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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

日本人と中国人

2020-05-19 14:03:20 | 文化

(略)
>○ 日本人化する中国人と、中国人化する日本人
>  2001年、私は中国に渡った。>中国が現在のように発達し巨大な経済力を示すようになるとは、大半の日本人はまだ信じていなかった。 >中国の人も、当時、日本人に敬意を抱いていた。 >その旅先で、興味深いことを聞いた。
> 「中国人は会社に勤めると、自分の功績を大きく見せるため、『自分がいないと仕事が回らなくなる』ようにしてしまう。 >そのせいで、その人がいなくなると、どうしたらよいのかさっぱり分からず、大混乱する。 

それは中国人の困った性質ですね。中国人の処世術でしょうね。

>その点、日本人は、自分が異動しても問題なく仕事が回るように引き継ぐ。>自分にしかできない仕事にするのではなく、誰が取り組んでもそれなりの結果が出る仕組みに変えていく。 >これを中国人も見習うべきだ」

そうですね。日本人は序列人間ですからね。自分が移動する時には、先輩にも後輩にも迷惑が掛からないようにして去らないと序列仲間のうちで評判を落とします。
「中国人1人では龍であるが、3人集まると虫になる。日本人1人では虫であるが、3人集まると龍になる」 (中国の諺)
三人の中国人は、足の引っ張り合いに熱中するが、三人の日本人は、序列協力に熱中する。

>  私はへええ、と驚いた。>そして、記憶に刻み込まれた。>というのも、それからしばらくして小泉政権がスタートし、「トップダウン」という言葉が流行すると、優秀な人間が「既得権益」を守ろうとする暗愚な凡人たちを怒鳴り散らし、「俺がいなけりゃ回らない」というリーダーシップ(?)を振るう人が日本に増えていったからだ。

日本人には意思がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制というものがないので、日本人には意思がない。
日本人には意思がないのであるから、責任もない。とかくこの世は無責任。責任のないリーダーシップを振るわれては困ります。
イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について次のように述べています。
、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、 (引用終り) 

>もしかしたら、今世紀に入って以降は、中国人が日本人化(自分でなくてもシステムが回るようにする)し、日本人が中国人化(自分がいないとシステムが回らないようにする)していった歴史だったのかもしれない。 > その証拠に、「『指示待ち人間』はなぜ生まれるのか?」という文章をTogetterにアップする直前、指示待ち人間の多さを嘆く上司やリーダーが世にあふれていたからだ。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には意思がない。仕方がないから日本人は無為無策でいる。これでは指示待ち人間となる。優柔不断・意志薄弱に見える。
 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)
昔から日本人は ‘指示待ち人間’ でしたのでしょうかね。

>「指示されるまでボーっと突っ立ってるんだよ? 信じられる?」「ちょっとは自分の頭で考えて動いてほしいよ」「なんでこんなことくらい、分からないのかねえ」「所詮、自分の頭で考えられる人間なんて、ほんの一握りなんだよ」と、部下が指示待ち人間ばかりなのを嘆くリーダーや上司たちの飲み会が花盛りだった。

日本人には意思がない。だが、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。恣意はバラバラな単語 (片言・小言・独り言) のままで存在し、文章を構成しないから意味も無い。恣意が腹の底にたまると腹芸の原動力になる。
意思疎通 (相互理解) がなくて、その代わりに恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) がある。意思決定 (理性判断) がなくて、その代わりに恣意決定 (盲目の判断) がある。理性判断の内容がないから説明責任が取れない。だから、人災もうやむやのままに終わる。けじめがつけられない。節操のなさが放置されているところがいかにも日本人らしいところである。

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サコ学長

2020-05-19 04:12:55 | 文化

>356930 日本人のホンネ~日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存している~>八千頭身 ( 23 会社員 )  20/05/18 PM10   
>京都精華大学サコ [Oussouby SACKO] 学長のコロナ禍に対する日本の動きについて意見を述べている。

