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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

和田秀樹氏  

2022-11-29 14:06:33 | 文化

>ダイヤモンド・オンライン   >日本の大学教授の脳は「前頭葉が弱い」と言い切れる残念すぎる理由   >和田秀樹 の意見 - 5 時間前   

>大学教授がもっとも前頭葉が弱いなどと言うと、「いくら何でも言い過ぎでは」と言われそうですが、決して誇張ではありません。   

>一般社会のビジネスパーソンと比べると、違いは明らかです。   

>研究を沈滞化させる要因として挙げられるのが、給与のしくみです。   

>※本稿は、和田秀樹『50歳からの「脳のトリセツ」』(PHPビジネス新書)の一部を抜粋・編集したものです

>偉くなってしまえば論文を書かなくてよくなるという問題   

> 大学教授がもっとも前頭葉が弱いなどと言うと、「いくら何でも言い過ぎでは」と言われそうですが、決して誇張ではありません。   

> 一般社会のビジネスパーソンと比べると、違いは明らかです。   

>どのような職種であれ、ビジネスパーソンは成果を求められます。   

>しかし大学教授は、偉くなりさえすれば成果など必要なくなります。   

> 論文の本数も、自分の研究室のメンバーが書いたものに名を連ねるだけでなんとかなります。   

>まったく書かない教授も珍しくありません。   

>論文の本数が少なかろうとクビの心配はないのですから、定年まで楽に過ごせます。   

> ちなみに、理化学研究所などの研究者は、発表した論文の本数が評価の対象になります。   

>評価が低ければ、職を失うことにもなります。   

>研究者にとってはハードですが、大学のようなぬるま湯とは大違いです。   

> なぜ大学では、こうした決まりが設けられていないのでしょうか。   

>それは、ぬるま湯でいてほしい人たちがいるからです。   

>ぬるま湯を望む人は、大学の外側にも   

> 教授たちだけではありません。   

>ぬるま湯を望む人は、大学の外側にも存在します。   

>文科省や厚労省などの官僚たちです。   

> 彼らは在任中や退官後に大学教授として再就職することをあてにしています。   

>つまり、天下りです。   

 

我が国では博士号を持たない人も学者仲間に紛れ込んでいるのではないでしょうかね。学者でなければ学術界には入れませんね。      

 

>官僚の天下りは国家公務員法で禁止されていますが、今も数々の抜け道があり、とりわけ大学は大きな受け皿となっています。   

>「公募に応じて」という体裁をとりながら、実は前職の力にものを言わせて、論文を一本も書かずに教授に収まるわけです。   

> そんな彼らにとって、天下り先がハードな環境になるのはもっとも避けたいところ。   

>将来の自分の首を絞めるような決まり事をつくるはずがないのです。   

> この思惑がある限り、大学のぬるま湯環境は変わらないでしょう。   

>逆に言えば、大学への天下り規制が強化されれば、日本の研究環境も少しは向上するかもしれません。   

>研究者のやる気をなくす大学のシステム   

> もう一つ、研究を沈滞化させる要因として挙げられるのが、給与のしくみです。   

> 日本の大学教授は、成果を出そうと出すまいと、大学から一定額の給与が支払われます。   

> 他方、アメリカの大学教授の場合は、自力で稼いでくるシステムです。   

>大学からもらう給与もありますが、日本に比べるときわめて低額です。   

>ですから彼らは行政や企業に掛け合って、「グラント(研究費)」を集めます。   

> 受け取ったグラントをどう使うかは教授の自由です。   

 

自分のグラントは教授であろうとなかろうと自由に使ったらよいですね。  

 

>10のうち8を研究資金にして2割を報酬にしてもいいし、73でも64でも、好きに決められます。   

> グラントが集められるかどうかは、教授およびその研究室が結果を出しているか、もしくは有望であるかによって決まります。   

>成果や実績、研究内容の持つ意義やポテンシャルなどを認めてもらえない限り資金は得られず、研究も続けられないし、生活も成り立ちません。   

>研究者は自分の業績をもとに営業活動をし、研究室を運営していく「経営者」とも言えます。   

>研究室にいい人材を集めるための努力も欠かせません。   

> 対して、給与をもらっている日本の大学教授は「従業員」の立場ですが、業績にかかわらず給与が出るので、一般のビジネスパーソンよりも楽です。   

>やる気のない人ほど嬉しい環境とも言えます。   

> 逆に言えば、やる気のある人にとっては、恵まれた環境ではありません。   

>と言うのも、研究の成果が報酬に直結しづらいシステムだからです。   

>アメリカと違い、研究費は研究以外のことには使えません。   

>研究の成果が出ても、それが商品化されてお金になるまで、報酬にはなりません。   

>研究のほとんどは、お金を生み出すに至らなかったり、至ったとしても途方もない時間がかかりますから、やりがいにはいま一つ結びつきません。   

> もちろん、モチベーションの源はお金だけではありません。   

>報酬など気にせず、意義ある研究や発見のために邁進(まいしん)するのも一つの姿勢です。   

>ところが日本の学界は、研究の価値を正当に評価する意識も希薄なのです。   

 

