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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

愛子天皇  

2024-11-13 23:36:39 | 文化

>プレジデントオンライン   >ついに国連が「男系男子限定」に勧告宗教学者が断言「皇室典範改正ー>愛子天皇実現への初手はこれしかない」   >島田裕巳によるストーリー・   >13時間・   

10月末、国連による民法改正勧告がなされた。   

>「皇位継承」についても含まれ、「皇位は男系男子が継承する」とする皇室典範の改正も求められている。   

>宗教学者の島田裕巳さんは「保守層、あるいは男系固執派には、いまだに旧皇室典範の考え方が受け継がれているように見える」という――。   

 

日本人には現実 (事実) があって非現実 (考え・哲学) がない。だから現実肯定主義 (男系固執派) になりやすい。      

男女平等はリーズン (理性・理由・適当) ですから、その例外を現実の中から探し出しても始まらない。

 

>愛子天皇実現に連なる国連の勧告   

>思わぬ形で、日本は愛子天皇実現の方向にむかわざるを得なくなった。   

1029日、国連の女性差別撤廃委員会は日本政府に対する勧告を含めた最終見解を公表した。   

>その勧告では、夫婦が希望すれば結婚前の姓を名乗ることができる「選択的夫婦別姓」を可能にするよう民法改正を進めるとともに、皇位継承における男女平等を保障するため、皇位は男系男子が継承すると定めた皇室典範を改正することが求められている。   

>現在の皇室典範では、第一条で、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と規定されている。   

>この規定が女性差別にあたるというのである。   

 

そうですね。男女の別は現実の内容。男女平等は非現実の内容。非現実の内容に従って現実を変革しようとするのが人間の努力ですね。      

 

>国連が選択的夫婦別姓導入のための民法改正を勧告するのはこれが4回目である。   

>皇位継承のことについては初めてになる。   

2016年にも、そのことを勧告に盛り込もうとする動きがあったものの、日本政府が抗議することで、それは削除された。   

>しかし、今回は勧告に含まれることとなった。   

 

それは進歩ですね。   

 

>女系天皇容認論への強い反対   

>これに対して、林芳正官房長官は同月30日の記者会見で、勧告において「皇位継承にかかる記述がされたことは大変遺憾だ」と述べ、同委員会に強く抗議し、削除を申し入れたことを明らかにした。   

