鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

大分雑感 潮干狩り(2回シリーズその2)

2013年12月09日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 大分のアサリは大ぶりで殆ど模様がない種類であった。水質によって違いがあるようだ。
アサリには海水の浄化に寄与しているようで、アサリが多い海はきれいな海といえる。
 吹管から海水と共に吸い取ったフランクトンをえらで濾し、不純物は粘液で固めて排出する。海水に出た不純物はヤドカリなどの餌になる。

 統計的に見ても国内のアサリの捕獲量が少なくなっているのは天敵であるツメタ貝の大量発生とも関係している。ツメタ貝は夜行性で、巻き貝である。アサリを外套膜で包み込み、歯を使い酸性液出して、二枚貝の一番薄い合わせ目に丸い穴を開ける。そこからアサリの身を触手で吸い込むそうである。

 アサリの寿命は7~8年で、大きい物は7センチ近くなる。1~2年経てば産卵でき、3センチぐらいが出荷対象である。稚貝も採ってしまうようでは激減してしまう。水産業者は鋤簾(じょれん)というふるいの升目を広くすることにより、稚貝の混入を避けている。最近は中国や韓国産が輸入されていると聞く。営業で潮干狩りを経営している業者では、輸入したアサリを砂浜に撒いて地元産として宣伝している所も多い。

 太古から人間は貝を食料として食べてきた。各地に貝塚が発見されるのはその証拠である。グリコーゲンというエキスは疲労回復に効果があるといわれ、キャラメルで有名になった福岡のグリコ社は二枚貝に含まれるグリコーゲン(糖分)から名前を取ったときく。
 この他にも遊離アミノ酸や無機質等の成分が含まれている。うまみ成分も多く、味付けもいらない。注意しないといけないのは、貝毒である。突然発生する赤潮による酸欠や、貝毒の原因となる動物性プランクトンにより発生する。アサリを生で食することはないが、十分に火を通すことで、中毒を防ぐことが出来る。

 アサリを使った料理にボンゴレというパスタ料理がある。殻付きのままスパゲティと混ぜて器に盛り、野性味ある料理である。スパゲティの本場であるイタリア料理にふさわしい一品である。イタリアでは蛤(ハマグリ)やヨーロッパアサリを用いている。(このシリーズ最終回です)

大分雑感 潮干狩り(2回シリーズその1)

2013年12月08日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 春の大潮の時期は潮干狩りには絶好な時期である。潮の干満は月と地球の引力の差で生じる。大潮の時期になると陰暦が役に立つ。春は気温の変動も大きく、なかなか晴天に恵まれない。天気予報と陰暦の満月の時期をねらって海岸へ繰り出す。

 女房の実家は大分空港の近くであるが、昔は杵築と国東との間はジーゼル列車が往復していて、杵築に近い守江が潮干狩り(貝掘り)の場所であった。筆者が大分にいたときは既にジーゼル列車は廃止されており、もっぱら自家用車で国東半島の東側にある富来や熊毛の海岸へ出向くことが多かった。

 最近では近くのスーパーで一年中アサリが販売されているためか、それとも居住する住民が高齢化し、体力的に無理なのか、理由はともかくとして、潮干狩りの話はあまり聞かなくなった。既に港湾整備等で海岸が整備され、浚渫(しゅんせつ)により浅瀬が少なくなる。塩分濃度が高くなるとアサリは深場に移動せざるを得ず、呼吸困難となり死滅する。自然の環境が変化しているのも理由の一つかも知れない。

 一時はこんなにも貝が生息しているのかと驚いたこともある。表現がオーバーかも知れないが、事実、貝の周りに海の水があり、手ですくえば海水が指の間から落ちて貝が残るほどであった。直ぐに持参した肥料袋が一杯になる。1時間も経たない内に肥料袋の山が出来る。料金もいらないし、貝を掘っている人も少ない。自宅へ持ち帰り、小分けにして近所へ配っても、手元には肥料袋が2~3袋は残る。

 数日間は酒蒸し、天ぷら、みそ汁の具にして食するが、塩水に浸けておいても生ものであるから何日も持たない。佃煮にしても連日の貝づくしにはいささか飽きてしまう。仕方なく食べるものはどの食材であっても、もういらないということになってしまう。旬とはよくいったもので、少ないから価値があり、手に入らないから食べたいという欲求が生まれる。しかし、このような思いをしても1年が経つとまた潮干狩りに出かけたくなる。(次回へ続きます)