日本人には現実 (事実) の価値判断はできるが、非現実 (考え) の価値判断は難しい。   

論文は非現実 (考え) の内容を示すためのものである。だから、日本人にはその評価の意義は薄いです。      

 

>iPS細胞のような「特大ホームラン」でもない限り、さほど注目されることもありません。   

>そうしたなかで、もともとやる気のある研究者でも、徐々にやる気を失っていくのです。   

 

日本人は序列人間で、序列社会を作り上げている。その人間序列は没個性の比較で成り立ち、個性的な学術の成果とは無縁ですね。      

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。     

 

 

 

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広島叡智学園  

2022-11-29 11:43:26 | 文化

>これが公立!? 広島叡智学園が実現する「最先端の教育環境」とはー   >202215 1602 (317 1830分更新)  

><連載・未来をつくる学校 #1>   

> 激しさを増す社会の変化に対応できる人を育てるため、教育現場は変革を迫られている。   

>画一的なイメージのある公立校も、従来の手法にとらわれず、大胆かつ魅力的な人づくりを掲げる学校が全国にある。   

>そうした先導的な学校を4回にわたり紹介する。   

>初回は、全寮制の中高一貫校、広島県立広島叡智学園。   

>グローバルリーダーを育てる最先端の教育環境とは-。   

> (宮崎厚志)   

>【広島叡智学園】広島県大崎上島町に、2019年4月開校。   

>21年度の生徒数は116人で、広島県外の小学校からは42人。   

>定員は中学は各学年男女20人ずつで、高校からは外国人留学生など20人が加わる。   

>授業料、教材など諸費用、寮費(食費を含む)を合わせ、学費の年間総額は中学校で約60万円、高校で約74万円。   

>全国から集まる子どもたち「すごく楽しい」   

> 瀬戸内海に浮かぶ人口約7800人の大崎上島。   

>かつては造船業で栄えたこの島に、全国から子どもたちが集まってくる。   

>北海道から沖縄まで、約3分の1が県外からの入学者だ。   

> その1人、愛知県内に実家がある中学1年の赤穂真菜さん。   

>小学校では仲間と協力する授業が好きだった。   

>ただ、発言の機会が限られ、議論が深まらない不満も。   

>対照的にここでは、ほとんどの授業がグループワークで進む。   

>「すごく楽しい。   

>もっと自分から行動を起こして、成長したい」   

 

そうですね。議論の仕方を覚えましょう。   

 

>開放的でゆるやかにつながる校舎   

> 平屋の建築群が並ぶ校舎は、図書館棟を中心に、国語・英語を学ぶ言語棟など教科の系統ごとに分かれた教室が、開放的な学習スペースを介してゆるやかにつながる。   

>そのスペースで放課後、多くの生徒がオンラインでの1対1の英会話に励んでいた。   

>国際バカロレア教育で海外進学へ   

> 同校は、文部科学省も推進する国際的な教育プログラム「国際バカロレア(IB)」の認定校。   

>高校3年時に外国語で受ける最終試験を通れば、海外大学の入学資格を取得できる。   

>教員は3分の1が外国人。   

>英語の学習時間は高校1年冬までに計約5000時間を計画。   

>2022年度に開校する高校は、外国人留学生らが1学年に20人加わり、さらに国際色豊かになる。   

> 英語は他の教科でも積極的に使う。   

>例えば理科。   

>細胞分裂の単元で、中学3年生らがグループに分かれ、「metaphase(分裂中期)」といった学術的な英単語も同時に覚えながら話し合った。   

>【国際バカロレア教育 中部9県の中学・高校では5校を認定】 国際バカロレア教育は、幼児教育の年齢から3種類あり、国内ではインターナショナルスクールを中心に広がっている。   

>国は2022年度までに認定校・候補校を200校以上にすることを目標に掲げている。   

>文科省が定める狭義の中学・高校では、21年12月現在、認定校は全国に41校。

>そのうち中部9県には5校(愛知2校、長野1校、静岡1校、滋賀1校)あり、公立は20年度に開始した滋賀県長浜市の虎姫高校のみ。   

>同校では入学後に校内での選考を経て各学年最大20人が履修する。   

>人間力を育む授業と寮生活    

> 一方で、単純な知識量を測る定期テストはない。   

 

それは良いことですね。日本人は、知識は大切にするが知恵は大切にしませんからね。知識は没個性的ですが、知恵は個性的ですからね。日本人には個人主義が未だに浸透していませんね。     

 

>「失敗こそ最高の学び」と考えるIBでは、プロジェクト型の学習が軸。   

 

失敗すると悔しいから、事実の内容をいつまでも忘れない。記憶力が促進し知識量が増す。経験豊富な人になる。成功体験は、更なる学習を阻害する。油断大敵ですね。     

 

>同校の特徴的な教科「未来創造科」は、「幸せとは何か」をテーマに地域のお年寄りへのインタビューで幕を開ける。  

 

お年寄りは経験豊富ですからね。勉強になりますね。   

 

>国内の外国籍の中学生を招いたサマースクールでは、「海外への平和の発信」という広島ならではのテーマで学びを深めた。   

 

