大きく育ったアユをゲット、果たして飲み込めるのでしょうか?
映像・メディアコース第11回目プロジェクトX第2回目巨大台風から日本を守れ~富士山山頂・男たちは命を懸けた~、講師はNHKエンタープライズ情報文化部長、井手真也氏であった。プロジェクトXの最初の作品であり、昭和38年~39年にかけてのプロジェクトであった。自分はこの放映を以前に見たことがあり、45分間の再放映は意味をなさない。
早々に会場を出て帰路についたが、音声をボリューム最大にして放映された会場では、余りにもうるさい。聞くに忍びなく、退散したのが本音である。講師の生誕が同年だということで、何を解説するのか若干興味はあったが、参考になるような話はなかったことも理由の一つである。ハード面での音響設備はあっても、普通の会場では、音響効果を生む設備となっていない。雑音に聞こえ、音響担当のボランティアに文句を言うわけにもいかず、その場を離れることが最善の策に思えた。
不特定多数の受講者をターゲットとしているため、このような状況は予想していたことである。会場に入って初めてサブテーマを知ったため、事前に分かっていれば初めから聴講しなかった。今までは常に新鮮な気持ちで何らかの参考になったのであるが、今回は興ざめであった。講座の企画に当たっては、すでに半年前から決まっているし、一度決めたテーマをよほどのことがない限り変えることは難しいが、講師の都合もあるだろうし、キャンセルはこのような講座では起こりえるので、仕方ないのであろう。
今回の選択した講座について言えることであるが、できるだけ講座の内容について伝える必要があろう。題目だけを掲げても、その内容が重複したものであれば、聴講する意味がない。想像でしかコースを選択できないのであれば、もはや興味は失せる。受講生の多くは、題目が同じであっても、映像の説明に角度を変えて聞きたいと願っているのであり、同じ映像を何度も見るために聴講しているのではないであろう。多くのコースが存在し、活況を呈しているのは喜ばしいに違いないが、そこには、聴講生の本音をしっかり捉えた企画の大切さが横たわっている。ないものねだりと思われても仕方ないが、企画側の発想の豊かさを期待したい。
講師の人選には多くの要素がある。実際の選定する時間はたいへん短いと思われるが、その意味では、時間との勝負であり、現役の講師の諸処の条件に合わないと選出することすら難しいであろう。しかし、聴講生も単なる暇つぶしではないのである。それぞれ、思いがあって聴講しているわけで、あてがいぶちでは満足は得られない。受講生の生(なま)の声を聴く必要性を感じている。
奈良の飛鳥山の池の跡で発見されたという日本最古の鍵は、海老錠とのことで、時代をさかのぼれば7世紀後半、今から1400年も前である。このころには中国から渡来した鍵があるようで、穀物倉庫や、宝物殿などにはすでに錠前がつけられていた。それには理由があったことであるが、推測すれば、誰かから盗難されないように考えて着けられたのであろう。
そこには身分制度があり、貧富の差があったと思われるし、たとえ、貧富の差がなくても、盗難があるとすれば、現代とさほど変わらないのかもしれない。鍵は大変奥深いものがあり、非常に人間的である。つまり、鍵をかける。鍵を開けるなど人間同士の知恵比べがあったということで、開ける側、かける側、それぞれに知恵を駆使するというところがゲーム心を掻き立てる。
海老錠は形が海老に似ているからといえるが、大変合理的な鍵である。本体と施錠する部分、鍵を開ける部分の3つから構成されていて、施錠する部分の原理は、バネ機能をうまく利用しているといえる。バネは、通常開いていて、閉じた形で、穴にさしこむと、穴を通過すれば、バネの力で開くため、差し込んだばねは、差し込んだ穴に合うようにすぼめなければ、穴から抜くことができない。開いたバネをすぼめるために利用するのが、合いかぎである。
今回発見された海老錠は、心棒に二枚の板状のバネが開いた状態で取り付けられていて、開いた状態をすぼめるための治具というか、合鍵になるのであるが、反対方向から差し込んで、開いたバネをすぼめ、穴からばね部分を引き抜く。文章にすれば理解しにくいと思うが、要はばねの力で、狭い穴の部分もばねをすぼめれば通り抜けることができるという単純な原理である。
