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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

グローバル化

2018-12-07 21:24:02 | 政治

>グローバル化を進めた結果、国家間や民族間の対立が激化してきた。>グローバル化は多様性を認めあう社会を目指すが、多様性を認め合おうとした途端に『対立』が表面化せざるを得なかったというのが現実だった。

多国籍企業からすれば、個人の人種・宗教・軍事・領土・文化・経済・思想・歴史の対立は、彼らの商売の邪魔になりますね。
多国籍企業の経営の効率化と利益の極大化は、はたして個人の幸福につながるのでしょうかね。我々全員は、多国籍企業に養われるようになるのでしょうかね。
我々人類は、大切にしている民族性を金持ち (多国籍企業) に売り渡すことになるのかな。さすれば、人類は平和・安定に結び付くということですか。

(略)
>^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
>グローバル化が進むにつれて起きているのは、人種対立と宗教対立と軍事対立と領土対立と文化対立と経済対立と思想対立と歴史対立である。

これらの対立をさける手段として、昔の人は鎖国をしていましたね。グローバル化は、反鎖国である。

>グローバル化は欧米の多国籍企業が経営の効率化と利益の極大化のために取り入れた方向性なのだが、これが企業から個人へと急激にブレイクダウンされたのが、ここ20年ほどの社会の動きであったと言える。>「グローバル化は多様性を認める社会を生み出し、それは最終的には人類の平和や安定に結びつく」と喧伝された。

それは、多国籍企業が商売をしやすくするための宣伝文句でしょうね。はたしてグローバル化は、平和と安全を得るための万能薬になるのか。

>だから、当初はこのグローバル化による社会の変革は好ましいものとして手放しで歓迎されていた。

やってみなければ、わからないということか。

>またIT化による「世界の人たちとの結びつき」もまた新しい社会に相応しいと歓迎された。

IT化により世界のことがわかるようになりましたね。

>しかし、現実はどうだったのか。>グローバル化の中で多様性を認めようとする動きは、その底辺で徐々に緊張を生み出すものになっていた。

多様性を認めようとしても、それが容認不可能であることが分かったからです。布教をするということは、相手の宗教を認めない態度になるからです。

>平和や安定どころか混乱と対立が生まれ、それがインターネットで増幅されて社会を極度に不安定化させている。

それは、そうでしょうね。商売の都合は、他の分野の都合とは必ずしも同じになりませんからね。

>なぜ、こんなことになったのか。>多様性を認め合うというのは、実は別の意味の差別を生み出すものだったからである。

多様性を認めなければ、争いも起こらない。多様性を認めるというのは、争いに対する美辞麗句となる場合も多いです。

>◆多様性を認め合うというのは、別の差別を生み出す
(略)
>たとえばグーグルで「男性と女性の能力には違いがある。>女性よりも男性の方がコーディングを好む。>性別による違いを性差別だと決めつけるのを、やめなくてはならない」と主張したジェームズ・ダモアというエンジニアがいた。>この人は、この文書を出した瞬間に解雇された。>それが真実かどうかは別にして、グーグルはある特定の意見を持った人を、その意見を持ったが故に一瞬にして解雇したという事実に注目する必要がある。

そうですね。彼は、残念でしたね。

>^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
>◆グローバル化の中では保守派が抹殺される対象だ
(略)
>何のことはない。>このグーグルがやったことこそ、多文化共生は成り立たないという典型的なケースである。>結局、多様性を認めるというのは、ある種の欺瞞と矛盾で成り立っているというのが現実だと分かる。

そうですね。とにかく、商売のことが中心ですね。

>社会が指し示す方向性と違った概念を持ったら、結局のところあらゆる理由を付けられて排除されてしまうのである。

そうですね。それは、我々人間が昔からやってきたことですね。

>多様性や多文化共生は差別や排除をなくしていく動きだと捉えてはいけない。

そうですね。これは、多国籍企業の単なる宣伝文句ですね。

>「新しい差別や排除」を生み出す動きであると捉えなければならない。>グローバル化に邁進する社会、そしてその中で多様性や多文化共生を理想として突き進んでいく社会の中では、それに反する人間は「反社会的な人間」と定義されて排除される。