わが国にしては、彼は異色の教育者ですね。

> 日本は自治体レベルでも共同体が崩壊してしまい、国の指示をただただ待つことしかできない状態にまで成り下がっていしまっている。

そうですね。わが国は序列人間の社会で成り立っていますから、序列関係を破壊すると指示待ち人間ばかりになりますね。

>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>引用リンク:リンク
>日本は政府の決断が脆弱で、どこまで責任を持つのかはっきりしないため、国民が迷っています。

そうですね。日本人には意思がない。だから意思決定もできない。
意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本人には意思 (will) がない。優柔不断・意志薄弱に見える。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には意思がないので方法がない。仕方がないから無為無策のままでいる。
 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)  

>何かあったときに「お前のせい」と言われることを恐れ、動けない。

日本人には意思がないのであるから、意思決定 (理性判断) には難渋している。だから、日本人は説明責任が取れない。’お前のせい’ では困る。

>この不安定な状況は、政府の決断能力と意思決定プロセスに関係しています。

そうですね。無意思の人は決断能力に困りますね。意思の無い人に意思決定プロセスはありませんね。想定外になっています。

> 今の政治家の一部は現場感覚や想像力に欠け、市民生活を考えれば当然必要な休業要請と補償をセットにしていません。>ほかの国のように半年間、光熱・水道費や税金をゼロにするなどの有効な方法も取らず、政策がインパクト重視でポピュリズム的と言われても仕方がないでしょう。

そうですね。日本人は現実直視ができていませんね。だから、現実対処もできません。その代わりに歌を詠む。すると、国民の受けが良い。

> 「いかに有権者にいい顔をしながら期待される決断をするか」という意図だけが伝わってきて、結局は自分たちが損をしない範囲のことしかしないとわかってしまったため、国民の気持ちが離れています。

そうですね。内閣は支持率ばかりを気にしていますね。政治哲学がない。だから、処世術が前面に出る。信頼が得られない。

> 問題になった安倍首相が犬を抱いてお茶を飲む動画も、自国民が何百人と感染すれば眠れないほどの悩みになるはずで、国民への気持ちはその程度だと宣言したようなものに思われてしまった。> 本当に国民を思うなら、自分のクビが飛んでもいいくらいの覚悟で大胆な政策を発表してほしいと、国民は期待しているはずです。

とにかく無哲学・能天気の人間は、処世術に精を出すしか方法はありませんね。政治音痴は治らない。

> 政府と地方自治体の権限の範囲や意思決定も複雑です。

意思のない人たちの意思決定は複雑になりますね。人々は意思の内容に注意を集中できない。事の次第・成り行きでその決着を待つことになる。呑気な人たちに見える。

>国には、決めたら責任を持たないといけないという意識が働き、自治体は、国より先に勝手に決めると責任を持てないと考える。

雉も鳴かずば打たれまい。出過ぎた真似をしてはならない。兎角この世は無責任。

>国の決断を待たずとも責任と強いリーダーシップで決められる権限を地方に与えるべきです。

日本人には意思がない。だから意思の内容は議論にならない。野放しになる。日本人は、自然現象の中に置き去りにされる。

> 興味深いのは、日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っていることです。

‘他力本願・神頼み’ は昔からのわが国の風習です。無意思の人間には、これしかありません。

>アフリカも政治不信は同じですが、まだギリギリ地域共同体が機能し、地域の動きを政治家が利用してサポートする例が見られます。
> 昔の日本は、京都の地域住民が国に先駆けて小学校をつくるなど共同体の力がありましたが、今は自治会レベルでも国の決断を仰いでいる。

の長老は力を失った。序列による協力関係は破壊されました。何でも総理・県知事・市長が決める。指示待ち人間でなければ務まりませんね。

> 共同体が壊れ、相互扶助もできなくなっています。

そうですね。村の組織は破壊されましたからね。という言葉まで無くなった。 


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