直しは必要で、指導内容や方法も変革を余儀なくされる。平素から指導者の研修や職種転換の準備が欠かせない。(次回へ続きます)

PDCAの意味(3回シリーズその1)

2013年01月07日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 Plan-Do-Check-Action の頭文字を取ってPDCAとよんでいる。物事の過程を4つのステップで表し、計画-実行-評価-対応(改善)のことである。行政の手法にも取り入れられているが、本来は生産現場の不良品対策から生まれてきた品質管理手法(QC活動)で、提案制度とともに職場改善に役立て、職場の合理化や生産効率の向上を目指している。
 PDCAはサイクルさせるのでAの後にはPがくる。唯単に、ぐるぐると回わすのではなく、スパイラル性を持つ。つまり段階的に螺旋を昇るイメージである。

 職業能力開発の現場でPDCA方式を活用し、訓練計画が実施された結果を一定の評価基準でスクリーニングし、改善点を見つけたら次の訓練計画に取り込んでいく。理想的にはその通りであるが、問題点も含んでいる。
 例えば、大型構造物を造る場合を考えてみよう。設計図を描き、工事をし、完成させた後、不具合が生じたら改善できればよいが、基礎からやり直しとなると構造物を壊し再度建て直さなければならない。壊す費用や手間を考えると、PDCAは向かないことがわかる。
 人材育成においては国際基準のISO(10015品質管理部門に訓練のガイドラインが設定されている)にも取り入れられており、開発途上国への導入が図られているが、そもそも人材育成で評価が低い場合、改善を行っても、間違った教え方はそう簡単に改善できるものではない。人材育成はそもそも失敗が許されないのである。

 指導の原則に、最初経験の法則といって、最初に間違った方法を覚えると後まで習得が悪く、正しいやり方で最初から覚え直さないと悪いやり方は改まらず、修正するには、ほとんど不可能だからである。したがって、PDCAをどのような目的に使うかが導入の前提となる。古来、文章作成の世界で使われている起承転結とは意味が異なる。(次回へ続きます)

「ものづくり」礼賛(3回シリーズその3)

2013年01月06日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 とはいえ、これらの現象と、ものづくりとの関係は無関係に発生したわけではなく、ものづくりがその底流にある。ものづくりが無視され、意図的に置き去りにされたわけではない。むしろ21世紀に向け、高度化され、洗練化され、積極的に進められたことが、方向性の見えない後世へのリスクを最小限にする知恵であったわけだ。世の中の技術革新のスピードが人間の感覚とは異なる速さで推移することが起因し、表層化した現象にのみ囚われるため、誤謬が生じているといえる。卑近な例として、最先端分野の設計段階で利用されるCAD/CAMソフトの活用はその機能性が時代にマッチし、コンピュータの膨大な記憶や処理能力は、近い将来に不要になるとは到底考えられない。そこにもものづくりに携わる高度熟練技能者の存在を見ることができる。効率性や生産性の対極にある五感に頼る手作りの良さは異常といえるほど神格化されているように思えるのだが、小生の思い過ごしであろうか。

 芸術の域にある伝統工芸や素朴な民芸品など職人の手で培われた品々を継承することへの努力を否定するつもりはさらさら無いが、限られてきた伝統熟練技能の伝承やマニュアル化等への方策は留まることなく、現代の記憶媒体を駆使して後世へ伝える義務を強く感じている。
 ものづくりについて高度技術者や熟練技能者の育成と産業界のドラスティックなパラダイムシフトを、同一の視点で語ることはいささか短絡的かもしれないが、ものづくりへの拘りが新しい時代への活力として、技術者や技能者へ目が向けられ、その存在が再評価され、彼らの持つ技量が深さと幅を広げ、用と美の究極へ向かう光明としてさらなる拡大を期待したい。(このシリーズ最終回です)

「ものづくり」礼賛(3回シリーズその2)

