鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

市民アカデミー2016前期第2回目

2016年04月23日 00時00分01秒 | 日記

 映像の世紀第2集、大量殺戮の完成 講師河本哲也氏

 

 第1次世界大戦は二十世紀にはいてヨーロッパの各国の帝国主義は熾烈さに加え、ドイツ、イギリス、ロシア、フランスの対立があり、戦争へと発展していく。この対戦は我が国があまり関係しない世界での戦いであったため、国民の関心事は比較的薄く、日英同盟があったためか、連合国軍側に入り1914年8月23日にドイツに宣戦した。11月にはドイツ領であった青島(ちんたお)を攻撃した。1917年には日本の駆逐艦が地中海に出動して連合軍を助けている。1919年にパリ講和会議(ヴェルサイユ条約)で一応の決着を見たのであるが、1930年代に第二次世界大戦が起こる。

 

 映像の世紀ではナポレオン時代から続いてきた歩兵と騎馬軍団の肉弾戦であったが、機関銃の発明があり、戦争の方法は一変し、塹壕戦となる。塹壕を乗り越える戦車による地上戦から、海軍、空軍と飛躍的な戦争拡大へと進む過程での映像記録は、一種のプロパガンダであり、戦意を高揚する効果があった。チャーチルが話したとされるドイツ軍には、陸、海、空軍のほかに映像軍があったとの発言をご披露してくれた。

 

 この映像を作成した過程では、海外で眠っていて、上映されたことのない多くのフィルムが残されていて、戦争のドキュメンタリーとして、多方面にわたる悲惨な歴史を残している。塹壕戦におけるシェルショック(一種の精神病で、PTSD)の問題も映像を通じて明らかにされている。

 

 戦車が農業トラクターの改良版だとは知らなかったが、エスカレートする戦争は、毒ガス兵器まで続き、この連鎖反応は突き詰めれば、人の命をいかに効率よく殺すかという事であり、第一次大戦時に現代に通じるあらゆる武器や戦争方法が確立されたようである。

 

 映像を残すことで戦争の愚かさを伝える目的があるが、DVDとして完成させるには試写と修正を何度も繰り返して作られたようである。しかしながら、我が国の学校教育では20世紀に起こった多くの事柄については、ほとんど教えてこなかったとの感想を漏らしていたが、指導時間の問題や、戦争体験をしていない教師陣の在り方に対しても問題があるような気がしたが、それはともかくとして、戦争を引き起こす民族問題や、経済封鎖など意図して戦争を起こす背景も無視できない。世界人類が平和に暮らすにはあらゆる機会を使い、相互の理解を深め、お互いの立場に立った交流の必要性を強く感じた。


墓参と精進落とし

2016年04月22日 00時00分01秒 | 日記

平成28年4月20日 

 数か月前から同窓生の仲間の間で計画が進んでいた墓参と精進落としが終わった。集まったのは3人であったが、気心が知れた仲間である。墓地に近い小田急線の鶴川駅で待ち合わせ、タクシーを利用して奥さんが眠る墓地へ向かった。鶴川駅は数年前に大幅な建て替えが終わっていて、駅前のロータリーは多くの人が往来していた。学生が多い。墓地周辺は宅地開発が終わり、住宅地となっていた。住宅地のほぼ中央にある墓地は今の時代、大変珍しい。宅地開発前は、寺の敷地であった場所のようで、寺院が地権者であることで、設置が可能となったようである。

 

 静かな高台にあり、500坪ぐらいのこじんまりとした墓地であった。どの墓も10年も経過していないようで、現代風の墓石が並んでいた。まだ更地もあり、いずれは埋まることであろう。どういうわけか、中央部に更地が多かった。想像すると区画によって墓地の価格が異なるのであろう。ところどころに水場もあり、芝生が敷き詰められていた。

 