>政府は勧告が出る前にも、同委員会において、皇室の問題をそうした形で取り上げることは適切ではないと反論していた。   

>また、「皇統を守る国民連合の会」の会長である葛城奈海(なみ)氏は、同委員会でスピーチを行い、「天皇は祭祀(さいし)王だ。   

>ローマ教皇やイスラムの聖職者、チベット仏教最高指導者のダライ・ラマ法王はみな男性なのに、国連はこれを女性差別だとはいわない。   

>なぜ日本にだけそのように言うのか」と発言した。   

>この会は任意団体で、女系天皇容認論に強く反対し、戦後に臣籍降下した11宮家の皇族復帰を求めている。   

>勧告は法的拘束力を持つものではないので、ただちに日本が皇室典範の改正を行う必要はない。   

>だが、その方向にむかわなければ、同委員会は、次の機会にも同じ勧告を行うはずである。   

>それは、一定の圧力になる。

>勧告が出た後、葛城氏は、産経新聞の取材に対して、「毅然と『国家の基本』を継承していく姿勢を貫くべき。   

>勧告はスルーして構わない」と述べている。   

>ローマ教皇を引き合いに出すのは妥当か   

>しかし、彼女の反論については、それが有効なものなのかどうか、そこに大きな疑問をいだかざるを得ない面がある。   

>葛城氏は、ローマ教皇やダライ・ラマ法王のことを反論の材料にあげている。   

>たしかに、ローマ教皇はこれまですべて男性である。   

>しかも、カトリック教会では、女性が神父になることを認めていない。   

>それは、プロテスタントとの決定的な違いで、プロテスタントでは女性の牧師がいくらでもいる。   

>ダライ・ラマも、現在で14世になるが、こちらもすべて男性である。   

>チベット仏教では尼僧もいるが、女性がその最高位につくことはない。   

>その点で、葛城氏の反論はもっともなものに思えるかもしれない。   

>けれども、国連の委員会が、この二つのケースを女性差別の実例として問題視することは考えられない。   

>というか、制度的にあり得ないのだ。   

>というのも、勧告の対象となるのは、「女性差別撤廃条約」を批准している国連の加盟国にかぎられるからだ。   

>日本はその対象になっているが、ローマ教皇の居住するバチカン市国は国連の非加盟国である。   

>常任のオブザーバーの地位にはあるが、投票権は認められていない。   

>それに、カトリック教会は世界に広がった宗教組織であり、国連と直接に関係を持っているわけではない。   

>皇室を政治の問題として扱う国連の立場   

>ダライ・ラマの場合には、かつてはチベット政府の元首であったものの、現在ではチベットから追い出され、亡命政権となっている。   

>チベット亡命政権は国連には加盟していないし、チベットは中華人民共和国の領土となっている。   

>したがって、国連の委員会が、ローマ教皇やダライ・ラマが男性ばかりである点をとらえて、それを女性差別として、その是正を勧告することは、そもそもあり得ないのである。   

>果たして葛城氏は、その点を理解しているのだろうか。   

>日本の天皇をローマ教皇やダライ・ラマと並べて論じることは、葛城氏が、それを宗教の問題として扱っているという印象を他の国に対して与える可能性がある。   

>国連は、それをあくまでそれぞれの国の政治の問題として扱っているのであり、そこにはどうしてもズレが生じてくる。   

>それは、複数の委員から「国連は他の王室がある国にも言ってきたので、日本にも言っているだけ」という声があがったところに示されている。   

>皇室も、王室一般ととらえられているのだ。   

>ヨーロッパの王室でも、かつては男性しか国王になれないところが多かった。   

>ところが、第2次世界大戦後、男女同権の考え方が広まることで、第1子が男女を問わず王位を継ぐ「長子相続制」をとる国が増えてきた。   

>今なお、女性の王位継承を認めないのはリヒテンシュタインだけになった(朝日新聞20241030日)。   

>国連の委員の念頭には、こうしたことがあるわけである。   

 

日本はバスに乗り遅れたのですね。現実肯定主義の祟りですね。      

 

>天皇を男性に限定したのは明治時代   

>それに、カトリック教会もチベット仏教も宗教であり、いくらその組織の規模が大きくても、それは民間の団体である。   

>そうした宗教団体に対して、国連という政治組織が介入することは、近代社会で確立された政教分離の原則に反することになる。   

 

そうですね。    

 

>そうした点で、葛城氏の国連に対する批判は的を射たものにはなっておらず、かえって日本側の認識の誤りを露呈する形になってしまった。   

>日本政府の反論も、国連の勧告を軽視するものとしか、他の加盟国には受け取られないだろう。   

 

そうですね。   

 

>しかも、日本の歴史を振り返れば、飛鳥時代から奈良時代にかけては、多くの女性の天皇があらわれ、江戸時代にも女性が天皇に即位している。   

>天皇を男性に限定したのは、明治時代になってからで、法的には旧皇室典範からである。   

>その点で、皇統は男性男系に限るという考え方は、近代に生まれたものである。   

>果たしてそれをもって「伝統」と言えるのかどうか、そこがどうしても疑問になってくる。   

 

日本人には内容がないので、形式にはそれだけ余計に拘りますね。   

 

>もし皇室典範の改正がなされなかったとしたら、国連の委員会は、ふたたび同じ勧告を行うだろう。   

>選択的夫婦別姓に対する勧告が4回に及んでいるわけだから、事態が変わらなければ、勧告はくり返されるはずだ。   

 

そうですね。   

 

>女性宮家創設で生まれる新たな女性差別   

>懸念されるのは、その間に、今、皇族の確保のために模索されている女性宮家が実現されたときである。   

>女性も宮家の当主になれるという点では、女性差別の解消に一歩前進したように受け取られるかもしれない。   

>ただそこで問題になってくるのが、宮家となった皇族女性と結婚した配偶者や、その間に生まれた子どもの扱いである。   

>現在のところでは、女性宮家の配偶者や子どもは皇族とはしないという考え方が有力である。   

>仮に愛子内親王が結婚した後、女性宮家に皇族として残っても、その夫や子どもは皇族ではなく、一般国民にとどまることになる。   

>となると、男性宮家の妻や子どもとの間に格差が生まれる。   

>男性宮家の妻や子どもは、そのまま皇族になるからである。   

>これは新たな女性差別ではないか。   

 

そうですね。   

 