2013年01月05日 00時00分01秒 | 緑陰随想
 
 独り言を続けることをお許し願うことにして、新聞紙上や多くのメディアで、ものづくりの必要性が連呼されている割には自分の中で整理がついていない。今一はっきりしないのだ。この機会に整理しようと思う。能力開発行政に携わっていたこともあり、ものづくりを最優先で取り組むことを意識しても、ものづくりの深さと幅の像は簡単には結んでくれない。究極はよく言われているひとづくりなのか?ひとづくりであれば、今までも能力開発を通じて人材を輩出してきたし、就業に必要なテクニカルスキルを指導してきたのであるが、ひとづくりではなかったのか不安が残る。
 ものづくりの必要性が叫ばれている背景には、産業界の若手後継者不足や団塊の世代が定年退職を迎え、危機とみていた2007年問題、幸いそのときは大きな問題とはならず、その後5年が過ぎ、再雇用もそろそろ終わる。ものづくり離れや年功序列賃金体系の崩壊で成果主義が台頭し、OJTがままならなくなり、熟練技能の軽視など確かに人にまつわることがあるようだ。

 穿った見方をすると、人が中心であった古き良き時代へのノスタルジアに活路を求める青い鳥症候群が、ものづくりを時代の寵児に祭り上げているかもしれない。手間を最小限にし、スピードと少量多品種生産を可能にしたNC工作機械や自動生産システム(FMS)などの精度と経済性の追求や、溶接ロボット、塗装ロボットなどに代表される3Kの排除の結果が無人化に繋がった。また、企業城下町が廃れ、産業の空洞化を招いた生産拠点の海外移転など生産現場が生活視野から遠く離れ、過去のよき時代への回帰を求める想いが生まれてきたのも至極当然の成り行きであろう。(次回へ続きます)

「ものづくり」礼賛(3回シリーズその1)

2013年01月04日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 一年の計は元旦にありといわれるが、一年を経て何人の方々が計画を全うされたであろうか?我が身を振り返ると初めからの挫折で、計画の甘さと達成の難しさをしみじみと感じている。さて、今年は如何するか。無理を承知で挑戦するのも悪くないと思い、専門用語集の作成などいいのではないかと朧気ながら夢見ているところである。

 生産に従事する多くの人たちはものづくりと関わって生計を立てている。何かに打ち込む結果として、ものができあがることは至福の喜びを伴う。ものを作ることは柳 宗悦が書いていたと思うが、用と美を兼ね備えることが重要で、産業分野での仕事は将にものづくりの用と美の集大成に関わっているといえよう。身近なものづくりにおいても何かを思い描けばその時から作る世界へと誘うパワーが生まれる。インターネットで検索すると意外と目的にマッチしたものにたどり着く。

説明書やマニュアルが用意されていればそれに従った方が早道だ。情報の収集から始まって、計画を策定し設計を行う。予算をたて、道具や材料の準備にかかり、段取りを決める。この間に何度か方向も変わるが、所詮手慰みなので気にしない。何度かの試行錯誤は産みの苦しみと思い専念しよう。やがて、手に届く完成イメージが見えてくる。方向が決まれば取りかかってみる。修正や失敗をおそれず第一歩を踏み出せば、しばらくは惰性で事が運ぶ。同じ動作の繰り返しは飽きてくるが疲れたら休み、パワーの充電期間も必要である。明日再挑戦だ。こんな事の繰り返しを何年も続けてきた。ものにならなくてもよい。しかし、着実にものになっているようだ。

作るという経験は興味が沸くと様々なジャンルにも手を出したくなる。新しい分野にも抵抗なく入れ、そこそこ様になるものだ。どこにでも経験者はいるもので、教えを請うことで仲間も増える。周りの人に見てもらい、自らの弱点や癖を発見でき、技量も向上する。

 ものづくりは生産に従事する技術者や技能者に限ったことではない。人が生きていくためには衣食住すべてに亘ってものづくりと深く関係している。料理はその最たるものだ。ものづくりの世界へ飛び込むことによって、自らの世界が一層広がって行くのは確かである。(次回へ続きます)