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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

打って一丸 2/3

2020-05-15 22:27:07 | 文化

>「自分たちの意志が国政に反映されている」と感じる30%と「何を訴えても国政には反映されない」と感じる70%に有権者を二分すれば、30%が選挙では勝ち続ける。>そういう仕掛けです。

恣意と恣意の戦いですね。

>──それにより安倍政権は歴代最長の政体になりましたが、いまの政権や自民党の状況は、これまでの日本の政治のなかでどのように位置づけられるでしょう?
>  末期です。 >安倍政権が終わった時に同時に自民党という政党も終るでしょう。

政党が終わっても日本人の政治音痴は治らないでしようね。

>自民党がかつてのような国民政党としてもう一度党勢を回復するということはないと思います。> 70%が反対する政策であっても、30%が支持すれば実施できるという成功体験に自民党は慣れ過ぎました。

民主政治の誤用ですね。

>国民を分断して敵味方に分けて、味方を優遇して敵を冷遇するというネポティズム政治しか彼らは知らない。

勝てば官軍ですね。力は正義である。Might is right. 

>立場の違う人たちと対話して、譲るところは譲って、「落としどころ」を探るというような高度な交渉技術を持っている政治家はもう自民党内にはいません。

そうですね。日本人は、対話・議論が下手ですからね。

>かといって野党政治家にそれだけの力量があるかと言えば、これも心もとない。

日本人には世界観がない。野党政治家であってもその事実は同じことです。

>でも、ポスト安倍期に必要なのは、60年安保闘争で岸信介が国民を二分してしまった後に登場してきた池田勇人が「寛容と忍耐」を掲げましたけれど、あれと同じような「国民の再統合」だと思います。

しかし、なあなあ主義は良くないですね。

>----------------------------- >(②に続く) 
>354479 「打って一丸」の危うさ(内田樹の研究室)②  >孫市 ( 43 会社員 )  20/03/13 PM00 【印刷用へ】
>「内田樹の研究室」より転載します >リンク
>-----------------------------  >(①の続き)
>──そのような状況が変わる可能性はあると思いますか?
>  分断された国民の再統合が果たさなければ日本に未来はないですから。

状況の分析が必要ですね。解決法がなければ再統合は果たせないでしょう。

>でも、「打って一丸となる」ということを勘違いしないで欲しいんです。

そうですね。なあなあ主義では困りますね。なあなあ主義とは、 真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませることです。

>高度経済成長期もバブルの時もそうでしたが、どちらの時期も、日本人は金儲けに夢中でしたが、国民的な分断はなかった。 >僕のような反時代的な、生産性も社会的有用性のまるでない人間のことも構わず放っておいてくれた。 >「なんで金儲けをしないんだ。バカじゃない」と冷笑はされましたけれど、していることを「やめろ」と言われることはなかった。 >みんな自分の仕事に忙し過ぎて、隣の人がやっていることに口を出す暇がない。 >それが僕の考えるとりあえず現実的な国民再統合のイメージです。

あくまでも状況的な内容に左右されていますね。それでは、国のかじ取りは危ういものになりますね。

> 今日本は分断されていますけれど、それは隣の人間のやっていることをうるさく詮索して査定して、気に入らないと「非国民」とか「反日」とかレッテル貼りをするバカが湧いて出ているからです。 >「日本人は一つにまとまるべきだ」と言い立てながら、国民的分断を進めている。

昔も ‘一億一心’ を唱えながら、非国民を作っていましたね。

>そのせいで日本はここまで国力を失った。

そうですね。没個性の成れの果てでしょうね。

> 「自分がほんとうにやりたいことに専念する」というのが一番生産性を高めるふるまいであることはどなたでも同意して頂けると思いますけれど、ただし「専念する」には「他人のことに構ってる暇がないほど」という条件がつくんです。

個人主義の原則ではないのですね。あくまでもご都合主義によるものですね。

>  隣の人間が何しようとどうだっていいんです。>自分が何をするかだけが問題なんだから。

恣意の行為に基づいていますね。

>幕末のころには「志士」というのが大挙して登場しましたけれど、あの人たちは「オレが頑張らないとこの国はダメになる」と思っていた。>個人の努力が国の運命を左右する、と。