大分雑感 魚取り(2回シリーズその2)

2013年12月07日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 もう1件は、稲に付く害虫のニカメイ虫を殺す目的で使う薬草を利用したヒブリと呼ばれる漁法である。薬草はゲランという乾燥した毒草を使う。山間の小川を利用し、上流でゲランの根を石で叩いて毒液を出し、浸出した液で魚体が麻痺し、弱った小魚をつかみ取る。小魚には効果覿面で、暫くすると浮かんでくる。穴に潜っているウナギやナマズも捕ることが出来る。人体には影響はないとのことであった。毒消しにはさつまいもの葉と蔓で濾すと毒液が中和するらしい。 更に、池や川で、バッテリーを使い一時的に魚をしびれさせる漁法もあるようだが、取り扱いによっては人も感電することもあるので、また、現在では禁止となっている漁法だと思う。

 今や漁獲量を世界的に管理する時代となった。養殖や、稚魚の放流など、遊びの世界でも管理料を支払って楽しむようになっている。釣った魚体に毒を持つ魚や、寄生虫を持つ魚もいる。川魚は安全であるといわれるが、知らない魚を口にすることがないよう注意も必要である。

 また、釣り場の後始末も必要である。絡んだ針と糸が放置されたままであると野鳥の足絡み付き、身体に刺さり、これが原因で死亡することがあるようで、自宅へ持ち帰り処分する。最近コサギが浮きの付いた糸をくちばしに絡ませていたのを見たが、多分釣れた魚が付いたまま岩場で糸が切れ、格好な餌と思い飲み込むのはよいが、針と浮きが付いたままであったのだろう。コサギにはこれを取り除く術(すべ)はない。(このシリーズ最終回です)

大分雑感 魚取り(2回シリーズその1)

2013年12月06日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 魚は古代から淡水魚、海水魚を問わず人間の重要なタンパク源である。魚は河川や海に生息していて、人々の生活圏から近い。魚の習性を知った上での各種漁法が生まれてきた。

原始的な方法は今でも釣り人に楽しまれている浮き釣りである。釣り針に道糸を結び、竿を使って、アタリを浮きの動きを見て、魚を釣る方法である。現在ではフライフィッシングが多くの釣り人に楽しまれ、釣った魚も直ぐに放すキャッチ・アンド・リリースである。魚を食料として釣るのではなく、魚が餌に食いつき、竿に伝わる感触を楽しむスポーツである。この場合は疑似餌を使う。フライと呼ばれ、金属やプラスチック、ゴムなどで造られ、いろいろな種類がある。また道糸にも水に浮く糸を使うなど工夫されている。

 船上からの手釣り・竿釣り、落ち鮎捕獲に利用するヤナ漁、棒網漁、素潜りでヤス(魚を突く道具で、ゴムの力で飛び出る)を使って魚を突く方法、素潜りで予め張った網に魚を追い込む追い込み漁、投網による捕獲、プラスッチックの集魚瓶や竹籠を使ったおびき寄せでの捕獲、定置網、トローリング、底引き網漁、延縄漁、刺し網漁など漁法も様々である。

 大分で経験した漁法を2件ご紹介しよう。1件目は、満潮と干潮の差が大きい時期に行うウナギの捕獲手法である。川の河口付近に干潮時に直径1メートル、深さ30~50センチメートルの窪みをほり、中央に餌となる魚の内臓や切り落としを置き、その上にゴロタ石を積み上げる。翌日、干潮時に山に積んだゴロタ石を取り除く。窪みに逃げられなくなったウナギを素手で捕らえる方法である。取れるときは数匹取ることが出来る。しかし体力勝負のところがあるので、疲れること覚悟で行わなければならない。これは淡水と海水の交わるところに生息することと、岩の隙間に入るウナギの習性を利用した漁法である。
 宇佐市柳ヶ浦にあった職業訓練施設が駅館(やっかん)川のほとりにあり、夏場にそこの職員に教えてもらった。(次回へ続きます)

大分雑感 馬上金山(2回シリーズその2)

