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並木裕太氏  

2021-06-19 01:05:56 | 文化

>367975        "ロジカル思考バカ"がまるで使えない理由  >ぐみん ( 25 会社員 )           21/06/18 PM10

>ビジネスの現場では「ロジカルシンキング」を重要視する風潮が強い。>だがコンサルタントとしてその技術を徹底的に磨いてきた並木裕太氏は「ロジックは道具でしかない。 >それだけでは新しい価値を生むにはまるで使えない」という――。

 

そうですね。   

 

>リンク

>■ロジックの落とし穴

>相手を説得する、企画を通す、事業戦略を立てる……コンサルタントをはじめとした多くの職種で「ロジック」を求められるシーンは多い。 >提案や判断の根拠をロジカルに伝えられると「デキる人」と評価される向きさえある。

 

そうですね。   

 

>そんな風潮に対し、「ロジカルシンキングを信じすぎるのは危険だ」とコンサルティングファーム・フィールドマネージメント代表の並木裕太はいう。 >JAL、ソニー、楽天など大企業のコンサルタントを務める傍ら、Jリーグの理事でもある並木はサッカーの“芝生”を例にその理由を話す。>「いま、新たなサッカースタジアムの建設にあたって、人工芝にすべきか、天然芝にすべきかという議論があります。 >僕が“人工芝派”だとしたらその根拠を言えますが、もし“天然芝派”になれといわれたら、今度はその根拠を並べることもできます。 >対立する概念があったとして、ロジックはそのどちらの正しさも証明できてしまうんですよ。

 

それは討論 (debate) ですね。討論は日本人に馴染みがないですね。      

 

>You can pretty much prove anything(どんなことだって大概ロジックで証明できる)』と、マッキンゼー時代の重鎮にいわれたことを思い出します」

 

それは欧米人の考えですね。   

 

■その仕事に情熱は持てるか

たとえば人工芝派の理屈としては、「人工芝は天然芝にくらべてケガをしやすいといわれています。でも2015年にカナダで開催された女子W杯ではすべての試合会場で人工芝が使われていて、ケガの発生率はたしかまったく変わらなかった。それにサッカー先進国であるヨーロッパのクラブチーム、とくに北のほうは毎日人工芝で練習しています。だから人工芝にした方がいい」。

 

それは人工芝派の言い分ですね。   

 

>一方、天然芝派の理屈にしても「2018年のロシアW杯で使われていたから、ふだんから慣れておいた方がいいです。ヨーロッパのサッカークラブの下部組織では人工芝を使っていますが、それに慣れてしまうと天然芝の上で本番の試合をすると勝率が悪くなることが過去のデータを見るとわかります。だから天然芝にした方がいい」とつくれてしまうという。

 

それは反人工芝派の言い分ですね。    

 

>「ロジックは人を説得する道具でしかない。 >仕事で成果をあげる、新しい価値を生むにはまるで役に立ちません」 

 

ロジックは新しくはないですね。   

 

>ビジネスパーソンにとってのロジカルシンキングは、サッカー選手にとっての「足が速いこと」くらいの位置づけ。>分かりやすく伝えるためには有利かもしれないが、必要条件ではないという。

 

そうですね。   

 

>「コンサル業界を見わたすと、チャーミングな人はもちろんいるんだけど、ロジカルシンキングから抜け出せない“ロジカルバカ”が完成しちゃうこともあるんですよ。>人の気持ちはロジックでは動かないのに……」

 

山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘しています。

「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いています。

 

>人を惹きつけて動かす、プロジェクトを完遂するには、結局のところ、強い情熱があるかどうかだという。  

 

そうですね。   

 

>だからこそ「自分が何を好きか。なぜ楽しいか。どうしてそれに向かって頑張るのか。その思いの強さが大事です」と話す。  

 

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

私の結論としては、熱い思いを理路整然と述べることのできる人が皆の衆に歓迎され社会の役に立つでしょうね。  

 

 

 

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