>「フィルタリング」をしたマスコミに踊らされてはならない! >2020年04月27日 | 思想家
‘フィルタリング’ とは、データをふるいにかけて分類することですね。
>私たちは難しい問題に直面しているような気がしてならない。 >他者との交流の場に出て行く道が狭まっているように思えてならない。
他者との交流がなければ自分は変わらないでしょうね。
>主義主張が違う者同士の間で、議論が成立することが難しくなってきているからだ。
両者の世界観が大きく違っているからでしょうね。
>日々もたらされる情報の多さに耐えかねて、ついつい私たちは「フィルタリング」をしがちなのである
まともな議論を避ける技術ですね。偏ったデータのみを使うのですね。
>▼新型コロナウイルス対策の布マスクの問題もそうであった。
>政府の説明不足があったとはいえ、誰しもが考える政策であったにもかかわらず、一部の国民から不評を買ったのだった。
常に一部の国民は ‘誰しもが考える政策’ とは違っているでしょうね。
>不良品が出たことを批判するのは当然だが、配布自体に難癖を付けるのは行き過ぎであった。>マスコミが倒閣に利用するために、勝手に「フィルタリング」をかけて、テレビや新聞しか見ない人を煽るというのは、あまりにも常軌を逸している
そうですね。マスコミは、アンフェア (unfair) ですね。あらゆる選択肢を上げて読者に解説すべきです。
>▼考えが違う自分以外の他者がいることで、かえって私たちは自由を手にするのである。
そうですね。選択の自由が広がりますからね。
>齋藤純一は『自由』において「受動的に他者に曝されてあるという条件が、そのつど何かである私に、その何か(自己同一性)から逸れていく『運動の自由』を与えているのである」と書いている。
人は変わるものですね。
>他者に心動かされる自分が存在するということが、まさしく自由にほかならないのである。
そうですね。他者から影響を受けるのは自己が自由である証拠ですね。
>罵り合いからは何も生まれない。
そうですね。何も変わりませんね。未来社会の建設に資する有効な提案を出し合うのが正道ですね。
>私たち自由であるためにも、自分以外の他者を尊重すべきなのである。
そうですね。
全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。矛盾を含まない文章は全て正しい考えを示している。考え (非現実) の内容は人によって違っている。だから、正解はただ一つではない。幾らでもある。矛盾を含んでいる文章も、その矛盾を取り除けば正しい考えを示すものとなる。そのためには、対話・議論が役に立つ。だから、他者との交流を盛んにするのがよい。さすれば、お互いにアイディアの選択肢が増える。国民全体の自由度が増す。
自由度の少ない国では、マスコミの編集責任者に批判精神 (critical thinking) がない。だから、マスコミはただ事実のみを垂れ流す。事実の正解はただ一つである。それで、どんぐりの背比べの状態になっていて個性がない。だから、わが国のマスコミには有力紙が存在しない。
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