2013年12月05日 00時00分01秒 | 緑陰随想


 この説明では速見郡石垣村となっているが現在では地名変更されている。第十鉱区まであったのであれば相当広い場所で、特定箇所に限定する意味はないが、佐渡金山のように博物館にするのであれば、観光スポットとして集客効果が期待できるが、そもそも鉱物資源といえども採算が合わなければ地中に埋まったままである。過去の出来事が風化するのを待つ理由は表に出せない様々な事情があるのかも知れない。佐渡の旅では採鉱に従事した流人の多くが無縁仏となり片隅に墓標があるのみで、金山にまつわる悲しい歴史を知ることになる。場所も判らず、今は原野となってしまった昔の繁栄は山師が歩いた末路を象徴しているかのようである。

 この他に馬上金山を語る山香町の文献がある。それには次のことが記載されている。江戸時代の初期に砂金が取れたようで、成清が地権を得るまでに何人かの地権者がいた。設備や地下水対策、坑道の保安等で、工業化の道は険しかったようで、地権者の一人であった成清の先見は100本もの縦坑を持ち、見事に金鉱脈を掘り当てた。これに係わった労働者等でこの地域には7,000人もの町が誕生したという。

 現在では、一攫千金を求めることで、時代の流れに押し流された成清博愛、信愛父子の生き様は、歴史の1ページから消え、的山荘という料亭が現在も引き継がれてきたこと、ほろ酔い加減で食する肴、城下カレイ料理と銘酒的山の酔っぱらいには、馬上金山の話も酔いが覚めれば泡沫(うたかた)の夢で、消える運命であったと感じられた。

 追加の話として、タンスに眠る宝石や貴金属の購入の宣伝が新聞の折り込みに入ってくるようになった。投機としての相場はあるが比較的安定していて、自宅の金庫に金塊が入っている方もいる。業者と取引したことはないが、金杯の処分で業者に電話したところ、「我が社ではお取引していません」とニベもなく断られた。殆どの金杯は24GPと打刻されている。

 24GPとは純金、硬度24G(ゴールド)で混ぜ物がない意味であるがPはプレート、メッキのことである。材質は銅合金等にミクロン単位の極薄い金メッキがされていて、金の重量は極僅かである。従って、取引されないということであろう。漆工にも金箔が用いられていて、10センチ角の1枚は1万分の1ミリである。それこそ風が吹けば飛んでしまう。金の延展性は金属の中で一番高い。純金の指輪や時計であれば、24Kと打刻されている。その金製品であれば取引に応じるということであろう。(このシリーズ最終回です)

大分雑感 馬上金山(2回シリーズその1)

2013年12月04日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 先日城下カレイを食べさせる的山荘のことをブログに記述したが、的山荘は馬上金山で財をなした成清博愛の愛妾のために建てたと書いたところである。馬上金山のことが引っかかり、その後手持ちの資料で調べたところ、多くのことが判った。そもそも、元速見郡山香に金山などがあったとは思いもよらぬことであったが、場所をまず確定したかった。
現在は、杵築市山賀町大字内河野、大字下、大字立石にまたがる地域のようである。
馬上八幡神社や、馬上橋の名前が残ってはいるが、はっきりした地名はよく分からなかった。ヤフーの地図ではここらあたりに金山という地名なのか判らないが載っていた。
 大分県が1968年3月30日発行の「大分県の百年」という刊行物から引用することとした。

 タイトル 1億円以上の利益を上げた馬上金山
 佐賀関精錬所と共に、大正時代に繁栄した大分県の鉱山成金に、馬上(ばじょう)金山の開発を進めた成清博愛、信愛父子がいる。成清博愛は明治40年11月貞享年間以来の歴史を持つ速見郡石垣村の馬上金山第一鉱区を入手した。その後も第二鉱区、第三鉱区を買収し、大正四年四月には競争相手の鶴成金山株式会社をも統合した。そして大正五年から八年かけて、十鉱区350万坪(1,155万平方メートル)の金山を開削し、富鉱脈を掘り当てて、純益1億4,000万円を上げたたこともあった。

 馬上金山の成清博愛はその後、鹿児島の高鍋鉱山や大分鉄工所をも経営し、成清工業株式会社を創立し、また、成清銀行なども設立して、大分県経済界のホープとして飛躍的発展を遂げた。
 しかし、馬上金山の設備は旧式で、富鉱脈に出会わぬ限りコスト高で生産性は上がらないのであるから、第一次世界大戦後の恐慌の結果、毎月5万円の赤字を出すことになった。

