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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

長谷川豊氏

2018-12-22 22:49:21 | 政治


>「長谷川豊氏はそもそも本音で議論したら社会は壊れるという大前提を忘れてるんじゃないだろうか(リンク)」という記事を見た。

本音 (恣意) で議論したら、社会は壊れますね。恣意とは、私意・我儘・身勝手のことです。本音には、社会性のかけらもない。

>(以下引用)
>>だから人間の本音は仲間内で管を巻くぶんにはかまわないが社会に組み込まれてはいけない。>>個人の本音はけっこうな確率でいびつでゆがんでいて社会性のかけらすらないことがほとんどなのです。

そうですね。本音は、文章にならない。ばらばらな単語 (小言・片言・独り言) のままで存在します。意味も無ければ、矛盾も指摘できません。もちろん、議論にもなりません。

>>人間はその能力以上に知力や理性を鍛えることのほうがはるかに難しいものです・・・僕の短い人生という経験上はいまのところそういうことになっています。

そうですね。理性判断 (rational judgment) のできる人間になることが大切ですね。

>(以上引用)
[以下長谷川豊氏]
>「本音には社会性が無い。>だから建前は大切」という議論はよくある。

建前とは、言い訳 (口実) のことですね。

>本音で社会が統合できないなら、人類は常に本音を押し殺し建前で社会を作らなければならなくなる。

本音と建前の社会には、誠意は感じられませんね。

>そうなれば何らかの建前に収束していくのも当然であって、本能や共認を否定・捨象して出来合いの観念に飛びつく。
>(「勉強脳」が大人になっても継続し得る背景ではないか)

相手から建前を聞いて、自分の腹の虫を抑えるのですね。

>しかし、建前という観念では統合できなくなった社会にあって、照準を当てるのはむしろ本音の方だ。

本音は、良くないですね。英米人から目の敵にされます。本音には、リーズン (理性・理由・適当) がないからです。’恥を知れ’ (Shame on you!) の一語で決着がつきます。理性判断のできない人間のみじめさを初めて体験することになります。わが国は恥の国であると言われているが、この種の恥が存在しない。

>そして、本能や共認からできている「本音」と、そこに混入している自我を理解して、その発現をコントロールできれば、新しい社会を作るための観念群を構築していけるはずだと思う。

我々には、‘あるべき姿’ の内容が必要ですね。無哲学・能天気ではいられない。
あるべき姿の内容は、現実の中にはない。非現実 (考え) の中にある。
日本語を使うと、現実の内容は文章になるが、非現実 (考え) の内容は文章にならない。
非現実の内容を文章にするには、文法に時制 (tense) というものが必要である。時制があれば、過去・現在・未来の独立した非現実 (考え) の三世界の内容を文章にすることができます。時制は、英語にあって日本語にはない。
だから、我々日本人は日本語と英語の両方を学び、時制の有用性を十分に理解して、自己の考え (非現実・観念) を表明できるようにすべきであります。

>われわれは自我を恐れず、本音で議論しあうべきだ。

我々は、自己表現の手段を手に入れて、自己実現に日夜励むことができます。自他の自己表現を突き合わせることにより、建設的な議論も可能になります。大同団結して、未来社会の建設に励みましょう。