そうですね。グローバル化は多様性・多文化共生ではない。企業文化に統一される世界を懸命に目指していますね。

>分かりやすく言えば「邪魔者は消される」のだ。

多国籍には、民族性がない。企業文化の繁栄が究極の目的である。邪魔にさえならなければ、民族文化も生きながらえるということでしょう。

>つまり、保守的な考え方を持つ人たちは、これからより強固になっていくグローバル化の中では「反社会的な人間」として排除される対象になるということである。

そうですね。多国籍企業の商売を邪魔する者は、’反社会的な人間’ という烙印を押されることになりますね。

>現代社会ではグローバル化が止まらず、さらに国家が弱体化して多国籍企業がさらに強大な存在になっていく。

国家よりも多国籍企業の方が金持ちの場合が多くありますからね。

>まだ多国籍企業が世界に君臨しているという現実が見えていない人もいるのかもしれない。>しかし、いい加減に気付くべきだ。

何事も、この世は金の世の中ですからね。

>多国籍企業は世界を乗っ取り、彼らが推すグローバル化は止められないものとなった。>これからは、彼らの考え方に合わない人間が差別され、排除されていく。

そうですね。商売の邪魔になる者は、出ていくしかありませんね。

>たとえばドナルド・トランプ大統領のような保守的な考え方を持つ人物はこうしたグローバル化の流れに必死に抵抗しているが、「きちがい、愚か者、差別主義者」と罵られて激しく糾弾され、敵視されている。

彼は、大統領選挙では ‘泡まつ候補’ でしたね。

>多様性、多文化共生が「強制」される社会では、保守派が抹殺される対象となる。

民族性は、抹殺されますね。日本におけるアイヌ民族のようなものか。

>そんな社会の構図を私たちはきちんと認識しているだろうか?

国際的な商品は、絶えず非民族性が強調されますね。民族を超えて、富は偏在しますね。

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追及派・創造派

2018-12-07 11:29:24 | 政治

>森友・加計問題、自衛隊の日報問題など、官僚の隠蔽、誤魔化しが次々と明るみになってきているが、いずれも真相は闇の中。>うやむやなままにされてしまう可能性が高い。

そうですね。日本人には、意思がない。意思のない人間には、責任がない。とかく、この世は無責任。個人主義がない。責任ある個人が見つけられない。

>根本的なメスを入れるには、そもそも官僚組織の隠蔽、誤魔化し体質はどこからくるのか?という問題を考える必要がある。

そうですね。

>森友問題について言えば、マスコミは全く伝えないが、安倍政権を裏から支配する日本会議(秦氏の神社ネットワーク)が、人事権を握る内閣府を通じて財務省に圧力をかけた疑いが濃厚。>(自己保身を第一に考える役人が、危険を冒してまで「忖度」したとは考えにくい。>何等かの強力な圧力があったと考える方が素直。>安倍総理や昭恵夫人自身が直接圧力を加えることはあり得ない。)

圧力は、空気を介して伝えられる。ばらばらな単語 (小言・片言・独り言) には、意味がない。力にも、意味がない。だがしかし、’力は正義’ である。Might is right. だから、世の中は力で動く。

>自衛隊の日報問題について言えば、法律上、自衛隊は戦闘地域では活動しないという建前を守るために隠蔽したとものと思われるが、そもそも自衛隊の海外派遣は米国(ネオコン、CIA)から圧力をかけられた疑いが濃厚。

日本人は、空気 (雰囲気) により影響を受けやすい。文章がなくても、空気によって圧力は伝えられる。

>いずれも、政治的な圧力に対して自らの組織を守るために隠蔽したもの思われるが、そもそも彼らの頭の中はどうなっているのだろうか?