 管理人が、芝生に除草剤を散布していたが、芝生は枯れずに雑草だけを枯らす薬剤だそうである。管理人の話では、除草の注文が多くあり、この時期の作業ともいっていた。奥様の眠っている墓は御影石の立派な墓で、隣は亡き父親の墓、五輪塔であった。敷地内の管理事務所では墓参客に必要となる生花や線香を販売していて、何も持たずに墓参にきて、必要なものを購入する人が多いそうである。

 

 今までに五輪塔を見かけたことは何度かあったが、良く知らなかったのでウィキペディアで調べたところ、外国にはないそうで、我が国産ということであった。ルーツは卒塔婆(スツーパ)でインドあたりから渡来したが、密教の影響を受けたようである。本来はシャリ(遺骨)を入れる容器であった。わが国では供養塔や供養墓として平安時代に始まったとのことである。教理上では方形の地輪、円形の水輪、三角の火輪、半月型の風輪、団形の空輪からなる。それぞれに梵字を彫り込むこともあり、宗派によって若干異なっている。

 

 墓参の後は、鶴川駅前の割烹で、生前の奥様の話を交わしながらの精進落としを行った。墓からの帰りは徒歩で駅まで戻り、途中急な階段には息が切れた。すきっ腹に地酒は疲れた体に心地よく、すぐに酩酊状態になってしまった。丁度、3回忌に合わせての墓参となった。改めて、ご冥福を祈った次第である。


年度初めの震災その2

2016年04月21日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 地震の怖さは次に発生する地震の規模や地域に予想が付かないことであろう。一瞬のうちに安全とされる家屋を崩壊し、大切な人命を奪う。生活に必要なインフラを変えてしまう。道路網は崖崩れや、地盤の変形等の発生は、安定した物流を不可能にしている。高速道路の閉鎖、新幹線の脱線、航空関係では、離発着が不可能になる。この地震に伴う復旧は目途が立たない。このような状況にたいし、被災者は想定すら不可能な状態に直面することになり、判断力が低下し、主体的に行動できなくなる。

 

 今回発生している地震の特徴が僅かではあるが明らかにされつつあり、そのメカニズムもいずれ、分かることになるが、解明には検証が必要となり、一定の時間を要する。解明したとしても現状復帰だけでも莫大な人出と時間、費用がかかる。特に課題であるのは、被災者の立場に立った精神面のケアの重要性である。震災体験は大切なことであるが、それを他者へ伝達しても、経験していない方への共有はほとんど成果は上がらないのが実態である。決して、一過性の物ではない。その理由は、規模が特定できないし、被災現場が同じではないからで、ケースバイケースとならざるを得ない。

 

 安全な身の確保は、せめて、シェルターを至る所に作る他はない。いざというときの非常持出品も、役に立たないばかりか、長期間の生活を想定していない。地震に遭わないようには出来ないため、地震列島という我が国には時を選ばず、場所を選ばずの地震発生の可能性が排除できないのである。

 

 地震予知は過去の経験をベースによって組み立てられてきた。そのパターンは地殻変動のひずみの蓄積という説で、一定の蓄積が何かの契機で発散すると起こるとするものである。この発散は、劇的な物からゆっくりと起こる物までいくつかあるようで、津波のメカニズムと連動している。予兆は、地震発生前に起こるとされるP波とS波である。しかし、総ての地震の蓄積量が把握されているわけではない。現在の地震予知手段は総てに適合できるような判断が不可能であることは分かっていて、予知の適応困難性がある。人は自然を制御できていないともいえるが、予兆自体もある場合と無い場合とがある。

 

 地震の研究は今後も国を挙げて持続していかなければならないであろう。情報の蓄積と分析、想定範囲を拡大し、その対策をケースごとに地道であるが行っていく必要がある。度々の地震発生が、経済活動の停滞や生活への意欲や気力を失うことのない状態へ持っていくための情報発信と施策を国に求めたい。自然災害を理由として、諦めるのではなく、優先順位第一は震災による早期の被災者救出と行政の怠慢による二次災害だけは極力避けなければならない。