 特に、石炭を燃料にした精錬作業では、経営に不利であるため、電化を計画したが、資金が続かず、結局大正十二年、これまで金鉱石を売っていた日立鉱山に経営を移すことになったのである。馬上金山を含む成清鉱業株式会社は、このようにして第一次世界大戦後の恐慌によって、日立鉱業に統合せられることになったが、大戦中の好況によりゴールドラッシュを現出した。しかし好況にもかかわらず生産設備の拡張を進めることは困難で、残業や夜業によって需要の拡大に応じて生産に従事したわけで、結局は破綻の種をまくことになるのである。以下省略。(次回へ続きます)

大分雑感 鶏の唐揚げ(2回シリーズその2)

2013年12月03日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 企業秘密でスパイスの構成は明らかではないが、匂いに敏感な犬でも好物なのには何か訳があるのであろうか。ケンタッキーフライドチキンのスパイスから想像すると、スパイスは、ブラックペパー、タイム、ガーリックパウダーであろう。塩味で衣は小麦粉を使っている。鶏肉に塩、ブラックペパー、ガーリックパウダーを振っておき、衣には小麦粉にタイムとブラックペパーと塩をよく混ぜて鶏肉にまぶす。骨付きの鶏肉を使う場合は低温で長時間揚げる。

 唐揚げのレシピは多くあるが、下味付けには蜂蜜や酒、塩、醤油が使われる。柔らかでジューシーに揚げるコツといえば二度揚げである。香料は好みでよい。もも肉の鶏肉を一口大3センチ角に切る。鶏肉には独特な臭味があり、臭味を取るため、ニンニク、生姜、タマネギのすり下ろしたものを少量加え、こしょうで味を調える。小麦粉や片栗粉をまぶして揚げればよいが、自宅では醤油にすり下ろしたニンニクを加え、よく揉み込み、30分寝かす。付け汁は捨て、片栗粉と鶏卵を入れて、良く馴染ませ下処理は終わりである。

 油温度を160~170度にし、低温で2分間揚げ、取り出して3分置き、油温度を180度に上げて、1分間揚げて出来上がりである。必ず二度揚げをすると中がジューシーで外側がカラッとした絶品が楽しめる。一度目の揚げではさほど鶏肉に色は付かないが、インターバルを置くことによって内部まで熱が通る。二度目はカラッとした口当たりを良くし、揚げ色を付けるために高温で短時間揚げる。冷えた唐揚げは再度揚げ、揚げたてを食する。比較的簡単な料理であるので、男性陣も是非挑戦されると奥方から見直されること請け合いである。(このシリーズ最終回です)

大分雑感 鶏の唐揚げ(2回シリーズその1)

2013年12月02日 00時00分01秒 | 緑陰随想


 鶏の唐揚げは手軽な揚げ物として、子供から大人まで人気が高い料理である。大分では国東や中津などで10号線沿いに唐揚げ専門店が並ぶ。以前はそれほど気にとめなかったが、最近は人気を博し、名物品にまでになっている。大分空港でも地元の料理として人気度が1位となっているようである。

 特養に入所中の97歳になる実家の義母はこの唐揚げが大の好物で、ご高齢姉妹との久々の顔合わせ昼食会では、バイキング風にと出された地元の唐揚げ店「花ちゃん」から買ってきた唐揚げの山盛りを食べ続ける。何という食欲か、周りは心配しながらの情景である。健康のバロメーターは第一に食欲である。高齢者だと油を控えめにとか、肉類より野菜をとかいわれるが、鳥の唐揚げは、別格のようである。

 いつ頃からか鶏の唐揚げが地元の名物になったのであろうか、時期は定かでないが、特に地鶏がおいしいと聞いたことがない。名古屋コーチンの料理なのであろうか、名古屋名物となっている手羽先の唐揚げも今日では名古屋を代表する味噌カツと並ぶ人気商品となっている。専門店では大皿に盛った手羽先をかぶりつくグルメが多い。

 ケンタッキーフライドチキンなども全国にフランチャイズ店がお目見えして久しいが、どこでも同じ味で好まれるのは、地域性がないのであろう。それとも日本人の口に合っているのかも知れない。人間ばかりでなく、我が家の愛犬も、フライドチキンを近所のドライブスルーで購入してくると、今日はご馳走がもらえると思うのか落ち着かない。ケンタッキーフライドチキンは犬には苦手の鳥の骨が、圧力釜で揚げる前に加圧されているので、尖った骨ではなくなると聞いたことがある。(次回へ続きます)