gooブログはじめました!

日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

ジャミール・アンダーリーニ氏  

2021-06-27 21:22:08 | 文化

 

>産経新聞 >香港の言論自由、死の危機 英紙編集者が危惧 > 2021/06/27 17:35

()

>英紙フィナンシャル・タイムズのアジア担当編集者、ジャミール・アンダーリーニ氏に香港の大手紙、蘋果日報(アップルデイリー)休刊について考えを聞いた。

>

>私はジャーナリストとして、言論の自由を強く信奉している。

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)      

 

>26年間続いてきた蘋果日報が発行停止を余儀なくされたのは非常に悲しいことだ。 >5年前から香港に赴任し、私は「逃亡犯条例」改正案をめぐる抗議活動や昨年6月に施行された香港国家安全維持法などについて取材をしてきた。 >これまで、香港当局から現地で取材ができないよう圧力をかけられたり、滞在ビザに絡めて脅かされたりした経験はない。

 

それは幸運でしたね。   

 

>ただ、蘋果日報が休刊に追い込まれた出来事は香港の「報道の自由」をさらに萎縮させるのは間違いない。 >今後、香港メディアだけではなく、世界中の報道機関が国安法に違反したと当局にみなされた場合、何かしらの妨害を受ける恐れがあるだろう。 >香港在住の外国人記者が中国政府を批判すれば、当局から警告を受けたり、強制送還されたりする可能性もある。 >一方で、蘋果日報がどんな理由で当局に国安法違反の疑いがかけられたかについて公開されている情報が極めて少ない。

 

そうですね。透明性が低いですね。恣意 (私意・我儘・身勝手) 的なのかもしれませんね。       

 

>メディアがどのような記事を出せば国安法違反と見なされるかについて全容がつかめておらず、われわれは国安法が取材にどれほどの影響を与えるのかが分からない。>今後、香港当局が裁判で提出する証拠を注意深く精査する必要がある。 

 

そうですね。   

 

>しかし、国安法の施行からまもなく1年がたつ中、これだけは確かに言える。>かつての香港は、政治の意見が活発に交わされるアジアで最も活気のある都市の一つだったが、表現の自由において多くのものが失われてしまった。  

 

中国の指導者は表現の自由には関心がないのですね。    

 

>今月中旬の先進7カ国首脳会議(G7サミット)で採択された声明では香港の「自由と高度な自治」を尊重するよう要求した。 

 

当然の要求ですね。   

 

>ただ、民主主義国家が声をあげても、香港で自治が失われる状況に何ら良い影響を及ぼしていない厳しい現実がある。

 

そうですね。彼らは聞く耳を持たないようですね。   

中国は中原の鹿を追う伝統的な覇者の国である。覇者の物語は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。独断専行に陥りやすい。漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。   

 

>香港当局は今後も、異論を唱える意見をさらに弾圧していくだろう。  

 

彼らは異論が嫌いなようですね。異論があれば論破して自己の正当性を主張することができるでしょうに。残念ですね。      

 

>国安法の影響で言論の自由が完全に死んでしまうリスクもある。  

 

中国は不自由を常と思えば不足なしの時代に逆も取りですかね。   

 

>そうならないことを心から願っている。

 

立憲主義、人権、民主主義といった近代憲法の諸概念は多様な個人の共生を可能にする基礎であり、普遍的なものとして受け入れなければならないですね。       

 

>(聞き手 板東和正)

>

>ジャミール・アンダーリーニ 2007年に英紙フィナンシャル・タイムズに入社。 >北京支局長などを経て、15年にアジア担当編集者に就任。 >16年から香港に赴任し、現地で取材を続けている。43歳。


秘密機関 2/2  

2021-06-27 04:23:18 | 文化

 

 (1/2に続き)

だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。独断専行に陥りやすい。

漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。  

 

> 中国政府の関係筋や内部の事情を知る香港政界の有力者への取材ですが、公署の実態や、リンゴ日報に狙いを定めた経緯が見えてきた。  

 

中国政府は 問答無用、切り捨て御免ですね。

立憲主義、人権、民主主義といった近代憲法の諸概念は欧米由来のものですが、こうした諸原理自体は、多様な個人の共生を可能にする基礎ですから、普遍的なものとして受け入れなければならないですね。    

我が国が中国の真の友好国であるならば、わが国の指導者はこのことを中国の指導者に根気よく説得する必要がありますね。無哲学・能天気ではいられない。  

だが、日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。戦時中は玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく) 