年度初めの震災その1

2016年04月20日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 例年になくあたたかな四月である。入学式、入社式等、年度が新しくなることによって、多くのものごとが変わる我が国である。年度は会計年度がその代表ともいえるが、我が国の教育制度が4月から始まることは、会計年度にかかわっているからであろう。欧米の9月が年度の始まりとしている国も多い。一度決まった制度は、そうたやすく動かすことができない。その理由は、全てのシステムが、4月を始まりとして3月末日に終了するように単年度決算を行っていることに他ならない。

 

 我が国は桜の開花と合わせるような感じを持つが、動植物の方は最も忠実に、過去から季節の変わり目とする成育サイクルを持っている。4月に子供を産み、子供の成育環境を考えれば納得いく。4月~6月と植物は多くが開花し、果実を育てる。その状況に応じて動物も生活のリズムを変えてきた。一番子育てにふさわしい時期でもある。

 

 その名残ではないが、4月~6月の時期は、草花がただ美しいばかりではなく、多くの動植物の活動期でもある。しかし地盤についてはどうであろうか。最近発生している九州熊本を震源に活断層の活発化が地震を起こしている。本震度7.3というエネルギーの発散は予兆さえも正確に表示できていないし、飛び火し、近隣各県にも及ぶようになってきた。県割は、勝手な歴史上の主導権争い決まったいきさつがあり、何も地政学的に分かれてはないため、飛び火したように感じるだけであり、本来は同じ地盤として存在ししている。

 

 関東に比べ、日頃から地震に縁がなかった九州であるが、温泉地がある場所は、ほとんどが火山地帯であり、地中のマグマが、地下水脈を温めて、地上に噴出している、または汲み上げて温泉として利用している。つまり、火山が関係していて、地殻が複雑に交差し、地盤相互のずれや移動で、地殻の摩擦熱が発生している。人類はこのような自然に対し、全くの無力であり、地震予知学会などは姿を消し、今や、ズブシロ集団の気象庁にお鉢が回り、つたない予想に加え、自信のない弁明に苦慮している様子が伺える。

 

 観光地として栄えた場所は、悲惨な状況に追い込まれている。東日本大震災と比べる必要はないが、被災者に対しては気の毒と思うが、同じ被災者が増えたわけで、前回の教訓が生かされない苛立ちは行政の在り方を改めて感じるところである。よく聞く格言に、のど元過ぎれば熱さ忘れるである。


初試乗電気自動車

2016年04月19日 00時00分01秒 | 紹介

 自分が乗っている乗用車の車検でディーラーの整備工場へ入庫した。整備が必要かどうかの検査を行ったところ、前輪を支えている保持部分(サスペンション)がオイル漏れをしていることを指摘され、交換することになった。部品の取り寄せから脱着には時間を要するようで、急遽代車を用意してくれた。それが日産が開発した電気自動車リーフである。新車で走行距離は2000kmまで行っていない展示用、試乗用の車であった。100%充電が完了していて、200㎞は連続走行可能という。

 

 家庭用の100V電源からの充電も可能とのことで、試乗する前に担当営業マンから取り扱いを学んだ。通常は日産販売店には充電設備を持っていて、200Vで行うそうである。そうすることによって、充電時間を短縮できるとのことである。町場には営業所があるので心配ないが、旅行等で遠出した場合は、ちょっと心配になった。充電にも多少の時間がかかるだろうし、充電待ちの電気自動車の対応等は、今後の課題であろう。

 

 多分、リチュームバッテリを積んでいるのであろうが、この寿命と重量も気になった。それは十分検討されてきたと思われるが、エネルギー源から考えると、ガソリンが将来枯渇した場合や、高騰すれば、検討してもよいであろう。車自体の排気ガスはないが、製造過程や供給する電気は化石燃料を使うので多少なりとも排ガスを生じる。

 

 営業所から自宅までの5㎞ぐらいしか乗っていなかったため、細かい点はあまり考えずに走行した。印象といえば、全く音がしないことである。車外の人にはなにがしかの音を出していると聞いたが、普通の乗用車とは異なるようである。慣れないせいか気にかかったところである。高速道路での走行は行っていないので知りえなかったが、加速についても一般道では問題ないようである。