>国連の委員会はそれを問題にするだろう。   

>となると、さらに勧告は厳しいものになるかもしれない。   

>そうなれば、政府も勧告に対して反論することが、今以上に難しくなっていく。   

>そもそも、皇統を男系男子に限定した明治以降の考え方は、家父長制を基盤においており、現代の感覚からすれば、完全に時代遅れのものなのだ。   

 

そうですね。長子相続は戦後無くなりましたね。      

 

>女性・女系天皇実現に必要な初手とは   

>なぜ皇統は男系男子に限るのか。   

>その根拠は極めて薄弱である。   

>日本の歴史のなかで、多くの女帝が誕生してきたことを踏まえるならば、その根拠は、明治時代に「そのように決めた」というところにしか求められない。   

>しかも、それを規定している皇室典範は、現在では一般の法律とかわらないもので、国会の議決でいつでも改正が可能である。   

>戦前の旧皇室典範は、皇室にのみかかわる「家憲(かけん)」とされ、官報にも掲載されず、発表も非公式のものであった。   

>その一方で、「典憲(てんけん)」ということばがあり、大日本帝国憲法と同格と見なされた。   

>したがって、帝国議会によって改正ができないものであった。   

>そこが、戦後の新しい皇室典範とは決定的に違うのだ。   

>保守層、あるいは男系固執派には、いまだに旧皇室典範の考え方が受け継がれているように見える。   

>本来なら、戦後に今の皇室典範が生まれたとき、「皇室法」と改称すべきだった。   

>そうなっていれば、いつでも改正が可能な法律のイメージが生まれていたことだろう。   

>皇室典範を皇室法と改称する。   

>手初めに必要なのは、その着手かもしれない。   

 

そうですね。   

 

---------- 島田 裕巳(しまだ・ひろみ) 宗教学者、作家 放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。   

>『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。   

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大変化

2024-11-13 17:28:41 | 文化

>現代ビジネス   >終身雇用はもはや崩壊、退職金もなくなる…衰退ニッポンがこれから直面する「大変化」   >河合雅司 (作家・ジャーナリスト) によるストーリー・   >7時間・   

>この国の人口はどこまで減っていくのだろうか。   

>今年1年間の出生数が70万人割れになるかもしれず、大きな話題となっている。   

>そんな衝撃的な現実を前にしてもなお、多くの人が「人口減少日本で何が起こるのか」を本当の意味では理解していない。    

 

そうですね。起こってみなければ本当の事は分らないという事ですね。これは日本人の現実肯定主義ですね。     

 

>ベストセラー『未来の年表 業界大変化』は、製造・金融・自動車・物流・医療などの各業界で起きることを可視化し、人口減少を克服するための方策を明確に示した1冊だ。   

>※本記事は河合雅司『未来の年表 業界大変化』から抜粋・編集したものです。   

>人事制度そのものを一変させよ   

>従業員の向上心を引き出すためには、成果と能力をきちんと評価することもポイントとなる。   

>それには、人事制度そのものを見直し、年功序列をやめることである。   

 

それは難しいことですね。   

 

>そもそも年功序列や終身雇用という日本特有の労働慣行は人口減少社会では成り立たない。   

 

礼儀正しい日本人はため口を禁じられているので、相手と対等な立場でものをいう事ができない。人間が真に平等であるという実感を体験したことがない。   

 

>年功序列は定年などで退職する従業員数と同規模か上回る規模の新入の従業員がいてこそ可能だが、若年人口ほど減っていくので今後はこうした世代循環はスムーズにいかなくなる。   

 

そうですね。   

 

>中途採用を含めた新規採用者で退職者数を穴埋めできなければ、組織の規模は徐々に縮小していく。   

>その時点で「戦略的に縮む」方向へと経営モデルを切り替えればいいのだが、多くの企業は目の前の人手不足に対処すべく定年延長や再雇用による辻褄合わせに走る。   

 

そうですね。現実肯定主義ですね。改革にはおいそれと手が出ない。   

 

>これでは、会社内で若い社員ほど少ない「少子高齢化」状況を企業内に作り出しているようなものだ。   

 

そうですね。   

 

>しかも、日本では家族的な組織文化を大切に守っている企業も多い。   

>定年延長になった60代前半の従業員のポストをそのままにしたり、再雇用者の賃金を大胆に抑制することを憚ったりする雰囲気が残っている。   

 

皆仲良くですね。姑息的ですね。      

 

>こうした取り組みは年配者のモチベーション維持には一定の効果を上げるが、一方で20代~30代の若い従業員の閉塞感を高める。   

>これまで以上にポスト待ちが長くなり、なかなか昇進できなくなるためだ。   

 

