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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

バリー・オライリー氏  

2022-11-28 20:43:33 | 文化

>ダイヤモンド・オンライン   >現代のリーダーに足りない、一番大切なもの   >バリー・オライリー,中竹竜二,山内あゆ子 - 7 時間前   

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>個人も組織も、学ぶことは大切ですが、もはや、それだけで十分ではありません。   >ビジネスでも、スポーツでも、同じスキルや戦略が、そういつまでも通用はしません。   

 

そうですね。同じ柳の下に泥鰌はいない。     

 

>常に何かを学びなおさなければいけない時代になっています。  >その時代のキーワードこそ、アンラーンです。 [unlearn: ある知識を偽りだとして捨てる

>学びなおす力であるアンラーンを妨げるのは、過去に達成するのに役立ったが今では限界に達している行動や方法、つまり「成功体験」だったりします。   

 

そうですね。教養が邪魔をしているのですね。       

 

>セリーナ・ウィリアムズからディズニー、アマゾン、テスラ、グーグル、NASA…事例満載でアンラーンの全貌がはじめてつかめる本、『アンラーン戦略 「過去の成功」を手放すことでありえないほどの力を引き出す』(バリー・オライリー著、ダイヤモンド社刊)から、アンラーン戦略の重要ポイントを紹介していきます。(監訳:中竹竜二、訳:山内あゆ子)   

>リーダーには「考える時間」すらない   

> 今日、ほとんどのリーダーは、より迅速に意思決定を行い、急速に変化する市場に俊敏に対応し、顧客のニーズを的確に捉えるなどして、ビジネスの方法を常に変えていかなくてはならないことを認識している。   

 

そうですね。   

 

>古いビジネスの方法から新しい方法へと移行する際の大きな問題の一つは、組織を率いる人たちの神経回路が時間の経過とともに凝り固まり、硬直化してしまうことだ。   

 

伝統と格式にとらわれていますね。   

 

>日常業務の現場からもたらされる情報や偏った見方によって、リーダーは近視眼的なものの見方にとらわれてしまう。   

 

そうですね。リーダーは目先・手先の事柄にとらわれがちですね。    

 

> 即座に結果を出さなければならないという強迫観念は、過密なスケジュールと、意思決定したことを迅速に遂行することのプレッシャーとも相まって、リーダーに結果を振り返る機会をほとんど与えない。   

 

結果の評価は常に必要ですね。    

 

>計画は問題に邪魔され、それにより状況は変化してしまい、結果、コントロールできない隠れたコストが生じる。   

> リーダーの多くは、問題を深く検討し、ほかの選択肢がないかどうかを「考える」時間すら取れない。   

 

そうですね。思考を停止している人は、自分の望む内容にしか耳を傾けなくなりがちですね。   

 

>その結果、短期的な業務効率の改善や、短期的な収益の確保に最適化した解決策を講じることになるが、最終的に、彼らの顧客に資するビジョンは何なのか、顧客が抱えている課題は何か、顧客のためになる体験とはどんなものか、といった観点から物事を考えられなくなってしまう。   

 

そうですね。知識は大切にするが、知恵には興味が湧きませんね。   

 

> こうなると学習することが不可能になるが、それ以上に問題なのは、自分や、自分が携わるビジネスの効力を制限し、何も得るもののない日々の繰り返しに封じ込めている行動様式や考え方を、アンラーンできなくなってしまうことだ。

>多くの場合、こうした現象は進歩と勘違いされてしまう。   

> だが、信じてほしい。   

>そうではないんだ。   

> リーダーたちは忙しい合間をぬって、社外でイノベーションについて学んだり、週末のリトリート〔仕事や家庭から離れて自分と向き合う時間をつくること〕に出かけたり、国際的に名高い大学やビジネススクール、団体での1週間のプログラムに参加したりして、新しいアイデアや戦略をたくさん抱えて職場に戻ってくる。   

>だがほとんどの場合、すぐまた快適な行動様式と思考パターンに戻ってしまう。   

>さらに、戻ってきたとたんに直面する現実に打ちのめされる。   

> だから、今日の企業におけるトレーニングや自己啓発の努力のほとんどが、失敗しているのも無理はない。   

>最近のハーバード・ビジネス・レビュー誌の記事は、アメリカの企業は従業員のトレーニングや教育に、とてつもない金額をかけていると指摘している。   

>2015年には、アメリカでの総額は1600億ドル〔約17640億円〕、全世界では3560億ドル〔約39250億円〕だった。   

>それなのに、仕事で成果を上げるためにトレーニングが役立ったと言う人は4人に1人しかいない。   

>「たいていの場合、学習によって組織の業績が向上するわけではない。   

>誰もがすぐに、元のやり方に戻ってしまうからだ」   

> アンラーンはそれとは違う。   

>1回こっきりで終わりではなく、〈アンラーンのサイクル〉を繰り返すシステムなのだ。   

>未来を見据えながら、今あるものを手放して、現実に適応するためのシステムだ。   

 