 

 ギヤチェンジは単純化されていて、バック、ドライブ、ニュートラル、パーキングの4種であり、操作性も小型で慣れればよいと思われた。いずれは、自動走行が可能となるであろうし、人工知能を使った衝突防止装置など車が進化していることがよく分かった今回の試乗であった。

 

 充電についてはいくつか選択肢が用意されている。法人では充電サービスカードが発行され、急速充電気を利用すると1回30分で450円かかる。個人での取り扱いも当然あり、新車購入と中古車購入での違いで、月々の負担額が異なる。詳しくは直接営業所で聞く方が良い。 


市民アカデミー2016前期第1回目

2016年04月18日 00時00分01秒 | 日記

平成28年4月15日

 

 平成28年度の前期が始まった。今回は前年度後期と同じテーマを受講申請した。2コースを受講することにした。定員が決まっているため、申込みが定員をオーバーすると抽選になるそうであったが、幸い2コースとも受講できるようになった。コースは、映像メディア「懐かしの名作を語る」と大学連携「生活の中に生きている先端科学」である。前者は12回、後者は5回である。会場は前回と同じ武蔵小杉にある川崎市生涯学習プラザである。コースによっては、高津市民館、ミューザ川崎、麻生市民館、中原市民館等が利用される。

 

 講座開始前に、主催の認定NPO法人かわさき市民アカデミーから組織の紹介と今年度の講座の特徴について森田女史から話があった。認定法人格を昨年の12月に取得できたこと、社会的公共性が求められていて、地域に合った活動を企画したとのことであった。地域連携、企業連携、大学連携、教育委員会との連携を行ったそうである。また、認定されたことによって市民や企業からの寄付を受けやすくなったようだ。事務局のボランティア古田女史から説明があり、参加人数65名、資料代金、緊急連絡事項等説明があった。

 

 今回の講師は元NHKエグゼクティブプロデューサー河本哲也氏であった。3回連続での登板で、映像の世紀に携わったとのことである。このエピソード等を話す予定とされた。初回は、20世紀の幕開けである。1995年に放映され、既に20数年前に業務に携わっている。

 

 古くから情報伝達の手段は静止画と文書のみで、動画、動く画像が誕生したのは100年前ということで、人類の歴史からすれば極めて、そう古い歴史を持っているとはいえない。ここ100年で、高度の映像テクニック向上は、背景に人類の飽き易さがあるといえる。動画の初期はふとした思い付きによって、ルミエール兄弟がスクリーンに映写し、エジソンが試みた個人向けのアニメーションとは異なった重要な発見をしている。それは大衆が一堂に会し見ることができるというものであった。

 

 記録として登場したのは第一次大戦であり、それ以前は、富裕者の道楽であったようで、一般化したのは相当後のことである。長尺フィルムが登場し、静止画の連続を残像によって動きを発見したのが動画であるが、機械式に歯車に食い込むための送り穴があったことを知る人は少なくなった。この他にも多くのエピソード等を話されたが、専門すぎるきらいがあったため、割愛する。


コンピュータの修復その2

2016年04月17日 00時00分01秒 | マニュアル

 仮想メモリの変更はコントロールパネルからシステムを選択し、システムの詳細設定を選び、初期サイズと最大サイズを設定する。自動管理をしているのであるが、このチェックを外し、カスタム設定とする。実装メモリのサイズは、コンピュータのシステム概要を見れば分かるので、初期サイズを実装メモリの約1.5倍、最大サイズは実装メモリの約3倍を目安とした大きさである。表示はMb(メガバイト)で表示される。サイズの入力が終われば、設定をクリックし、OKをクリックする。変更結果は、コンピュータの再起動で有効となる。

 

 これでパソコンのアクセスがスムースに動くことになる。パソコンが重たくなる原因はいくつかあるが、使用している内に、メモリに常駐するファイルがメモリを占めることがある。メモリに常駐することは悪いのではないが、決まった作業を毎日するのであれば、アクセスが早くなる。 

