>なぜ日本人は「無宗教」なのか? > このエントリーをはてなブックマークに追加
> 結婚式を教会で挙げ、年末にはクリスマスを祝い、年が明けると今度は神社に参拝をして、盆には寺で先祖の霊に手を合わせ、死者を弔う際は経を読み線香を立てる。
>日本人ならば誰しもが経験し、生活の一部として根付いてきた文化ですが、キリスト教、神道、仏教がない交ぜになり、思えばとても奇妙な風習です。
そうですね。日本の文化には、形があって内容がない。日本の宗教には、儀式があって教義がない。教義の内容を考えなければ、日常は作法の連続となり気分爽快なものになる。
日本人は思考を停止している。だから、哲学 (筋道だった考え) というものが無い。無哲学・能天気である日本人は哲学と宗教 (スコラ哲学・インド哲学) に弱いことが知られている。
> 今回は、そんな日本人と不思議な宗教文化の関係についてのお話です。
>あらゆるものに神が宿る神道の考え
> 現在、日本の宗教人口は平成26年の文化庁の調査によると、神道が約49%、仏教が約46%となっており、ほとんどの人が神道か仏教のいずれかを信仰していると答えています。
>古来より、日本人が信仰してきた宗教は「神道」でした。
>山や海、川や植物など、あらゆるものに神が宿ると考え、畏れ敬い、自然のすべてが神そのもの捉えていたのです。
何事のおわしますかは知らねども かたじけなさに涙ながるる。 (西行法師)
> また、キリスト教やイスラム教などと異なり、「神道」には教典がありません。
無哲学・能天気の結果ですね。
>守るべき規律や道徳観念の教えはなく、また、人間が世界の中心、自然界の主という感覚もないため、文化の中で受け継いできた自然との付き合い方や、自然の一員としてどう生きるかというのが神道の本質でした。
そうですね。わが国では人もアニマルも皆が自然の中に溶け込んでいますね。
>そこへ仏教が伝来し、統合されていったのです。
そうですね。
> 「八百万の神々」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
>これは神道における神々の数のことで、漢字が意味する通り、800万、つまり数え切れない神々がいるという意味です。
>人々に災禍を与える荒れる神、「荒神」であっても、日本人にとって神は神。
神は人間より力がありますね。しかし、彼らは全知全能ではない。
>物に宿る「付喪神」は人を襲い呪うなど、妖怪と神の区別さえ曖昧な神もいます。
> 例えば「一粒のお米には7人の神様がいる」といいますよね。
>食べ物を大切にしなさい、作ってくれた人に感謝しなさいという意図がありますが、一神教の信徒からすれば驚きの宗教観でしょう。
一神教の信徒は大体遊牧・牧畜民族ですからね。彼らには生誕が重要ですね。生誕は牧畜産業の全発展の基礎ですからね。
>「あらゆるものに神が宿る」という文化を持っていた日本人にとって、例え「一神教」の神だとしても、800万の中の一柱という感覚が強いといえます。
そうですね。大統領制ではなくて派閥政治のようなものですね。
>「無宗教」だけれど、「無神論」ではない日本人
> 神道と仏教の割合が多いとされる日本ですが、ロイターの記事によると、アメリカの調査機関ピュー・リサーチ・センターが2012年に発表した統計では、日本人の約6割が「無宗教」という結果が出ているそうです。
>これは、神道や仏教には入会儀式が存在せず基準が曖昧なため、現状と報告上の数値で差が出るためと考えられます。
>実際に「信仰している宗教は?」と聞かれて、すんなり「仏教」もしくは「神道」と答えられる日本人は少ないのではないでしょうか?