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既成の社会

2018-12-22 18:33:51 | 政治


>就職状況がいいということは、いいことでもあり、具合の悪いことでもある。>なぜなら就職とは、既成の社会組織に組み込まれることを意味するからである。

就職状況がいいと、社会が停滞するということになるのですか。

>その社会に大きな目で見て問題があるとすると、個人はどうすればいいのか。

一朝一夕には行きませんが、個人は ‘考える人’ になる必要がありますね。

>戦前の日本がいわゆる軍国主義に走ろうとしていたとき、国民は何をどう考えればよかったのか。

国民は、座して死を待つしかないのでしょうかね。単純な抵抗勢力となるのか。

>メディアの報道を見ればわかる。>メディアの人たちも、典型的に社会に組み込まれている。>だから結局はその常識で記事を書く。

そうですね。メディアの人達も時流に流されていますね。

>そのことは、戦前の新聞に目を通せば、まさに一目瞭然である。>現代なら、就職状況はいい、保育園の待機児童は多い。>そういう類いの記事になる。

そうですね。

>では就職は人生を全うすることであろうか。

そう考えるよりほかに、仕方がありませんね。

(略)
>保育園の待機児童については、常に思う。>理想的な保育園ができたとして、その時に親はいったい何をするのか。

その時、親は何もしないでしょうね。

>私は言いがかりをつけているのではない。>保育園の理事長も三十年以上はやった。>そこで感じるのは、子育ての問題に現代人は本気のようで本気ではない、ということである。

そうですね。現代人は、’本気のようで本気でない’ ですね。無哲学・能天気ですからね。

>待機児童の存在自体が問題だ。>報道を見ている限り、そう思ってしまいかねない。

そうですね。

>少なくとも政治家は、頭の中では、そう切って捨てているはずである。>切って捨てられているもの、それは何か。>子ども自身の、子どもとしての人生であろう。>結局は万事、親の都合だからである。

そうですね。報道陣も政治家もご都合主義から来る見解を述べているのですね。子供の ‘あるべき姿’ など、どこにも論じられていない。 

>子どもに投票権はない。>子どもは大人になることを前提として扱われている。>そういう存在でしかない。>世間から子ども自体としての価値が消えた。>そういってもいい。

そうですね。大人は、子供を世間から厄介払いした。

>だからそれを補っているのがペットである。>少子化になるのも、無理はない。>どこをどう見ても、そう思えて仕方がない。

ペットは、子供の代用品ですか。ペットの数を減らせば、子供は増えるのでしょうかね。

>ローマ人は大帝国を築いた。>しかしやがてラテン語を話す人たちは消えた。>おそらく古代ローマは現代日本と似たようなものだったのであろう。

古代ローマも現代の日本も、ご都合主義に根差していたのでしょうね。

>既成社会はどこに向かおうとしているのか。

‘我らは、どこに向かうのか’ は、我々にとって大切な命題ですね。答えは未来時制の内容になりますから、日本人には答えを出せないでしょうね。

>現在の日本人の常識を変えず、生き方を変えないで、そのまま経過すると、日本社会は消える。

無哲学・能天気では、そうなるでしょうね。日本語使用では、’あるべき姿’ は出て来ませんね。’あるべき姿’ は、’今は無い姿’ である。現実の中に ‘ない姿’ は、わが国では ’嘘’ の内容としてとりあつかわれます。

>どこかでまた人が増え出すというのが、大方の意見である。

相変わらずの希望的観測ですね。他力本願・神頼みか。

>そうかもしれないが、そうでないかもしれない。

May be, may be not.

>就職率がよく、したがって多くの若者が就職する。>ということは、既成社会がさらに続くことを意味する。

そうですね。<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

>つまり長い目で見ると、日本人が消えることを意味するのではないか。

そういうようなこともあるでしょうね。これは、古代ローマ滅亡の再現か。

>だから私は、現代社会からいわば外れている人たちに注目する。

そうですね。現代社会から外れている人たちは、無哲学・能天気でない可能性がありますね。

>先に挙げたような人たちを見ていると、それが悪いとは思えない。>むしろ世間から外れて当然ではないか、という気がしてくる。>むろん困ったふうに外れている人もいる。>それはいつでもあることである。>だから外れろということではない。

勿論、そうですね。


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養老孟司氏

2018-12-22 11:23:15 | 日本語脳


>私 [養老孟司=ようろう・たけし] は20歳から37年間東大で解剖をやってました。>ある時思い立って辞めた。>外へ出たらびっくりしました。>世の中こんなに明るかったのか、と。

大学の中は、暗いですからね。

>辞める時に2年先輩の教授から、「ここは我慢会だからな」と言われた。>日本の勤めは我慢会なのですね。

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。日本人のメンタリティ (考え方) は昔から同じですね。