 しかし滅多に使わないファイルは使用する都度呼び出してメモリに入れた方がよいので、常駐から外す。これはスタートメニューに入っているファイルをマイクロソフト社が提供しているFix itというツールを使えば簡単に選んでくれて、必要なファイルだけをメモリに残すことが出来る。

 

 次に、システム全体の機能が正常かどうかを確認しておきたかった。これはメーカーによって異なるが、デルではダイアゴノスティックという名称のツールで、診断プログラムである。CDで配布されているが、直接デルのサポートページから遠隔操作で診断可能である。

 

 これは主にハード面が主たる検査対象で、アプリケーションについては対象外である。今回の症状から推測すると、立ち上がり直後のファイルに問題がありそうであった。一度、正常に動いていたときの状態を記憶しているので、復元ポイントを指定して復元可能なのであるが、復元ポイント自体が故障が起こっていた最中にしか遡れないことが分かり、諦めた。

 

 最後の選択はシステムの再インストールであり、通常はハードディスクから立ち上げるが、これはインストールディスクをパソコンに認識させてそこから立ち上げる。システムの修復が付随していて、このファイルで修復可能かを見定めて、だめであれば、再インストールとなる。この結果を最終的な判断とすることにした。パソコン側から修復できたとするメッセージが表示され、再立ち上げ後、正常に戻った。


コンピュータの修復その1

2016年04月16日 00時00分01秒 | マニュアル

 女房が使っていたコンピュータの調子が悪い。最近、症状が徐々にではあるが悪くなってきた。さほど古いと思っていなかったが、2009年に購入していて、既に7年が経過している。Windows7OSに搭載されたディスクトップである。OSは既にWindows8.110と新しいバージョンとなっている。Windows8から従来の形が変わり、操作も簡単になった半面、取り扱いに慣れたアイコン等が、見えなくなってしまっている。画面の立ち上げはすぐに慣れたが、慣れるまではそれなりの期間がいる。

 

 Windows7は丁度端境期にあるといえる旧来型であった。MS-DOSから入った者には、DOSが最終的には力を発揮してくれるとの思いがあったが、コマンドラインを出す画面が、どこだかわからなくなり、ほとんど使わなくなった。お大容量のファイルであってもサクサクと処理できる能力に驚嘆していたが、寄る年波には勝てないのか、または普段のメンテナンスが十分でなかったのか、ゴミが蓄積し、使う度に反応が悪くなってくる。このことをパフォーマンスの低下といっているが、いろいろな作業に支障が出てくる。

 

 ついにはWindowsの立ち上がり画面がすぐに出てこなくなった。画面を表示するモニタが動かなくなった。症状が出始めのころは、しばらく待てば何とかモニタも画面を表示していたが、再起動をかけても反応しなくなった。数日間かけて、マニュアルを探し、故障診断ソフトを使い、繰り返し起動してみたが、全く反応しなくなった。

 

 そこで、結線しているあらゆるコード類を本体から外し、最初に荷が到着した時と同じ状態にした。コード類は7年間の間に汚れや酸化で、接触不良を起こすことが多い。接点復活材を使って、何とかもとに近い形にした。本来は分解掃除が必要であるが、時間の余裕がなかったため、今回は掃除を行わずに、コード類が機能しているかを見たかったからである。

 

 これによって、本体とモニタだけの構成にし、電源を入れてみた。見事に立ち上がるではないか、接触不良であったことが分かったが、こんどは立ち上げた途端に画面が黒色に変わり、アイコンが表示されない。ウインドウの役目をしていないのである。再起動をかけ過ぎると、なにがしかのファイルが壊れてしまう。ファイルの修復に取り掛かることにした。すると、今度は立ち上がるが、画面が凍り付く。多分、仮想メモリの設定が悪い。漸く設定のページに進むことができたが、その後も安定しないため、苦慮しているところである。