そうですね。でも葬式の時に仏教か、神道かわかりますね。僧侶と神官は同席しませんからね。
> また、日本人は唯一神を信じ、熱心に信仰するということに抵抗感がある人が多いと言えるでしょう。
そうですね。日本人は個人主義が嫌いですからね。たとえ神様であっても一人ではない。八百万でないと承知しない。つかみどころのない人間が日本人の特徴ですね。
>特に新興宗教に強い警戒心を抱きます。
布教・折伏は歓迎されませんね。お変わりのないことが何よりなことです。
>これは戦前に天皇を神とし、妄信的なまでに推し進められた国家神道の政策や、1995年にオウム真理教が起こした「地下鉄サリン事件」などをはじめとするカルト教団の存在など、これまでの歴史が大きく関わっているといわれます。
皇民化教育などの洗脳教育がありましたね。日本人には批判精神がないから筋金入りの人間ができやすいですね。知識は喜ばれるが知恵は敬遠されている。原発はこしらえても、思慮のない運用によりメルトダウンをきたす。
> しかし、間違えてはいけないのは、日本人は決して神を信じていない「無神論」の民族ではないということです。
日本は神の国ですね。津々浦浦に社 (やしろ) がありますね。
>神様はいる、もしくはいるかもしれないと思っているけれど、「これ」といえる宗派に属していないというのが多くの日本人のスタンスなのです。
神道は神社本庁に一本化されていますね。
> では、海外の宗教事情はどうでしょうか?
>例えば主要国首脳会議、いわゆるG8といわれる先進国ではキリスト教徒が多く、宗派の詳細は異なりますが、各国6~8割程度の人々がキリスト教を信仰しています。
彼らは印欧語族ですね。
>アジアに目を向けると、人口とGDPが右肩あがりのインドでは、ヒンドゥー教が8割を超え、無宗教の割合はいずれも日本に比べると低いのです。
インド人も印欧語族ですね。彼らは哲学・宗教に強いから個人に指導力がありますね。
>中国は無宗教の人口が多いとされていますが、お隣の韓国では、2016年に統計を取り始めて以来、はじめて無宗教の割合が5割を超え、宗教離れが問題としてニュースにもなりました。
中国は宗教に寛容な国ですね。宗教を尊重することもない。
>無宗教者が多い国というのは、数としてはマイナーなのかもしれません。
>フラットな目線で宗教を見つめる
> 無宗教という反面、常にフラットでいられる日本人は、宗教に寛容な民族性を持っているとも言えます。
日本人はどの宗教も信じられないということでしょうね。それが寛容という言葉で表現されるのでしょうね。
>だからこそ、年末にはクリスマスでイエス生誕を祝い、年が明けたら初詣で氏神様にご挨拶、という文化がすっかり定着しているのです。
日本人は思考を停止しています。ですから、非現実 (考え) の内容を文に表すことができません。宗教が現実 (儀式) があって、非現実 (教義) がない状態に変質すると日本人の文化に受け入れられますね。
> 明治時代の文人・芥川龍之介は『神神の微笑』という小説のなかで、「日本に宗教を根付かせることは難しい」ということを語っています。
>2000年の歴史のなかで、日本には多くの宗教が海を渡ってやってきました。
>日本人は大昔から、新しい文化を目にし、それを受け入れる傍らで、きちんとこれまでの文化との折り合いをつけ、新しい風習へと昇華していったのです。
> 日本人に合うと感じられる教えや風習は積極的に取り入れる。
無哲学・能天気の民に適した宗教は、無哲学の風習でしょうね。
>一方、元来の日本人の性質や日本の風土と異なるような教えはそうではないけれども、信仰そのものをすべて否定したりはしない。
日本人の寛容は、無理解の言い換えにすぎませんね。哲学・宗教に弱い民族の外来宗教に適応の一つの方法でしょうね。
>宗教や宗派の違いは、現在でも多くの人々や国々の間で争いの種となっていますが、日本の摩訶不思議な宗教観には、そんな現状への突破口が、もしかすると隠されているのかもしれませんね。
宗教家は常に派閥的で狭量ですからね。我田引水により他の宗教に争いの種を巻き散らしますね。そこに行くとユダヤ教徒は感心ですね。彼らは他人の宗教を認めるそうです。ですから彼らは異教徒にユダヤ教の布教もしないとのことです。
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