 

取材によると、公署には300人余りが勤務。 >中国本土の公安当局や、外国のスパイを取り締まる国家安全省から派遣されている。 >権限は非常に強く、リンゴ日報への強制捜査を担った香港警察は、公署の方針に従って取り締まりをしているに過ぎない。  

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。進歩が期待できる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' ということになり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の比較はこれである。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。

非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。      

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。個人の価値判断が抜け落ちている。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。   

 

>公署は、中国政府が追求する「安定」を香港で実現させるための司令塔だという。

 

勿論、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、常に簡単な事だ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ  (ヘルマン・ゲーリング)

 

>朝日新聞デジタル   

 

 

.

 

 


秘密機関 1/2  

2021-06-27 03:52:10 | 文化

 

>香港 中国の話題 >リンゴ日報をつぶした中国の「秘密機関」 電話もHPも非公開

()

> 反体制的な言動を取り締まる香港国家安全維持法(国安法)が中国共産党政権の主導で施行されてから、630日で1年となる。 > 急速に自由が奪われていく香港の現状を報告する。

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)      

 

> 23日夜、この日の編集を最後に廃刊が決まった香港紙「リンゴ日報」。>数百人の支持者が郊外の工業団地にある本社前に駆けつけ、屋上に集った記者らとスマホの白いライトを照らしあい、「ありがとう」「香港、加油(頑張れ)」とエールを交わし合った。 > 編集局には、同紙創業者黎智英(ジミー・ライ)氏の娘で弁護士のジェイド・ライさんの姿もあった。 >父親は香港国家安全維持法(国安法)違反の罪などで起訴され、収監が続く。 

 

他国ながら気の毒ですね。中国にも暴君がるのですね。   

 

>ジェイドさんは26年の歴史に幕を閉じた新聞を手にして、仲間たちと笑顔で記念写真に納まった。> 社内は、最後の紙面を作り上げたという高揚感に包まれていた。 

 

残念な喜びですね。アングロ・サクソンの伝統は踏みにじられましたね。       

 

>しかし、編集局が少し静かになると、ある記者は「悲しい」と漏らした。  

 

世界中の自由主義国家は悲しんでいることでしょうね。  

 

>記者たちの高ぶった気持ちは、当局によって廃刊に追いやられた怒りと挫折、そして無力感の裏返しでもあった。

 

フランク・ギブニー氏の著書 <人は城、人は石垣> には、以下のような指摘がある。

日本語は英語のように、キチンとしたアリストテレス的文法に閉じこめられていない。言語として、日本語は「いま、ここ」に根ざしている。判断より気分に興味をもつ。意味より感受性に関心がある。英語を使うのは絶えず理論的な価値判断を行なう言語を使っていることであり、英語が価値判断を行わせる。一方、日本語は論理的、法的ないし哲学的判断を敬遠する。たとえば、日本語には to be に当る適当な動詞がない。”being とか reality のような概念は明治時代、漢字から人工的につくらねばならなかった。「概念」 (concept) でさえ人工的につくらねばならなかった。(引用終り)

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)    

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)

 ‘日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。’ (ウスビ・サコ)   

 

> 経営と編集の各トップや主筆を拘束。>発行元の会社の資産凍結や、銀行への融資の禁止。>当局はなぜ、なりふり構わず容赦ない弾圧劇を繰り広げたのか。> 中国政府に近い関係筋は、それがある機関の「任務」だったという。

 

まさに人災ですね。時代遅れも甚だしい。       

 

> 「国家安全維持公署」。>昨年7月、香港に新設された中国政府の出先機関だ。> 昨年630日に施行された国安法では公署の役割を、(1)香港における国家安全情報を分析・判断し、戦略や政策を出す(2)香港政府を監督・指導する、と定める。  

 

権威主義者自身の安全の為ですね。’朕は国家なり、国を愛せ、朕を愛せ’ ですね。 

 

>「国家の安全」の名の下で、香港政府よりも上位に立つことが明確にされている。> ただ公署の公式ホームページも代表電話番号もなく、その内実は秘密に包まれている。

 

きっと無哲学・能天気なのでしょうね。彼らは対話・議論は好みませんね。   

中国は中原の鹿を追う伝統的な覇者の国である。覇者の物語は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。 (2/2に続く)

 

 

 

.