相変わらず、無哲学・能天気でしょうね。あるのはこの世における処世術のみ。

>本気で国民や社会のことを考えているなら、誤りは素直に謝り、前向きに改善することを考えればいい。

日本人には世界観がない。だから、彼らには来るべき未来社会への移行は考えられていない。

>そうならないのは、社会統合より、体裁、面子、省益を守ることを優先させる意識があるからだと考えざるを得ない。

序列社会の仕来りにより、‘省益あって、国益なし’ である。戦前の陸軍省と海軍省のようなものでしょう。

>そのような体裁思考こそ、エリート官僚の隠蔽、誤魔化し体質の根っこにあるのではないか?

体裁があって内容がない。上辺が全てですからね。軽薄に見える。

>そもそも、エリート官僚の多くは、テストの点数を取るために必死で勉強してきた「受験脳」の持ち主。

そうですね。いわゆる ‘点取り虫’ ですね。

>そのような「受験脳」の持ち主たちが、役所で出世して「官庁脳」を形成し、彼らの思考回路で官僚組織の体質は出来上がっている。

彼らは出世街道を歩む。すると、道は拓ける。

>体裁思考、無難思考、前例主義、文書主義などのお役所体質は、子どもの時から勉強の強制圧力に対応すべく教科書を暗記し、ミスをしないように言われたとおりにやることが染みついている「受験脳」から来ている。

‘そつが無い’ のが上等でしょうね。

>このような「受験脳」→「官庁脳」が染みついているエリート官僚は、支配階級(秦ネットワーク、金貸し)から見ると、都合のいい下部となる。

官僚は、処世術に徹していますね。

>彼らには支配階級と闘う勇気など微塵もない。

‘出る杭は打たれる’ですからね。‘寄らば大樹の陰’ ですね。

>強制圧力に敏感に反応し、その圧力に従順に従う下部たちは、国民や社会のために事実を追求し、未来の可能性を追求するのではなく、ご主人様の言う通りに隠蔽や誤魔化しをやってくれるのだから、都合のいいことこの上ない。

部下たちは、サービス満点ですね。

>根本問題にメスを入れようとしないマスコミや学者・評論家も同類だが、追求力・創造力が全てとなる時代潮流にあって、その体質的な限界が明らかになってきている。

無哲学・能天気な方々には、根本問題にメスを入れる方策がないでしょうね。何事も時代の潮流任せですかね。

>既に、庶民は官僚やマスコミ・学者の隠蔽、誤魔化しには飽き飽きしており、もはや関心さえも持っていない。>とっくに見限られている。

それでどうにかなるのですかね。どうにもならない。座して死を待つのか。

>社会統合を担う組織は、「受験脳」「官庁脳」が染みついた官僚組織から、追求派・創造派がリードする新たな統合組織へと転換していく。

希望的観測ですか。またもや、他力本願・神頼みですね。

>新たな統合勢力が台頭していくことによって、官僚組織の隠蔽、誤魔化し体質は浄化され、旧い支配階級も力を失っていくことになるだろう。

何事も、良いことづくめですね。めでたし、めでたし。


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科学と空気

2018-12-07 04:11:02 | 学問

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(略)
>現代の日本社会には、「本音」、「建前」の他に「空気的事実に基づく」という方法があることが判ったのです。

日本人の空気 (雰囲気) に関する考察が進んだのですね。

>つまり「本音」というのがその人の本当の考えとすると、「建前」は社会の規則や表面上の言動で、建前というのは「本音」があって初めて成立するものです。

本音 (恣意) を実現するために、建前 (口実・言い訳) を使うのですね。

>それに対して「空気的事実」とは「本音がない」ことが前提、つまり自らの意見がなくて、その時その時に応じて周囲の空気を読み、それに応じて事実を創造してそれに基づいて話すことを指しています。

