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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

意思の大切さ 3/3  

2021-06-15 11:25:25 | 文化

 

>これは男性でも女性でも同じです。 >自分の考えや価値観で話すということです。 

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。進歩が期待できる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' ということになり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の比較はこれである。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。

非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。      

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。    

 

>魅力を出したいなら、知識より意思を大切にしてください。 >自分の意思で話せば話すほど、あなたから魅力があふれてきます。

 

そうですね。我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 

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意思の大切さ 2/3  

2021-06-15 11:06:19 | 文化

 

>自分の考えがあり、自分の価値観を持っているということです。   

 

そうですね。 フランク・ギブニー氏の著書 <人は城、人は石垣> には、以下のような指摘がある。

日本語は英語のように、キチンとしたアリストテレス的文法に閉じこめられていない。言語として、日本語は「いま、ここ」に根ざしている。判断より気分に興味をもつ。意味より感受性に関心がある。英語を使うのは絶えず理論的な価値判断を行なう言語を使っていることであり、英語が価値判断を行わせる。一方、日本語は論理的、法的ないし哲学的判断を敬遠する。たとえば、日本語には to be に当る適当な動詞がない。”being とか   “reality のような概念は明治時代、漢字から人工的につくらねばならなかった。「概念」 (concept) でさえ人工的につくらねばならなかった。     

 

>自分の意思で考えたことには「主体性」「精神的な自立」が感じられます。

 

そうですね。個人の確立が感じられますね。

だが、日本人には意思がない。そして恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。

日本人には、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) があって、意思疎通 (相互理解) がない。恣意 () の探り合い (談合) があって、意見の交換 (議論・対話) がない。恣意決定 (盲目の判断) があって、意思決定 (理性判断) がない。だから、日本人の責任者は説明責任が取れない。未来は一寸先が闇である。危険が一杯である。現実の世界にお変わりのないことが何よりなことである。         

 

>「私は○○と思う」 >「私はこれが好き」 >「私はこう考えている」 >自分の意思で話すと、これが魅力へと変わっていき、相手の心を動かすのです。  

 

そうですね。それは聖者の存在する理由となりますね。      

 

>意思があるということは「自分を持っている」ということです。

 

そうですね。個人主義の表れですね。      

 

>自分の軸があり、自分なりの哲学や考え方を持っています。 >たとえ間違っていても、きちんと自分の意思で答えた結果なら、スマートです。 >そこに意思が感じられれば、間違いであろうと魅力を感じます。 >「間違えたけど、きちんと自分の頭で考えた結果だよね」と寛容に見られます。

 

矛盾を含んだ文章も、その矛盾を取り除けば正しい考えになります。ですから、対話・議論は社会の役に立ちます。      

 

>意思で話す人こそ、魅力的な人     

>魅力を出したいなら、知識を磨くより意思を磨きましょう。 >知識も大切ですが、ほどほどにするのがいいでしょう。

 

そうですね。がり勉はほどほどにするのが良いでしょう。       

 

>わからないときは「わかりません。教えてください」と言えばいいだけのことです。 >モテたいなら、なおさら意思を大切にすることです。 >自分の意思で話し、自分の意思で選び、自分の意思で人生を生きます。 >これが「魅力的な人」です。

 

そうですね。自主・独立の精神を持った人になりますね。ところが日本人には意思がない。意思の内容の大切さに着目する人が存在しない社会には残酷な世の中が存続します。 

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、個人の意思の内容に着目することのない人々に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)  

 

 

 

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意思の大切さ 1/3  

2021-06-15 10:37:53 | 文化

 

>知識で話すと、魅力が出ない。意思で話すと、魅力が出る。 | 自分を成長させる30の言葉

>知識で話すと、魅力が出ない     

>魅力を出すために大切なのは、知識ではありません。 >意思です。

 

そうですね。意思は大切ですね。      

 

>学校教育に染まっていたせいか、私たちは知識重視になりがちです。>コミュニケーションでも、知識を使った話し方が多く見られます。>知識ばかりで話していませんか。   

 

そうですね。受け売りばかりの話になりますね。イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)

 

>「モカコーヒーにはチョコレートが含まれているって知ってた?」 >1日に必要なカルシウムは600ミリグラムだよ」 >「アセロラには、ビタミンCがたっぷり含まれているから健康にいいよ」 >「この建物は○○が作ったらしいよ」

 

知恵袋の内容ですね。   

 

>もちろん知識も役立ちます。 >相手は感心してくれるでしょう。 >「へえ、知らなかった。よく知っているね」というリアクションが返ってくるでしょう。 >中には役立つ知識もあって、相手に喜ばれるはずです。  

 

そうですね。勉強の甲斐がありましたね。    

 

>しかし、知識で話せば魅力的になれると思っているなら注意したほうがいいでしょう。 >知識は素晴らしいものですが、それだけでは魅力は出ません。 

 

そうですね。知識に熱狂すると記憶装置に対する尊敬のようなものになりがちですね。   

 

>知識は、引用にすぎない     

>知識は知識です。>どこかの本で学んだことを引用しているにすぎません。>覚えたことを受け売りで言っているにすぎません。

 

そうですね。誰かの受け売りですね。   

 

>引用も受け売りも悪いことではありませんが、素晴らしいことでもありません。 >知識はあっても、そこに意思がなければ、魅力も教養も感じられないのです。

 

そうですね。知識は人間により役立つ機会が与えられますね。     

 

>世の中には、知識の披露を嫌がる人もいる     

>知識の披露は、喜ばれるとは限りません。 >世の中には、知識の披露を嫌がる人も少なくありません。 >知識を披露すると「私は頭がいい」「私を尊敬しなさい」というアピールとして受け止められることがあります。   

 

それは知識人ですね。    

 

>言い方によっては「あなたはばかですね」というニュアンスとして受け止められることもあります。 >知識は暴力に変わることがあります。 >知識で叩きのめされているように感じます。 >自分はそんなつもりはなくても、相手にそう思われることがあります。 >知識の披露がひどいと、嫌な印象を与えてしまう可能性もあるのです。    

 

何事にも謙虚でありたいですね。   

 '私は、私が何も知らないということを知っている'。 (ソクラテス)     [無知の知]  'I know that I know nothing'.  

 

>魅力とは、意思にある        

>魅力を出すために大切なのは何か。 >「知識」ではありません。 >「意思」なのです。 

 

そうですね。だが、日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。戦時中は玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)     

 

 

 

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