>357113 戦後の民主主義教育には、戦後の反米意識を霧散させ、天皇の求心力を低下させる意図があった。 >佐藤有志 ( 56 ) 20/05/24 PM09
>以下『知的好奇心の扉 トカナ』リンクから、抜粋して紹介します。 > ===
> 今の天皇陛下というのは、戦後は皇太子 [昭仁殿下] でまだ子どもだった。
>■天皇家から国民まで!教育によるフリーメーソン [Freemason] の洗脳支配
>――まさか、そこでフリーメーソンの思想を植え付けられたんですか?
> 菅沼:
> 彼女 [ヴァイニング夫人] はフリーメーソンではなくて、プロテスタントの一派であるクエーカー教徒でした。 >ただ彼女は、皇太子に民主主義を徹底的に教えました。
それは幸運でしたね。
>つまり、アメリカは戦後の対日政策で何を重要視したかというと教育なんです。
そうですね。人間作りは教育からですね。
> 戦争が終わった時、私 [菅沼光弘氏] は小学校4年生だったんです。 >私らはまだ「鬼畜米英」と教育されていた世代でした。
赤鬼や青鬼が占領軍としてやってきましたね。
>なので、私も60年代安保反対デモもやったんですよ。 >東大生の時、私はボート部に入っていて体がでかかったから、「行け!」と言われたんですが(笑)。 >みんなでアメリカ大使館に行って「アメ公帰れ!」と激しい反米抗議デモをやりました。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、言葉 (ロゴス) について以下のように語っています。
、、、、、 母親が子供に「チャント・オッシャイ」という場合、明晰かつ透明 (英語ならクリヤー) に言えということでなく、発声・挙止・態度が模範通りであれ、ということである。だが、クリアーということは、原則的にいえば、その人間が頭脳の中に組み立てている言葉のことで、発声や態度、挙止とは全く関係ないのである。プラトンの対話篇から、例として『クリトン』をあげてみよう。この対話は、明日の死刑執行を前にして、夜明けに、獄中のソクラテスをクリトンがたずねて、脱獄をすすめるところからはじまる。もちろんソクラテスは寝ている。だがどう読んでみても、ソクラテスが起き上がって、威儀を正して、法の遵守を説いて、クリトンに反論したとは思えない。ソクラテスは、おそらく最後まで寝っころがったままで話しているのだ。従って、この場合、純粋に、ソクラテスの言った言葉 (ロゴス) だけが問題なので、彼の態度や語調は全く問題にされないのである。日本では、「その言い方は何だ」「その態度は何だ」と、すぐそれが問題にされるが、言っている言葉 (ロゴス) そのものは言い方や態度に関係がない。従がって厳然たる口調と断固たる態度で言おうと寝ころがって言おうと言葉は同じだなどとは、だれも考えない。従って純然たる会話や演説の訓練はなく、その際の態度と語調と挙止だけの訓練となるから、強く訴えようとすれば「十字架委員長の金切声」という形にならざるをえない。(引用終り)
>戦時中に培われた「反米思想」があそこで爆発したのだと思います。
日本人には意思がない。だから、自己主張の筋が通らない。だが、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。恣意は文章内容にはならないが腹芸の原動力になります。
意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本人には意思がない。
>――戦後も「反米思想」があったのに、どこかでなくなったんですよね。
> 菅沼:
>それは、私達よりも若い世代の子どもたちに、徹底的に民主主義教育を行ったからです。> 戦後、まず東大と京大の総長2人がプリンストン大学に呼びつけられ、民主主義教育とは何かを徹底的に叩き込まれた。> 日本の学問は東大と京大が中心でしょう? >なので帰国後、彼らはアメリカから命令されて民主主義教育を指導した。
上位下達ですね。
>どうやったかといえば、全国の小学校から優秀な若い教師を東大や京大に集めて徹底的に民主主義を教えたんです。>やがてその教師たちがモデルとなって、全国各学校に一人ずつ配置されて民主主義教育を行った。
>――日本国民は、みんなアメリカつまりフリーメーソンに洗脳されたんですね。
> 菅沼:
>そこから、日本の世の中が変わって来た。
いよいよ変わり始めたのですね。
>その教育を受けた子どもがみんな大人になって、社会の指導的な立場になると日本社会全体の、たとえば天皇に対しての気持ちも変わって来たんです。
そうですね。日本人の序列制度に対する執着が少なくなってきたのですね。
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