紛争当事国への平和発信ですね。   

 

>寮での共同生活と自治も、生徒らの自立心を育てる。  

 

人間には自主・独立の精神が必要ですね。   

 

>多様性のなかでリーダーは育つ   

> 県立校が県外や国外から積極的に生徒を受け入れることには異論もある。   

 

金の問題がありますね。   

 

>しかし福嶋一彦校長は、多様性あふれる環境こそが重要だと強調する。  

 

我が国が教育立国であることを示したいものですね。   

 

>「新しい時代のリーダーは背景の異なる集団の中で育つ。   

>世界に目を向けた子どもたちはいずれ、自らが学んだ広島にも目を向けるようになる」    

>【福嶋一彦校長からのメッセージ】   

> 卒業時に、いわゆる難関大へ行ってほしいとは思いません。   

 

そうですね。現在の日本は難関出身者が幅を利かせる社会ですね。このような差別は国際社会で通じませんね。改める努力が必要ですね。      

 

>今の中3には家庭の事情で海外への進学が難しい子もいますが、どう道を切り開いていくかを早くも考え始めている。   

>ずぶとく、たくましく、創造的に。   

>起業したいという子が出てくればうれしいですね。   

 

そうですね。わが国には何でも揃っている。だが、ただ夢と希望だけがない。この構造を改めるべきですね。    

わが国は資源小国である。天然資源は不足しているが、人口は一億以上ある。決して小国ではない。この人口の頭脳を活用すれば、わが国は衰退途上国から脱することができる。

我が国には人手不足はあるが、頭脳不足の話はない。日本人は思考を停止しているが、それが当たり前のことになっていて頭脳不足とは考えられていない。

わが国は、無哲学・能天気の国である。だから、国民は歌詠みになる。バラバラな単語ばかりの歌詞には意味がない。だから議論がない。ただ、気分・雰囲気を伝えることにより満足している。 

日本語は写生画の言葉である。現実 (事実) は見ればわかる。Seeing is believing. 現実の正解は一つしかない。問答無用である。だから、日本語はご唱和の内容になる。

非現実 (考え) の内容は見ることができない。だが文になる。だからその内容は理解できる。文にならないものは考えではない。

矛盾を含まない文は、全て正しい考えを表している。考えは、一人一人違っているから、正解は無数にある。考えの優劣を競い合う議論も可能になる。

 

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

 

体系のない日本人の発想は哲学には成らずして、空想・妄想になる。これを白昼夢というのかな。おかげさまでわが国は、漫画アニメの大国になりました。  

体系的な考えは哲学になる。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.  

日本人には自己の考え (非現実) がない。だから、わが国のインテリは受け売り専門の人になる。思考を停止している人は、つかみどころのない人間になる。     

 

イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)

 

大学などの高等教育機関で論文作りに励めば学士・修士・博士などの称号が得られる。博士は普通 '哲学博士' (Doctor of Philosophy: Ph. D.) と呼ばれる。

私は日本のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何度も聞かれた。外国人からは、このような質問を受けたことはない。日本人は大学で、自己の哲学を作ることを学んでこなかった。だから彼らは退屈男・退屈女となって大学在学中の4年間を遊んで暮らさなければならなかった。       

政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。  

我が国の政治家には政治哲学がなく、わが国の宗教家には宗教哲学がない。わが国の科学者には科学哲学がなく、わが国の著述家には人生哲学がない。などなど。   

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)    

 

TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。

孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)(引用終り)  

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、言葉 (ロゴス) について以下のように語っています。

、、、、、 母親が子供に「チャント・オッシャイ」という場合、明晰かつ透明 (英語ならクリヤー) に言えということでなく、発声・挙止・態度が模範通りであれ、ということである。だが、クリアーということは、原則的にいえば、その人間が頭脳の中に組み立てている言葉のことで、発声や態度、挙止とは全く関係ないのである。プラトンの対話篇から、例として『クリトン』をあげてみよう。この対話は、明日の死刑執行を前にして、夜明けに、獄中のソクラテスをクリトンがたずねて、脱獄をすすめるところからはじまる。もちろんソクラテスは寝ている。だがどう読んでみても、ソクラテスが起き上がって、威儀を正して、法の遵守を説いて、クリトンに反論したとは思えない。ソクラテスは、おそらく最後まで寝っころがったままで話しているのだ。従って、この場合、純粋に、ソクラテスの言った言葉 (ロゴス) だけが問題なので、彼の態度や語調は全く問題にされないのである。日本では、「その言い方は何だ」「その態度は何だ」と、すぐそれが問題にされるが、言っている言葉 (ロゴス) そのものは言い方や態度に関係がない。従がって厳然たる口調と断固たる態度で言おうと寝ころがって言おうと言葉は同じだなどとは、だれも考えない。従って純然たる会話や演説の訓練はなく、その際の態度と語調と挙止だけの訓練となるから、強く訴えようとすれば「十字架委員長の金切声」という形にならざるをえない。(引用終り)     

 

日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。

 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)     

 

宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ている。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話である。

宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」(引用終り)     

 

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