皆が上からの昇進を待ち望んでいますね。転職による自らの昇進を勝ち取る者がいない。   

 

>どの企業も総人件費を簡単には増やせないので、年功序列と定年延長がセットとなると必然的にすべての年代も賃金を抑え込まなければならなくなる。   

>これでは若い従業員の意欲は減退する一方だ。   

 

そうですね。‘求めよさらば与えられん’(何事もただ待つのではなく、自ら積極的に求める態度が必要であるということ)     

 

>生産性向上が望めなくなるどころか、転職者が増えるだろう。   

 

そうですね。若者の転職は生産性の向上につながるでしょうね。   

 

>年功序列・終身雇用の終焉   

>そうでなくとも、国内マーケットの縮小は産業の再編を促す。   

 

そうですね。現実は千変万化を繰り返していますからね。   

 

>激変の時代というのは新たなニーズが生まれやすく、企業同士の合併や連携の動きが強まりやすいからだ。   

>企業は戦略的に縮みながら成長分野へとシフトさせていかざるを得なくなるので、若者のみならず中高年にも雇用流動化が起きて終身雇用は終わりを迎える。  

 

そうですね。雇用の流動化がわが国の危機打開の突破口になりますね。   

 

>入社年次をことさら重視する年功序列は、勤続年数や年齢が高くなればなるほどスキルやノウハウ、経験が蓄積されることを前提としているが、そうした"常識"は崩壊する。   

>従業員1人あたりの労働生産性を向上させるために個々のスキルアップが求められるようになるのだから、当然の帰結だ。   

>スキルはこれまでのように長年の職場での経験によって身に付くものではなく、企業側の求めに応じたリスキリングによって身に付けるものへと変わるのだ。  

 

そうですね。   

 

>もはや年功序列は通用せず、企業が求めるスキルが高い従業員ほど昇進しやすく、担う「役割」に応じて報酬も高くなるようにするしかない。   

 

そうですね。実力主義ですね。      

 

>結果として、終身雇用も終わる。   

>逆に考えれば、重要ポストへの就任や多額の報酬を得たい人はスキルアップを図ればいいということである。  

 

そうですね。   

 

>それが社会全体に広がってくれば、年齢に関係なく能力を高め、あるいは身に付けた能力が衰えたり、陳腐化しないように努力し続けたりする人を増やすこととなる。   

>それは1人あたりの労働生産性の向上を促し、日本経済全体の底上げにつながっていく。   

 

そうですね。   

 

>みずほフィナンシャルグループは2024年度から年功序列型の人事・給与体系を実質的に廃止することを発表したが、メガバンクの影響は大きい。   

>追随する企業が増えそうだ。   

 

そうなると良いですね。   

 

 

 


神立尚紀氏  

2024-11-13 00:10:39 | 文化

>現代ビジネス   >「反対するものは、叩き切る」…「特攻を続ける」ことを決めた大西瀧治郎中将が放った「強烈なことば」   >神立尚紀 (カメラマン・ノンフィクション作家) の意見・   >13時間・   

>今年(2024年)は、太平洋戦争末期の昭和191944)年1025日、初めて敵艦に突入して以降、10ヵ月にわたり多くの若者を死に至らしめた「特攻」が始まってちょうど80年にあたる。   

>世界にも類例を見ない、正規軍による組織的かつ継続的な体当り攻撃はいかに採用され、実行されたのか。   

>その過程を振り返ると、そこには現代社会にも通じる危うい「何か」が浮かび上がってくる。   

 

そうですね。   

 

>戦後80年、関係者のほとんどが故人となったが、筆者の30年にわたる取材をもとに、日本海軍におけるフィリピン戦線での特攻と当事者たちの思いをシリーズで振り返る。   

>(第2シリーズ第1回)   

>未遂に終わったレイテ湾突入   

>昭和191025日、特攻隊が初めて敵艦への体当たりに成功した。   

>敵上陸部隊を砲撃するはずだった栗田艦隊によるレイテ湾突入が未遂に終わり、比島沖海戦は大敗に終わったが、フィリピンでの攻防戦は始まったばかりである。   

>関行男大尉以下、敷島隊突入の第一報が入って間もない午後2時、マニラの第一航空艦隊司令部2階の作戦室に、第一航空艦隊、第二航空艦隊の全幕僚と司令部要員が集合するよう命じられた。   