しかも、正倉院の宝物殿等に利用されていて、この原理は今でも実用可能である。鍵は、2枚のバネをすぼますことができる形状にしておけば使えるので、当時の材料で硬く、容易には切断できない鉄が利用されたのである。舟形の施錠も同様な原理であり、バネをすぼませるものがあれば簡単に解錠できる。これが7世紀後半にはわが国で使われ始めたという歴史には驚く限りである。
鍵に似た機能に知恵の輪がある。これも理屈を知れば簡単に解くことができるが、簡単に解けないところに人をだますカギに通じるところがあり、この世界も大変興味を注がれ、奥が深い世界である。
我が家のイチジクの木には昨年より果実がなり始めた。今年は新芽が出てからすぐに小さな果実をつけていたが、今の時期、収穫できるようになっている。しかし、梅雨期は、大きくなっても、甘みは少なく、完熟しない。仕方なくジャムにすることにした。大きさは大変大きく、握りこぶし大である。こんなに大きいイチジクが育ったことに驚いている。
すでに、成長している枝には、イチジクの実がついていて、大きくなるのにはしばらくかかると思われる。このように、二回収穫できるとは知らなかった。雌雄同株であり、受粉する必要もない。無花果と書いてイチジクと読ませるが、不思議な果実である。被子植物で、クワ科である花を咲かさずに実をつけるように見えるが、花軸が肥大化し、花嚢の中に無数の花(小果)をつける。このような花のつき方を隠頭花序(いんとうかじょ)というそうである。
中国から伝来したようで、蓬莱柿、南蛮柿、唐柿ともいわれていた。古くから栽培されていたようで、原産地はメソポタミア、6000年以上前から栽培されていた。地中海、古代ローマではありふれた果物であったようである。我が国には、江戸時代の初期、長崎に伝来した。果実は生食のほかドライフルートとして利用されている。果実には、果糖、ブドウ糖、たんぱく質、ビタミン類、カリウム、カルシウム、ペクチン等が含まれている。
ジャムの作り方はさほど難しいわけではない。果実の外側を取り除き、短冊に食って、砂糖とともに鍋で煮込む、出来上がり前にはレモン汁を加えて風味を出す。特徴的なことといえば、ペクチンが多く含まれているので、短時間加熱で仕上がることであろう。 あくが出るわけではないし、作りやすいジャムの部類に属する。
この時期イチジクは走りで、価格も高い。ジャムにするイチジクは完熟していた方が、香りが出るし、風味も強いようである。作りながら思ったことは、アダムとイブが、イチジクの葉を腰ミノに用いていたとの伝説である。イスラム世界でコーラン(クルアーン)といえば、イスラム教経典であり、この経典の95番目にイチジクのことが記されているという。
宗教と密着していることは、日常生活に関係が深いということで、不老不死の果物(薬)として古くから多くの民族で愛されていたのであろう。イチジクジャムを食しながら、古人(いにしえびと)の食生活に思いを馳せたところである。
東京都知事選の立候補者が揃いつつある。今日はニュースキャスターの鳥越俊一氏が立候補を行った。野党の与党対立候補として抜擢されたようである。人物は野党がス推薦するとしても、立派な人物として、知事に選ばれるとすれば、都政を引っ張るにふさわしい人物と思われる。芸能人が悪いわけではないが、人気で都政を引っ張ることは不可能であろう。都民の反応はさまざまであるが、願わくは、スキャンダルに染まることがない人物を選んでほしい。
お笑い芸人が悪いわけではないが、果たして組織のトップとしての行政能力から推量すれば、何も冒険を犯す必要はなく、単なる芸の世界でちょかい出すなといいたい。気はバラエティ番組では良くても行政に役立つかといえば、全くの筋違いで、東国原にしても、宮崎県知事を経験したとはいえ、そのレベルが都政に通じる保証もないし、座興で済ませることではない。東京都も不幸な知事を暦年続けてきたことの愚かさを感じている。逆のいい方をすれば、誰でも知事は務まるという、誤解を生んできたことである。芸能的な人気が、そのまま都政のトップとして務まるわけではないことは、すでに承知されている事実である。