そうですね。


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打って一丸 1/3

2020-05-15 22:05:06 | 文化

>354478 「打って一丸」の危うさ(内田樹の研究室)①>孫市 ( 43 宮城 会社員 )  20/03/13 AM10 【印刷用へ】
>「内田樹の研究室」より転載します >リンク
>----------------------------- 
>「打って一丸」の危うさ >2020-03-06 vendredi
> ある媒体のロングインタビューの中で「打って一丸となる」ことの危うさについて語った。 >日本人が「打って一丸」となるとだいたいろくなことはないのである。 

それは没個性的だからでしょう。

>では、国難的状況でわれわれはどうしたらいいのか。

我々は、国難の根本的な原因を考える必要がありますね。

>──内田さんの『生きづらさについて考える』を読んでいて目から鱗だったのは、政権与党側が、わざとまともに質問に答えなかったり、ヤジを飛ばしたり強行採決したりして、もはや議会制民主主義が機能していないという印象を与えることで、計画的に投票率を下げている、という分析でした。

そうですね。政権与党は不真面目ですね。

>  立法府に対する信頼を掘り崩してゆくことが自民党の長期的な狙いで、それは成功しています。

それは政治音痴によるものでしょうね。

>国会審議は無意味な政治ショーに過ぎない、国会議員というのは知性においても徳性においても優れた人間ではないというイメージを広めてゆけば、有権者は選挙に関心を失います。

まともな議論が出来ないのであるから無意味な音痴ショーをして時間を空費するしかないですね。

>投票率が下がれば、今の選挙制度では、組織票を持っている政党が勝ち続ける。> 安倍政権はその計画的な国会審議の空洞化にはみごとに成功したと思います。 

審議の空洞化にどのような利益があるのでしょうかね。

>どんな質問にもまともに答えない、平然と嘘をつく、前言と矛盾してもまったく気にしない、与党が出す法律はどれほど野党が反対しても最後は強行採決される・・・そういうことを7年繰り返していれば、国民も「国会には存在理由がない」と思うようになります。

国会は議論のできない人の集まりですね。議員の使用言語に問題があるのではないでしょうかね。

>結果的に、閣議決定や内閣の恣意的な法解釈が国会での審議や立法を代行するようになりつつある。

そうですね。
日本人には意思がない。だから恣意 (私意・我儘・身勝手) が横行する。
意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので日本人には意思 (will) がない。だが、日本人には恣意がある。
恣意 (self-will) はバラバラな単語 (片言・小言・独り言) のままで存在するので文章にならない。だから、意味をなさない。議論にもならない。だが、日本人社会の中で恣意は生きている。
意思疎通 (相互理解) の代わりに恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) をする。議論・対話の代わりに談合 (腹の探り合い) をする。意思決定 (理性判断) の代わりに恣意決定 (盲目の判断) をする。恣意には意味がないから、過ちがあっても説明責任はとれない。責任者は出てこない。とかくこの世は無責任。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調している。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

>「法の制定機関」と「法の執行機関」が同一である政体を独裁制と呼びますから、その定義を適用すると、安倍政権はすでになかば事実上の独裁制になっています。

そうですね。民主主義に危険を感じますね。

> これまでの憲政の常識を当てはめればもう10回くらいは内閣総辞職していないとおかしいくらいに失政・不祥事が続いているにもかかわらず、安倍政権は何ごともないように延命して、憲政史上最長記録を日々更新しています。

そうですね。正しい議論が出来なければ、失政・不祥事の決断も下せませんね。

> ふつうは内閣支持率が6割近くないと円滑な政権運営はできないので、どんな内閣も国民のマジョリティの同意をめざして政策を立案するものですけれど、安倍内閣は違います。 >30%ほどいる自分のコアな支持層だけに受ける政策を採り続けている。 >そして、確かにそれで十分なのです。>というのは、残り70%の有権者は自分たちの意志はしょせん国政には反映しないという無力感に蝕まれているので、投票のインセンティブを失っているからです。

そうですね。意思のあるところに方法 (仕方) はある。Where there’s a will, there’s a way. 当然のことながら意思のない日本人たちの意思は反映されることは無いですね。


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