>門司親徳副官は、参謀たちが居並ぶ端に立った。   

>ほどなく、大西瀧治郎中将と福留繁中将が作戦室に入ってきてみんなの前に立ち、大西が口を開いた。   

>その話の趣旨は、「第一航空艦隊と第二航空艦隊は、ただいまから合体して、第一連合基地航空部隊(大鷲部隊)を編成する。   

>福留長官が指揮をとり、私は幕僚長となる。   

>皆はその意を体して、協力し合ってほしい」というものだった。   

>福留と大西は海軍兵学校が同期だが、海軍大学校を出た福留のほうが先任(海軍での序列が上)である。   

>「こういうときに、こだわることなく、さっさと幕僚長の位置に一歩下がって、必要な統合に踏み切るのは、いかにも大西流だと思いました」とは、門司の回想。   

>通常攻撃で見るべき戦果は皆無   

>実際問題として、兵力の消耗したこの二つの航空艦隊は、もはや名ばかりでその体をなしていなかった。   

>福留中将の二航艦は、この日も特攻ではなく大編隊による通常攻撃を企図して、第一次104機、第二次58機、その他30機、薄暮にものべ57機の攻撃隊を敵機動部隊に向け出撃させたが、見るべき戦果は皆無であった。   

>しかも薄暮には、栗田艦隊から、〈我を誤爆せる九九艦爆あり〉との電報が届く。   

>福留ももはや、通常攻撃へのこだわりを捨て、特攻隊を出すことに同意するしかなかった。   

>幕僚たちへの訓示を終えると、大西は、門司副官と、たまたま司令部に来ていた七六一空司令・前田孝成大佐をともなってクラークに戻った。   

>大西は、クラーク飛行場群の西端、ストッツェンベルグという集落にある七六一空本部に向かった。   

>もう、日はとっぷりと暮れて周囲は暗かった。   

>七六一空本部は、かつての米軍宿舎を接収したもので、2~30坪ほどのホールを士官室として使っている。   

>門司は知らなかったが、ここに一航艦、二航艦の全航空隊の、司令、飛行長、飛行隊長が集められていた。   

>その数、約40名。猪口参謀の姿も見えた。   

>大西が部屋に入ると、うす暗い電灯の下で、立ったままの指揮官たちが、大西を中心に遠巻きに囲んだ。   

>大西は、指揮官たちの顔を見まわすと、低いが力のある声で語り始めた。   

>その内容は、門司の記憶では以下のような趣旨のものであった。   

>「本日、第一航空艦隊と第二航空艦隊は合体して第一連合基地航空部隊が編成された。   

>長官は福留中将、私は幕僚長として長官を輔ける。   

>各隊ともそのつもりで協力してもらいたい。   

>知ってのとおり、本日、神風特別攻撃隊が体当りを決行し、大きな戦果を挙げた。   

>私は、日本が勝つ道はこれ以外にないと信ずるので、今後も特攻隊を続ける。   

>このことに批判は許さない。   

>反対するものは、叩き斬る」   

>声は低いが、強く、力のこもった言葉であった。   

>ホールに並んだ指揮官たちは、しんとして、一言も発するものはいなかった。   

 

日本人には意思がない。意思決定 (理性判断) には手をこまねいている。  

しかし、日本人には恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。だから、恣意決定 (盲目の判断) を使う。   

意思は未来時制の構文内容により表され、文になるから意味がある。だから議論の対象になる。より優れた意見の選ばれる可能性がある。  

恣意はバラバラな単語により表現され、文にならないから意味がない。従って、議論の対象にならない。問答無用である。これは極めて危険な判断である。

今でも、我々の言語事情は変わらない。   

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使のものよりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。     

 

>このときの大西の言葉については、異説もある。   

>この場に参加した攻撃第五飛行隊長(彗星)・大淵珪三大尉(戦後、本島自柳と改名)は、私のインタビューに対し、次のように述べている。   

>「大西中将は開口一番、『戦の帰趨は見えた』と言われたと記憶しています。   

>負けるということですよね、これは。   

>それで、『特攻作戦を私が採用したのは、日本海軍が最後の手まで使ったということを戦史に残したいからだ』と。   

>『隊長諸君にはいろいろと考えもあろうかと思うが、私の指揮下にある間、それに対して批判は許さない。   

>反対する者は軍令によって処断する』とおっしゃった。   

>異議はたてるな、ということですよ」   

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