石原、猪瀬、舛添とよくもこの程度の人物を都民が選んだものである。案の定、都民の立場で都政を引っ張ることはできなかった。金銭欲や、私欲にまみれた引き際のふがいなさは記憶に新しい。知事は知事選によって選ばれるし、都議会のトップとして君臨する。しかし都議は都議戦によって選ばれるため、そこに埋め尽くしがたい組織上の権限の不透明さを感じている。一層のこと、都議選で選ばれた議員の中から知事を選べばよいのではとの邪推が働く。選出システムについては知る由もないが、なぜか漠然としていて、その手法は全国に及んでいる。
二重行政とまでいわれるこの選出方法に対し、都民や他の知事を選出する側の疑問はないのであろうか。責任分散と組織運営は異なることは最初から分かっているのに、なにゆえに知事と議員を別々に選ぶのかが理解しがたい。日本人の綱渡り精神がなせる技としても、国際的に理解が得られているのか疑問だらけである。
そのことはさておいて、選挙制度が持つ多数決方式が相変わらず、まかり通ることになるが、施政方針の演説やその機会がなく、短期のうちに都議選が企画されている。実際には候補者が考えるそれぞれ異なる都政に対する思いを、ぜひ公開の場で語ってほしいと思う。そのことなしの人気投票であれば、将来の都政に禍根を残すこととなるのは明白である。
争点がはっきりしない選挙であったが、開票が終わり、与党の勝利で終わった。というよりは選挙によって新たな人材による付託の始まりである。政権側では当然の結果であったというであろうし、選挙に負けた野党側では、有権者に対し、主張した内容の浸透が十分ではなかったといい、有権者の動向に対しての反省を行っている。得票数で順位が決まる選挙制度は、前回も触れたが、多数決制度の代表的な意思決定制度である。数(得票数)が多ければ地区別や、政党別の得票によって、あらかじめ決められた議員数を選出するのである。
従来からいわれているように、割り振られた当選者数は、居住地域の有権者数によって、得票数に差が出てくる。1票の格差という問題である。この格差が少ないに越したことはないが、人口密集地と過疎地とでは居住面積の違いや人口密度の差があるため、必ずしも同一とはならないし、年齢構成も異なってくる。したがって、同日選挙といっても選挙区による違いは得票数ばかりではなく、居住環境によっても異なることが分かる。
つまり、全国で行われている選挙は、同一のような条件と思われているが、多くの点で、違いがある。選挙結果の処理は当然同じであり、投票日、投票時間、投票方法等は同じになっている。そこには不正が起こらないように厳重なチェック体制を持ち、選挙管理が行われている。不正が行われることは皆無とはいえないまでも、選挙が無効となるような事態には至っていない。
有権者がどのような選択をするかは、開票するまではわからないが、開票開始とともにほぼ動向がつかめるのは、出口調査なるものの存在である。そのほか、過去のデータによることもあり、発表する側のノウハウがあるようで、大幅な狂いはない。
今回の選挙においても、党首が落選するといったことも起こるし、得票数によって比例方式による当選者を決める選挙も同時並行で行われている。その意味では投票による選挙で落ちても比例選挙で復活することがあり、違和感を覚えざるを得ないが、政党によるグループ分けも意味があるから採用されていると思われる。
しかしながら、将来を予測しての選挙は、ある意味では、人物のすべてを知っての投票ではなく、十分な担保があるわけではなく、賭けに近い未知数の期待が含まれている。全権を委任しているのではないといっても、任期中の付託は、議員となってしまえば豹変しても仕方ない余地を持つ。
連日、曇天が続いていたのであるが、今日は晴天に恵まれた。参議院議員選挙の当日である。選挙を済ませてからの外出と聞こえは良いが、夕方8時までの投票時間があるということなので、午前中に、町田市の薬師池公園のハスを見に行くことにした。薬師池のハスは大賀ハスで、親株は、図師大橋という場所で、薬師池から距離にして3㎞ぐらい離れているが、セットで見に行くことにした。
