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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

宮本剛獅氏  

2022-11-03 09:36:39 | 文化

>東洋経済オンライン   >人は集まるが意見が集まらず日本的会議の大問題 会議は「トップやリーダーの話を拝聴する場」に   > 宮本 剛獅 2022/10/19 08:30  

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>これは外資系企業では、ごく当たり前の会議に対する考え方ですが、日本の会社では、反対意見を言おうものなら上司に反抗していると受け取られてしまう風潮があり、余計な発言をしないことが不文律になっています。  

 

雉も鳴かずば撃たれまいということですね。  

 

>会議がトップやリーダーの意見を拝聴する場になっていますから、これでは「余計なことは言うな」という雰囲気になるのも無理はないのです。   

 

そうですね。我が国の伝統である有難いお説教の拝聴ですね。   

 

>社内の定例会議などでよくある光景ですが、日本の会社では、ずっと黙ったままの出席者が多い会議も珍しくありません。   

 

自己の意見のない人は出席に力を入れるしかないですね。これにより自己の仲間外れを防ぐことができます。    

 

>たまに意見を求められても、何の根拠も示さずにイメージだけで発言したり、相手の意見を批判することが議論だと勘違いしているなど、会議の目的をきちんと理解していない出席者が多い会議も普通にあります。   

 

自分に意見のない人は歌詠みになるか、それとも批判に徹するしかないですね。いずれにしても建設的なものにはなりませんね。    

 

>無意味な会議ほど、退屈でムダなものはありません。   

>こうした会議を繰り返していると、徐々に毎日の仕事がつまらなく思えてきます。   

>現在の会議のままでいいのか、それぞれの立場で改めて見つめ直す必要があります。   

 

日本人は思考を停止している。これを直さないと会議は現在のままで永続しますね。   

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。これは政治に必要である。日本人の場合は、無哲学・能天気にためにノンポリ・政治音痴になっている。これでは冴えた政治は行われない。

 

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

 

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

 

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 

 

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>部下を「下」と見ているから   

>部下に何らかの非があった際、超一流が優先するのは「それがダメな理由」を理解させることと「対応策」を検討することです。   

>「本当はどうすべきだったのか?」を一緒に考えることで、同じ失敗を繰り返さないための具体的なプランを作り、部下と共有するのです。   

>「謝る必要はないから、なぜそう考えたのか、本当はどうすべきだったのか、これからはどう対応すべきなのか、そこを冷静に詰めておこう」   

>頭ごなしに怒鳴られれば、部下は反省するどころか、反感を持つだけですが、紳士的な対応で一緒に善後策を検討できるのであれば、反省もするし、改善点も真剣に考えられます。   

 

そうですね。   

 

>部下を会社の「後輩」とか「下の者」と見るのではなく、同じ会社で働く「同志」と考えられるようになれば、感情に任せた雑な扱いはできなくなります。   

 

同志は紳士的対応をしますね。礼儀正しい日本人は上下作法に徹しますね。   

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。      

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、この種の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。    

 

>大人の対応を日常的に繰り返していけば、部下も自然とやる気になるのです。   

 

そうですね。上下世界よ、さようなら。   

 

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ミハシヤ氏  

2022-11-03 00:37:47 | 文化

>ダイヤモンド・オンライン   >「日本ではスタートアップが育たない」は本当?日本通の米国人専門家が語る“足りないもの”   > ミハシヤ 2022/11/02 06:00  

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>このところ行政がスタートアップ支援を推進する動きが目立っている。   

>例えば岸田内閣は2022年を「スタートアップ創出元年」とし、イノベーションの鍵となるスタートアップを5年で10倍に増やすと宣言した。   

>経済産業省は6月に経済産業省と関係独立行政法人等が行っているスタートアップ関連の支援策を取りまとめた冊子を発表。   

>東京都は「Tokyo with STARTUP」と銘打って東京都とスタートアップとの協働をさらに推進するとしている。   

>これらをただの喧伝に終わらせないようにするには何が必要なのか。   

>スタートアップ先進国・アメリカに本社を構えるケンブリッジ・イノベーション・センター(CIC)の創設者兼CEOであるティム・ロウ氏に話を聞いた。   

>ロウ氏は日本への留学や、日本企業で働いた経験もあり、流暢な日本語を操る日本通としても知られる。   

>(ジャーナリスト/PRプランナー ミハシヤ)   

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>日本のスタートアップに足りないものは?      

> 他の先進国と比べると、日本のスタートアップを取り巻く環境は出遅れている。   

>例えば、アメリカの調査会社「CB Insights」のユニコーンリストに載っている日本企業はわずか6社だ(20221014日現在)。   

>経済規模から考えるとかなり少ないといえるが、日本には何が足りないのだろうか。   

> ロウ氏は「日本人は仕事に対する意欲が高く、世界規模で見てもとても勤勉であると思います」と評価する。   

>一方で、起業家が増えない背景として日本人の行動特性も影響しているのではと指摘する。   

>「日本人は、周囲の行動や挑戦する様子を注意深く観察しています。   

 

そうですね。人の振り見て我がふり直せですね。自分自身に考えがない。   

 

>周りの人々が挑戦していたり、既に取り組んでいたりすると分かれば、大きなリスクがあっても挑戦することができます。   

>その一方、例えば、サーフィンをするのにとてもいい波が来るビーチが目の前にあったとしても、他にサーフィンをしている人がいなければ、日本人はその波に飛び込むことをためらってしまいがちです」

 

そうですね。失敗してはいけない。出る杭は打たれるですね。    

日本人には意思がない。だから受動ばかりで、能動がない。大概の人は指示待ち人間になっている。  

 