新規まき直しのことですね。    

 

>これまでに行ったことが何であれ、それが現時点ではもう役に立たない可能性があると認識することだ。   

>時代遅れの情報から離れるタイミングを知り、新しい情報を自分の考えに取り入れ、自分の行動を現実に適応させる力を伸ばさなければならない。   

> 勇気とは、自分がやっていることがもう役に立たないことを認識し、手放して、進歩に必要なことを実践するための行動を起こすことだ。   

>最初の突破口は、とにかくアンラーンすべきだと気づくことだ。   

 

そうですね。ご破算で願いましては、、、、、ということですね。          

 

>達成したい願望や結果を明らかにし、そのための意図的な習慣と組み合わせることによって、望む状態に向かって動き出し、並外れた成果を出すことが可能になる。   

> アンラーンのシステムは、私が〈アンラーンのサイクル〉と名づけた、個人や集団が成長するための3ステップのアプローチに基づいて形作られるものだ。   

>私は何年にもわたって、優れた経営幹部や従業員、チームと協力し、アドバイスを与え、指導することで、このシステムを開発した。   

 

それはあなたの成功物語ですね。   

 

>高い業績を上げている人々がいかにこのシステムを、ごく自然に、意識することさえなく使っているか、また、あなたが成長して影響力を持つために、自分の性格や能力を育てるための意識的な行動に、どのようにそれを利用できるかを示していこう。   

>〈アンラーンのサイクル〉を身につけるために必要なのは、頭がよいことでも運がよいことでもないし、やけくそになる必要もない。  >それはひとえに、仕事や人生でアンラーンを意図的に使ってブレークスルーを達成しようという、あなたの勇気と意欲にかかっている。   

 

その通りですね。   

 

 

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学歴  

2022-11-28 18:05:47 | 文化

>高卒でも年収1200万円のエンジニア男性が”学歴”に思うこと   >キャリコネニュース の意見 - 10 時間前   

>学歴についてはさまざまな考え方がある。   

>キャリコネニュースが実施する学歴に関するアンケートには多くの意見が寄せられているが、今回は「学歴は必要」と考える大学院卒から高収入の高卒など、読者の声を紹介する。(文:コティマム)   

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>「学歴がなければスタートにすら立てない」   

>東京都の30代男性(教育・保育/正社員/年収800万円)は、筑波大学大学院卒。   

>学歴について「一種のスクリーニングとして機能するのは確か」と語る。   

>「学歴があるから有能とも、有能なら学歴があるとも言えないのは当然としても、“学歴なく有能だ”ということを示したければ、実務で示すしかない」

 

そうですね。有能は実務の内容ですね。   

 

>その言葉に答えるような回答が、神奈川県に住む40代男性から届いている。   

>男性は高卒でITエンジニアの正社員として年収1200万円を稼いでいるという。   

>それでも「求人の前提はほぼ大卒」として「いくら良い人材でも、学歴がなければスタートにすら立てない可能性がある」と学歴の必要性を実感しているようだ。

 

そうですね。わが国は序列制度の国ですからね。学歴は足の裏に着いた飯粒のようなもの。誰もが取らずにはいられない。これは序列メンタリティのなせる業でしょうね。   

 

>自身の学歴に「不満はないがコンプレックスはある」とも打ち明けた。  

 

足の裏に付着した飯粒は誰もが気になりますね。   

 

>同じく「スタートが大事」と考えるのは、大卒の大阪府・50代女性(流通・小売系/正社員/年収400万円)だ。   

>自身の経験か人材を管理する立場からか、持論をこう断言していた。   

>「新卒でスタートラインでの年収などかなり変わる。   

>任せられる仕事も違う。   

>出世していけば変わるだろうけど、このご時世それが見込めないなら、スタート大事!」   

 

そうですね。陋習の是正には、まず機序 (mechanism) の理解が必要ですね。       

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。      

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。その原因は非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、この種の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。    

 

 

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