写真撮りで外出するときは朝方いつも声をかける近所の友人と一緒であった。何度か現地に一緒に行ったことがあるので、9時に待ち合わせ、ご自宅でピックアップした。乗車時間は1時間ぐらいであったが、日中の陽射しは強く、真夏を思わせる気温であった。先に図師大橋の方へ回ることにしたが、しばらくぶりであったため、脇道を一つはやめに曲がってしまい、日大高校の裏手に出た。目指す方向に車を進め、小田山神社の周りにある蓮田についた。
ハスはつぼみの状態が多くあり、時期的に二三週間早い感じがした。開き加減のハスもあったため、カメラに何枚か収めた。すでに数人のカメラマンがいたが、気にすることもなく蓮田に入っていった。蓮田には看板が立っていて、大賀先生が発見して生育に成功したことや、千葉からこの地に株分けしたことが発端のようであった。このほか、ハスの繊維を利用し製糸としたものを布に織る技術も紹介されていた。
写真を撮り終えたあと、薬師池公園に向かった。地元農協による朝顔とホウズキ市が開かれていて、まばらの買い物客が興味ありげに手にとって、農協の係員から話を聞いていた。入り口近くには大きな鉢に入れたハスを見たが、ここもまだ満開には至っていなかった。一回りして見学を終えた。
最近池の水をさらったようであるが、水質は見た目では変わりがないようで、期待していた透明な池ではなかったのは残念というほかない。出来うるならば、浸透してくる水を浄化させるとよいのであろうが、それほど大掛かりなメンテナンスではなかったようである。水質が透明度を持つには浄化機能だけではなく、周りの落ち葉や、池に入る多くの水路もメンテナンスをしなければならない。そのほか、循環等の問題があるのかもしれない。ミドリガメが多くいたが、今回はほとんど目にしなかった。
お昼近くになり薬師池を出て、帰路についた。途中、いつも讃岐うどんの店に入り、ぶっかけうどんを食し、満腹となった。知人も満足したようであった。
平成28年7月8日
今回から12回までプロジェクトXの3回のシリーズが始まる。中島みゆきの曲が流れる、ある意味、現代社会の特異な分野が始まった。初回は腕と度胸のトラック便、宅急便のクロネコヤマトの流通業界に投石した挑戦話である。手間のかかる個別の荷物の集配と宅配である。採算性を度外視し、この分野に新たな開拓を目指し、見事成功したクロネコヤマトの成功談であった。講師は、NHK政策局企画開発チーフプロデューサー小原美和子氏である。
前回と前々回は都合で、出席出来なかったが、前半は画像の解説もなく、DVDの放映がメインであった。作品ができる段階での苦労の一端のご披露があった。企画の段階では、小倉昌男社長の人なりを紹介することを中心とした脚本であったが、社長からの頼みで、現場で活躍したドライバーに焦点を当てることを勧められた。そのことで設立当初のご苦労話が採択されたようであった。放映後の反響は素晴らしいものがあり、大手から中小に至る宅配便業界から、高い評価がなされた。
すでに、宅配は、参入している企業が30社となっていて、1兆円産業ともいわれている。ヤマト便は、全国どこでも届く翌日配達をスローガンと産地直送をあげ、9万人の従業員を抱え、着実に実績を構築してきている平成40年には、荷物量は16億個の予想である。
今回のハプニングは、ビデオの主役であった、北海道の支社長を経験された加藤氏の会場への参加であった。小倉社長が社是として取り上げた、サービスが先、利益は後に、全員が経営者、ドライバーこそが花形であり、ドライバー一人一人が「すしや職人」であるとの実践者でもある。実際の現場で経験されたご苦労の一端が披露された。
個人の荷物は、単なる荷物ではなく、送り手から受け手への心があり、思いが詰まっているとの荷物に対する取り扱い上の極意ともいうべき事柄で、配送人は、両手で丁寧に相手へ届けることであるとのことは、宅急便のヤマトが長年の経験の中から、つかんだ哲学ともいえるものであり、それも最大級の哲学なのである。
加藤氏は、東京出身であり、礼文島の営業所開設が最後の仕事だったようである。大型貨物車の許認可には相当ご苦労があったことが触れられていた。現在に至った道が決して平たんではなく、多くの難関があり、そこを踏破してきた自信には将に脱帽であった。