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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

夢を管理する 2/2  

2021-06-12 21:07:51 | 文化

 

>小学校の卒業文集で将来なりたい職業という欄があって、男子の同級生の多くは、プロ野球の選手とかパイロットとか列車やバスの運転手とか書いていたが、私は昆虫学者と書いてみんなに笑われていた。>みんな単に憧れを書いていただけで、どうすればそうなれるかを考えているわけではなかった。  

 

そうでしょうね。人気のある職業を書いたら正解ですね。     

日本語には階称 (言葉遣い) がある。だから、‘上と見るか・下と見るか’ の判断なしでは、日本語は使えない。  

その判定の基準は ‘ものの上下’ であり、この基準は勝負で決められている。

勝負は同次元 (没個性) 序列の争いになる。  

剣道で ‘ものの上下’ を決めるとすると、剣道の達人はその個性を認められることになる。

しかし、基準を無数に立てることは出来ないので、便宜上官僚の制度一本に絞られている。すると、そうでない人の個性は打ち捨てられることになる。 

国立八科目の入試テストで ‘ものの上下’ を決めるとすると、それ以外の個性を持つ人は打ち捨てられることになった。

いずれの基準を採用するにせよ個性の多様性を無視することになるところにわが国の莫大な損失がある。

われわれは個性の多様性に着眼することが大切である。 

 

>そもそも、将来の夢を実現する計画書を書いたところで、計画通りに行くわけはなく、時間の無駄だというのは、当たり前だと思うのだけれどね。 

 

そうですね。ケ・セラ・セラ (que sera, sera) ですね。   

 

>学校という所は、無駄な書類を山ほど書くのが仕事になっているので、児童生徒にも無駄な作業をさせて恬として恥じないのかもしれない。  

 

学校は ‘本当の仕事’ (real work) をする所ではなくて、 ‘つまらない仕事’ (make work) をするところでしょうね。 

 

>将来の夢を実現する計画を書く暇があるのなら、勉強をした方が賢いと思う。>人生は計画通りにならないから人生なのであって、生きているとは計画通りにならないことの謂いであって、計画通りになるのは機械であって、生物ではないのだ。

 

そうですね。計画通りに進行するのはロボットの生産のようなものですね。    

 

>人生が面白いのは思いもよらないことが起こって、それをきっかけに、新しい局面が出現するからである。>その結果、素晴らしい僥倖に恵まれることもあるし、志半ばで挫折することもある。

 

そうですね。人生は七転八起ですね。      

(s) <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)    

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

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夢を管理する 1/2  

2021-06-12 18:06:56 | 文化

 

>内田樹が少し前の「AERA」の巻頭エッセイで『児童生徒の夢を管理したがる文科省 最短距離・最短時間=最善ではない』と題して、将来の夢を想定して、その実現のために事細かな計画を策定せよという、文科省肝いりの指導に対して苦言を呈していた。

 

夢は当てにならないもののたとえでしょうね。夢は見ることはではても触れることの出ないもの。夢幻の如くなり。      

 

>高校生に対して「9月までに将来の夢を確定し、そのための計画を立てること」といった宿題が出るらしい。 

 

かの有名なキング (Martin Luther King, Jr.) 牧師は招集に対して夢を語りかけました。「私には夢がある。いつかジョージアの赤い丘の上で、昔の奴隷と奴隷所有者の息子たちが兄弟のように一緒にテーブルにつくことができるようになることを……」。原文では、I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood. となっていますね。

一緒にテーブルにつくことができる’という夢の内容は日本語訳では現実の内容として表現されていますが、彼の英文の副文になっていて箇所は、’will be able to sit down together’ と未来時制になっている。つまり考え (非現実) の内容として正しく表現されている。これが注目に値するところです。   

日本人の夢の内容はどうしても白昼夢になりますね。内容が過去のことか現在のことか未来のことか区別ができない。それがアメリカ人の夢とは違うところでしょうね。 

 

>「どうして文部科学省はそれほどまでに子どもの成長過程を管理したがるのか。

 

恣意 (私意・我儘・身勝手) の人である子供は信頼できないからでしょう。   

 

>どうして子どもが無駄な迂回をすることなく、決められた軌道を最短距離・最短時間で進むことが人生の緊急事だと信じられるのか。

 

日本人が子供の教育課程をロボットの製造工程と同じように考えているからではないですか。

 

>私には理解できない」(内田樹、AERA 2021/5/24)  

 

同感です。   

 

>文科省の役人もバカではないから、そんなことを信じている奴はほとんどいないだろうが、権力は好コントロール装置なので、名目は何であれ国民をコントロールしたくて仕方がないのだ。  

 

そうでしょうね。文部省には他に目的も存在しないようですね。   

日本人は考えができない。だから無哲学・能天気の状態になる。    

現実の内容は日本語の文章になるが、非現実の内容は日本語に時制がなく適当な構文ができないので文章表現にならない。非現実の内容とは、考えの内容の事である。その内容は見ることができない。考えの内容がなければ、人は思考停止の状態にあるということである。   

空の頭に内容を詰め込むには暗記が必要である。そして、暗記修行の暁に人は他人の受け売りの専門家になる。これでは何ら新しい内容は出て来ない。

人の考えは様々である。人々は考えの自由を求めている。だから、個人主義を認めることには意義がある。

一党独裁の国では個人に考えの自由がない。だが人々は考えの自由を欲している。だから個人の考えは独裁者への裏切り行為として存在することになる。だから、常に粛清が必要になる。アメリカ人は個人の意見があるから、独裁と粛清の世の中には激しい反発を示す。日本人は個人の考えがないから、’不自由を常と思えば不足なし’ と信じて、忍耐と努力で不自由の苦難を乗り切ろうとする。日本人は自分たちのやり方を地に足の着いた確実な方策であると信じている。だから日本人は保守的である。

 

>大人は飴をちらつかせたり、恐怖を煽ったりしない限り、コントロールするのは難しいが、子どもをコントロールするのは比較的簡単なので、権力の意のままになる国民を養成すべく、初等中等学校に対して、政治的な介入が行われることになる。 

 

日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。 (ウスビ・サコ)      

 

>私が高校性の頃も、「期待される人間像」なんていう愚にも付かない作文が文部科学省主導のもとに作成されたが、期待される人間像になるための計画を立てて提出せよ、といった宿題は出なかった。

 

宿題はなかったですね。文科省には人間像に合わせた生産計画があったのですかね。     

 

 

 

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