つまり、日本人が付和雷同することですね。

>たとえばリサイクルですと、「分別したもののほとんどは燃やしている」、「焼却をリサイクルに入れているのでリサイクル率が高い」ということをすべて知っているのに、「周囲の空気はまだリサイクルがよいということになっている」ということを読み、「リサイクル率は60%もある」などと言います。
>このとき、科学的事実(焼却を除くとリサイクル率は5%以下)ということを知っていても、空気的事実(リサイクル率は60%)と言うことになりますが、これは建前でもなく、空気的であっても事実ですから本音でもあるのです。

空気 (雰囲気) は日本人にとっての事実であり、本音 (恣意) でもあるのですね。恣意は、私意・我儘・身勝手なことですね。

>その人と面と向かって1時間も話せば、間違っていることが明らかになることでも、短い時間、テレビのスタジオのようの限定された場所では「何を言っても逃げ切れるから、空気で行こう」ということです。

気分・雰囲気に酔うことを得意としている人たちですね。何が何でもその場を逃げ切る達人たちですね。

>つまり私の相手をしていた人は「本音も建て前も無い人」だったのです。バカらしい!!

本音 (恣意) も建て前 (口実・言い訳) もない人たちだったのですね。議論にならない。歌詠みのようなものか。

>被曝限度もそうで、原発の事故直後、みんなが「被曝など大丈夫。法律はない」と言っている時には空気的事実は「法律はない」ということになりますし、1年も経ってどうやら法律は1年1ミリを基準にしていることが判ると、「法律にある」というのが空気的事実になるのです。

心情的なイメージが重んじられているのですね。

>実は、本人は1年20ミリでも1ミリでも0.1ミリ(ドイツ)でもなんでも良く、その時の空気だけで事実を決めているのです。

カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<”ジャパン・プロブレム”>の中で下記の段落のように述べています。
、、、、、日本の社会でいう “現実” (リアリティ) とは、客観的に観察した結果としての実際の事実というより、心情的なイメージに合わせて構築された、そうあるべき “リアリィティ” だからである。そしていうまでもなく、望ましいと想定されるイメージは、そのときその人の属するグループの利益と一致することが多い。 、、、、、 
西洋では、現実はそうやすやすと管理されたり、意のままに作り変えられたり、相談で決められたりするものとは、考えられていない。つまり、こうあるべきだという任意の考えによって左右されるものとは考えられていない。事実、西洋の哲学または西洋の常識の基礎は、人間にはつきものの自己欺瞞をおさえるには、妄想や幻想を入り込ませないようつねづねよく注意することだと教えている。ギリシャ文明以来、西洋の知の発達の歴史を貫いてつねに強調されてきた戒めが一つあるとすれば、それは、「矛盾を育むなかれ」ということである。この戒めは、論理、数学、科学の根本法則である。(引用終り)

>・・・・・・・・・
>このことに気がつくのが遅かったのは、科学者としての私は「事実」からスタートしますので、他の人も事実に立脚していると思ったのです。>またお医者さん、工場の人、営業、農業など「実業」をしている人も事実が最初です。

実学 (技術) 関係の人は、事実が最初でしょうね。

>でも、考えてみると「東京に住んでいる評論家」は「客観的事実」が事実ではなく「みんながそうだと思っていること=空気」が事実なのです。

事実が露見すると、彼らは ‘だって本当にそう思ったのだから、仕方がないではないか’ と言いますね。
彼らは、現実直視をしていない。忖度・推察をしているのである。鐘の声・蛙の声に耳を傾けるようなもので、自分勝手な解釈に耽っているのである。彼らは、伝統的な歌詠みである。

>だから、「空気に従う」ということは彼らにとって事実を重んじていることになります。

そうですね。山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘しています。
「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いている。

>たとえば、「温暖化すると南極の氷が融ける」というのは「科学的事実」とは反しますが、「空気的事実」には合致しているのです。>だから、事実認識が違うことになります。>実に奇妙な時代になったものです。

わが国では、昔から事実は一つではなかったのですね。科学的事実と空気的事実の二本立てか。

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>以上です。