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考えの内容

2018-12-21 20:25:21 | 教育

>働いていると日々いろいろな出来事に直面する。>全てが当初の予定通りに進むことは当然少なく、様々な問題を克服しながら期待成果の創出に向けて努力している。

そうでしょうね。

>私自身、多くの報告や相談を上司に行い、支援を求めてきた一方で、今では、多くの報告や相談を受け、日々メンバーと共に奮闘している。>物事が順風の時にはあまり考えることは少ないと思うが、逆風の時は辛いことも多く、悩み、苦しみの中で誰もが一度は「自分は何のために働いているのだろうか」と考え込む経験をお持ちだと思う。

そうですね。金の為とばかりは考えられませんね。

>特に我が社は「人材育成の支援」を生業の中心に置いていることもあって、「そもそも何のために働くのか」という問答は、若手の研修の中でも、管理職の研修の中でも、ベテランの研修の中でも取り扱うことが多い。

「そもそも何のために働くのか」の内容は、人さまざまでしょうね。

>「働く」という行為の意味に改めて向き合う機会として、今回のコラムでは、「働くとは何か」について考えてみたい。

哲学的な内容になりますね。

>少しだけ我が社の紹介になるが、リードクリエイトの社員は、「働くことが好きな社員」が相対的に多いと思われる。

それは、結構なことですね。

>「好き」という言葉に語弊があるといけないが、「自らの意思で一生懸命働いている社員」が圧倒的に多いと思う。>これは我が社が誇れることの一つだと感じている。

自発的な人が圧倒的に多いのですね。日本人には ‘意’ はあっても、それは ’意思’ ではなくて ‘恣意’ (私意・我儘・身勝手) でしょうね。

>先日も、入社2年目になる若手プランナーが早朝から本(人事関連の専門書)を読んでいる姿を見かけた。>そして、日中は訪問活動を一生懸命行い、勤務時間終了後も、黙々と読んで必死でメモしている。>我が社ではよくある光景の一つなのだ。

彼は、勤勉な人ですね。

>単純に、国が定めた社会的なルールに当てはめてしまえば、「勤務時間外の業務扱いになるから、残業せずに早く帰れ!」というのが管理者としての“正しい声掛け”になるのかもしれないが、「ここが踏ん張りどころだ。このまま頑張れ!」というのが頑張ろうと努力している人間に対する“正しい声掛け”なのだと思う。

それは、我々にお馴染みの ‘頑張って’ の掛け声のようなものでしょうね。

>彼自身の日々の行動からは、「やらされ感」は感じない。>口には出さないが、「自分はまだ足りないから、役に立てていないから、いつか貢献できる人間になりたいから」という気持ちが伝わってくるのだ。

滅私奉公にはならないのですね。

>当然、辛い時もあるだろうし、サボる時もあるだろうが、自分の意思で必死に頑張っている姿を見ると、応援するのが当然だろう。

恣意を鍛えて、意地・根性・大和魂に育てているのではありませんか。精神主義でしょうかね。

>『自分に何ができるか。自分はどのような貢献ができる人間なのか』>これは「働く」を考える時にセットで考えることだと思う。

社畜の精神ですね。社畜も家畜も貢献ですね。それでも欠けているものがある。それは、何か。

>究極のところ、「自分とは何者か」に対する自分なりの解であるのだが、この“解”を導くことが非常に難しい。

‘我々はどこから来たか’ ‘我々は何者であるか’ ‘我々はどこに行くのか’ は、誰もが考えるべき命題でしょうね。しかし、日本人には無理でしょうね。内容が非現実 (考え) だからです。

>鷲田清一氏の言葉で「“他者の他者であるという視点”からしか個性は見えてこない」というものがある。

それは、外観から判断できる個性のことでしょうね。

>つまり、個性とは個体差であり、その「差」は対象があってはじめて見えるものであり、結局のところ、自分という存在は「他者の他者」というレンズを通してしか見ることができないのである。

それは、外見のことでしょう。アニマルと同次元の個体差のことでしょう。レンズを通して見えるものに重大な違いというものはありませんね。
人間の個性は非現実 (考え) の内容であるべきでしょう。これはレンズを通しても見えません。その内容は単なるお話であるから、理解を通してしか違いを知ることができませんね。この非現実の内容が重要です。非現実の内容を現実の内容に変換できれば、それは創造力を発揮したことになります。理想社会の建設も可能になります。

>そのため、自分という個性を自分の内面のみに求めてみても、普通の人にはわかるはずがないのだ。

自分の内面を相手の内面と比較すれば、個性の違いはわかりますね。ですから、意見交換は大切ですね。

>そして、ここで言う「差」は、良い方向の差である必要がある。

善悪の方向も対話の中でおのずと判明しますね。

>つまり、「どのような貢献が自分にはできるか」、もっと言えば「どのような貢献が自分にしかできないことか」が個性であり、この解こそが、その人の価値(個性)=生きる意味(存在意義)であると私は考える。

我々には、未来社会を建設する努力が必要ですね。移行すべき社会の内容を自分自身で明らかにして、建設的な相手を求める必要があります。建設的な協力を通して、夢と希望のある生活が送れるようになります。

>「“自分は”何がやりたいか」を起点としていては、永遠に辿り着けないことなのだ。

自分のやりたいことが大切ですね。自分のやりたいことを天下に公言したらよい。公言が、自己実現の始まりになります。

>今回のテーマである「働く」とは何か。>「貢献を通じて実感する“自分が生きている証”」>これが“自分なりの答え”だ。

無哲学・能天気は良くないですね。実力・実感以上の内容が、我々には欠けているのではないでしょうか。


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