> 皆がやり始めてから行動に移すのでは、好機を見過ごすことになりかねない。   

 

そうですね。それはオリジナリティのない励みになりますね。後追いと受け売りの生活ばかりになりますね。       

 

> さらにロウ氏は「国際的な視野を持ったスケールの大きな企業ほど、競争に勝てる可能性が高くなるということを、もっと意識すべきではないか」ともいう。

 

そうですね。我々は井の中の蛙ではいられませんね。日本人は内向き姿勢ですね。外国には人間序列の社会がありませんからね。わが国への帰属意識が日本人の外国進出を阻んでいますね。       

 

>「例えばアメリカのスタートアップの多くは、起業したときから世界の市場を視野に入れています。  

 

日本語の文法には時制というものがありませんから、日本人には過去・現在・未来の世界観がありませんね。ですから、未来社会の内容は常に想定外になっていますね。    

 

>起業したばかりのときは国内市場での成功にのみ着目してしまいがちですが、日本で生まれるスタートアップは、事業が軌道に乗った後も世界市場へのシフトに苦戦しているように思います。   

>早い段階で国外の市場を視野に入れることができれば、自社のサービスやプロダクトを世界規模で展開し、コストダウンや技術革新などに力を入れることができるでしょう。   

>そうすることで、厳しい競争の中でも生き残っていくことができるはずです」   

>“世界で勝つ”にはそれなりの規模が必要なのだ。  

 

世界で勝つには世界観の内容が必要ですね。   

 

>もちろん日本の企業もその点は理解しているはずだが、まだまだ甘いのかもしれない。   

 

日本人の世界観は五里霧中といったところですね。  

 

> 世界を市場として捉えるには何をすべきなのかというと、実際に海外に行って国際的な視野を持つことが不可欠であるとロウ氏は語る。  

 

全く同感ですね。   

 

>「海外のスタートアップに就職をしたり、アクセラレーションプログラムに参加したりするのもよいでしょう。   

>ビザの問題や言葉の壁を理由にちゅうちょする人もいるかもしれませんが、方法はいろいろあると思います」   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

>激動の時代は、スタートアップにとって「追い風」   

> コロナウイルスの蔓延やウクライナ戦争など、この数年で世界は大きく変わったが、激動の時代というのはスタートアップにとってはむしろ追い風であるとロウ氏は言う。   

>「物事がうまくいっているとき、人は変化を望まないものです」   

> ピンチをチャンスに変える、それこそが起業家の考え方だという。    

>「明治維新は日本を近代化、国際化に導きましたが、それを余儀なくさせる時代の必然的な流れが背景にあったといえます。   

>現在の日本は再び維新の時を迎えているのではないでしょうか」   

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、以下のように述べています。

日本人は全員一致して同一行動がとれるように、千数百年にわたって訓練されている。従って、独裁者は必要でない。よく言われることだが、明治というあの大変革・大躍進の時代にも、一人のナポレオンもレーニンも毛沢東も必要でなかった。戦後の復興も同じである。戦後の復興はだれが立案し指導したのか。ある罷免された大使が、ドゴール、毛沢東、ネールの名はだれでも知っているが、吉田茂などという名は特別な知日家を除けばだれも知らないと言っているが、これは事実である。(引用終り)  

 

> 日本では第2次世界大戦後に多くの企業が誕生した。   

>経済に勢いがあった197080年代、それらの企業には活気があった。    

>しかしその当時誕生した企業たちは現在、人間でいえば70歳、80歳の高齢者になっている。   

>「今の時代に不安や危機感を抱いている人は少なくないと思いますが、それを好機と捉えることもできるはずです。   

>危機は時に味方になります。   

>“よいクライシス”もあるのです」   

> 人々は危機にひんしているときに初めて変わることができる。   

>つまり、危機があるからこそ変化できるのだ。  

 

そうですね。何もかも危機があるからですね。    

 

>新しい価値を生み出すのは、新しい企業   

> 変革を進める鍵となるのは、新しい企業だ。   

>「起業家の育成がなぜ重要かというと、起業家こそが世界のさまざまな問題を効率よく解決できるからです。   

>例えば、地球温暖化や食の安全性などの課題解決には、今までにない斬新なアイデアが必要です」   

> 従来の慣習にとらわれていては柔軟な発想はできないし、その新しいアイデアを実現できるのは、ほとんどの場合が新しい企業なのだという。   

>「一般的に、時を経て組織の文化は形成されますが、同時に時を経るほど形成される慣習からは抜け出すことが難しくなっていきます。   

>これは日本だけではなく世界共通の現象といえます。   

 

そうですね。世界には強固な仕来りに苦しめられている人も大勢いますね。     

 

>したがって、もし新しいことに挑戦したいのであれば、新しい組織を構築することが必要なのです」   

> 冒頭でも述べたが、ロウ氏は日本との関わりが深い。   

>話を聞いていても、日本人の性格や習慣をしっかり捉えていると感じた。   

>よい部分だけでなくネガティブな部分も見ているはずだが、日本の将来の可能性を高く評価しているという。   

> ロウ氏の指摘とも重なる「チャレンジ精神が足りない」「グローバルな視点に欠ける」などは、日本人の特性として以前からよく議論されていることであるが、なかなか変わることができない部分であるともいえる。   

 

何事もお変わりのないのが何よりなことです。    

 

>行政のスタートアップ支援というと、鳴り物入りの派手な施策を思い浮かべがちだが、まずは変化すべきところを変えていかないと先に進めないのではないだろうか。   

>根本的な課題を解決することの重要性を改めて感じた。   

 

根本的な課題が何であるかを考えることが大切ですね。    

 

 

 

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