>一番我慢した人が一番偉いのです。

序列社会の鉄則のようなものですね。

>学校の卒業証書もそうです。>ちゃんと年数だけ辛抱できた証明書なのです。

辛抱のお墨付きが大切ですね。

>2年経って初めてまた東大に行った。>おれ確かにここに勤めていたことあるなーと思った。>まさに前世の感覚なのです。

郷愁ですね。

>福沢諭吉は「一身にして二世を得る」、つまり一つの体だけど二つの時代を生きた、と言っています。>昔の仲間が昔通りのことを話すのを聞いていると、自分が二人いてその中に入っていく自分と入っていない自分がいる。

世の中には、変わる人と変わらない人がいますからね。

>周りも辛抱していると、我慢会だけが人生じゃないとなかなか気がつかない。

人生には転機が必要ですね。

>辞めた瞬間に世界が明るくなったのは、そういった辛抱が全部消えたからであります。

辛抱の世界は暗いですね。

(略)
>予測と制御というか、予めこうなるというルートに沿って今やることを調整する。>その典型がロボットとミサイルです。 >で、人間はそうか、と私は聞きたい。

人生は、予測がつかないですね。神の御心に誘導されているのかな。

>死ぬまで何をするか決まっていない。>それが生きるということですが、現代生活では定年になったらどうするか、とかかなり前から準備している。

定年後の生活が楽しみですね。

>そういう生き方を見ていると、ひょっとしてあの人はロボットに生まれた方が幸せだったのでは、と思うのです。

無哲学・能天気でいれば、ロボットになれますね。

>人は変わります。>自分が何10年か生きてきた世界が前世に思えるのは素直な感覚です。

そうですね。

>どうして前世かというと色が付いていない。

前世の話は、話の筋である。言語の内容である。話の筋には色がない。非言語の記憶内容のようにナウな感じがしない。

>今私が生きている世界はものすごく明るい。

それは、現実の世界ですからね。

>ちょっと生活を変えてみると色付きだと思っていた世界が実は白黒だったことに気がつく。

目先手先の世界 (現実) 以外には、色がない。

>その感覚が日本は特に強い。>それを補強しているのが世間です。

過去は疾く風化する。わが国人の脳裏には、非現実 (考え) の独立した三世界 (過去・現在・未来) は存在しない。

>自分より周囲の考えに従って行動する。

日本人には、意思がない。優柔不断・意志薄弱である。我々の行動は、受動的な行動の連続ですね。

>私は官僚の世界で長いこと我慢会をやったお陰で、腹の底は違っていても表面は合わせられる癖がついた(笑)。

‘お前らに、俺の腹の底が読めてたまるか’ ということですね。

>私は小学校2年で終戦で、戦前の教育がポッチリ入っている。

大変な戦争でしたね。でも、一億総玉砕はまぬかれて良かった。

>大人は食い物の始末で大騒動で、子どもは放って置かれた。>こんなに子どもらしく育った世代はない。

大人は、食うことに追われた。浮浪児もたくさん出た。

>次の世代は50代前半、全共闘です。>戦後の典型的な民主主義教育を受けた。

衆愚政治・烏合の衆になるための教育だったようですね。

>正義感が強い一方殺人が多い。

力は正義ですからね。Might is right.

>40代以下で典型的なのは上祐さん。>全く意味のないことをダーと言える。

声を出すのには、意味は必要ないのでしょう。

>今の新聞は大事なことを言わないために一生懸命いろんなことを言う。

日本人は、意味 (meaning, significance) に縁が遠い国民ですね。 ‘意味・意義’ を追及する者はいない。

>もし本音を一言でも言うと大騒動ですから今は。

本音は恣意 (私意・我儘・身勝手) ですからね。

>学者にも目立ちますね。

学者・素人の区別に本音は関係がないですね。

>世の中が違った人達によって作られると多分違ってくるでしょう。>違ってきた世界を見たいような気もするし大して見たくないような気もします。

そうですね。違ってきた世界を見ると、それ相当のストレスがかかりますからね。

>(おわり)


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