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働かないおじさん

2021-06-11 13:25:46 | 文化

 

>367768        日本企業は今後も「働かないおじさん」を再生産し続けるのか    >匿名希望           21/06/11 AM00 【印刷用へ】 >活力衰退の原因は、社会構造にもある。

>以下引用(リンク)

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>■やがて働かなくなる構造      

>日本企業に長年根付く「働かないおじさん」への包囲網が強まっている。 >「働かないおじさん」とは、終身雇用、年功序列型賃金、新卒一括採用といった「日本型雇用」のもとで、勤続年数が長くなり、賃金やランクが高いにもかかわらず、それに見合った働きをしない中高年男性のことだ。 >家計を背負う正社員として、男性ばかりであることも特徴的だ。 

 

気の毒なおじさんたちですね。  

 

>イメージしやすい例として、20208月から9月にかけて、テレビ東京系列でドラマにもなった漫画「働かざる者たち」(作者・サレンダー橋本)の登場人物をあげてみたい。 >大手新聞社の技術局工程部にいる八木沼は入社25年目のベテラン。 >出世しないまま、様々な部署をたらいまわしにされ、全く働かなくなった。 >ただ、勤続年数は長いため、出世して部長になった「同期」のもとを訪れ、まるで自分は部長と同格だとアピールするかのごとく、「お前も少しは遊べよな」と上から目線で話しかける。 >そして、周囲からの冷ややかな視線。 

 

彼は至って孤独ですね。   

 

>私も似たような光景を新聞社に勤務していた10年ほど前に何度も見たことがある。 >このような「働かないおじさん」は本当に働きに見合わない高待遇なのか。 >「ホワイトカラー職種別賃金調査」(労政時報、2020110日・24日号)に、「働かないおじさん」が一定割合含まれていると考えられる「部下なし管理職」についてのデータがある。 >「部下なし管理職」がいると回答した企業は、全産業の63.9%にものぼる。 >このうち36.4%の企業で、部下のいる管理職と部下のいない管理職とで待遇差がついているが、年収差は78%程度で、大した差ではない。 >管理職同等の高待遇といえるだろう。

 

そうですね。高待遇ですね。   

 

>なぜ「日本型雇用」のもとで「働かないおじさん」が生まれてしまうのか。 >そこには、職務内容を決めず、組織の一員として、会社の都合にあわせて仕事内容を決める「メンバーシップ型雇用」の特質が影響している。

 

そうですね。没個性に基づく雇用形態の効果ですね。没個性と悪平等・悪同等の考え方が結合した悪の蔓延ですね。      

 

>新卒入社後、同期入社の仲間たちと、管理職に向けた出世レースを繰り広げる。 

 

同次元の序列順位の争いですね。   

 

>一定の年次になると、上に昇れない人たちが出てくるが、彼らは会社の都合で様様な職場をたらいまわしにされた結果、軸となる専門性が身に付いておらず、賃金にみあった仕事ができない。>それでも、年功序列、終身雇用のもとで、年収があまり落ちず、クビにもならない。>すると、向上心がなくなり、やがて働かなくなる。 >こんな構造だ。

 

これは序列社会 (縦社会) の弊害ですね。飼い殺しというのですかね。        

 

>「メンバーシップ型雇用」のもと、長く安定的に働き続けることは、企業にとっても、従業員にとっても一定のメリットがあるのだが、当人の適性や意向を無視した人事異動をしていると、その弊害が出てしまう。

 

そうですね。個人の特性を重視することが宝の山を見つけることにつながりますね。   

 

>組織の高齢化が進む中、問題はいっそう深刻になっている。  

 

我が国には個人主義の浸透が必要ですね。 我が国には処世術があって教養 (哲学) がない。だから我が国では英米流の高等教育が成り立たない。つまり、大人になる為の教育 (哲学) が成り立たないのである。これは日本語の特性によるものでしょうね。これを民族性というのかな。ずる賢い人間という印象を与えるのではないのかな。すきあらば狙う野良猫の姿勢では個人的な信頼関係を築くことも難しい。                

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

 

 

 

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