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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

山川恭弘氏  

2024-11-25 21:24:32 | 文化

>現代ビジネス   >日本人が勤勉なんてのは大嘘?...「学び続けてこそ」の人生を学ばずに終わる日本人が “多すぎる” ワケ   >山川恭弘の意見・   >13時間・   

>近年注目が集まっているアントレプレナーシップ。   

>「起業家精神」と訳され、高い創造意欲とリスクを恐れぬ姿勢を特徴とするこの考え方は、起業を志す人々のみならず、刻一刻と変化する現代社会を生きるすべてのビジネスパーソンにとって有益な道標である。   

 

そうですね。   

 

>本連載では、米国の起業家教育ナンバーワン大学で現在も教鞭をとる著者が思考と経験を綴った『バブソン大学で教えている世界一のアントレプレナーシップ』(山川恭弘著)より抜粋して、ビジネスパーソンに”必携”の思考法をお届けする。   

>『バブソン大学で教えている世界一のアントレプレナーシップ』連載第65回   

>『「私が教えるのは”起業道”です」…米国教授が本当に伝えたい「真のアントレプレナーシップ」とは』より続く   

「学ばない」日本人   

>第四章で、現在日本で話題となっている「リスキリング」について、いまさらなにを?   

>ビジネスパーソンは「フォーエバー・スキリングだ」と述べました。   

>そう、学び続けてこその人生なのです。   

>ところが、ちょっと恐ろしい調査結果があります。   

>これは株式会社パーソル総合研究所が行った「グローバル就業実態・成長意識調査(2022年)」です。   

>世界18ヵ国(地域)で働く人の就業実態、成長意識を調査したものですが、その中に「学習・自己啓発に対する自己投資」に関する質問があります。   

>日本の場合、「何もしていないし、今後も自己投資する予定はない」が42%、「今は何もしていないが、これからするつもり」が18%となっています。   

>合わせると6割が、何もしていないのです。   

>これは、この調査の対象になった18の国と地域の中で最低の数値です。   

>平均値は「何もしていないし、今後も自己投資する予定はない」が116%、「今は何もしていないが、これからするつもり」が16%。インド、ベトナム、インドネシア、フィリピン、アメリカでは、すでに自己投資している人は8割を超えています。   

>日本だけが極端に「学ばない」のです。   

>一般的に日本人は勤勉だと言われます。   

>なのに、半分以上の人が学ばない。   

>これに違和感があると思っていると、知人がこんなことを言ったのです。   

>「まったく矛盾はない。   

>勤勉なのは目の前の仕事に真面目に取り組んでいるだけで、新しいことにチャレンジすることを意味しない。   

 

見栄と外聞ですね。   

 

>そのままでいいと思っている人は珍しくない」

>欧米と真逆の日本   

>さらにその人は、あくまでも仮説に過ぎないけれどと断った上で「仕事、働くことに目標を見いだせないのではないか」と言います。   

>その源泉は子供のころから親に「がんばって勉強しなさい。   

>いい高校、いい大学に入って、いい会社に就職しなさい」と言われていたからではないかというのです。   

>ある意味、多くの者が、会社に入った瞬間にまるでゴールしたかのような、夢を実現し終わったような満足感・達成感をもってしまう。   

 

そうですね。序列社会の習慣ですね。身分・格式の定まりですね。      

 

>たしかに日本人は勤勉にがんばって子ども時代から勉強をし続けます。   

OECDが世界の15歳児を対象に実施した学力調査では、調査が開始された2000年以来、日本は読解力で15位以内、数学リテラシーで一桁順位。科学リテラシーでは調査年のすべてで6位以内になっています。   

>学生のころは学んでいるのです。   

>しかし、その目的は「いい会社に入るため」なので、その先は学ばなくなる。   

 

そうですね。勉強はわが国では子供のするものですね。大人がしてもしょうがない。   

 

>大学だってそうです。   

>日本の大学は「入りにくく、卒業しやすい」と言われます。   

>欧米の大学は逆で、比較的入学しやすいが、在学中にサボるとあっという間にドロップ・アウトしてしまいます。   

>卒業するほうが難しいのです。   

 

そうですね。   

 

>企業も型通りの新人研修を受けさせたら、OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)という名の、教育とも言えない教育でお茶を濁します。   

>あるいは、お仕着せの管理職研修です。   

>数時間、あるいは何日か、研修を義務感で受講して、おしまい。   

>ひどい場合は、研修中でも顧客対応で抜け出します。   

>そんな環境で学びを進められる人は、よほどの強い意志があるとしかいいようがありません。   

 

そうですね。   

現実の内容は頭の外にある。だから、見ることができる。見ればわかる。Seeing is believing.

非現実の内容は見ることができない。それは考えの内容だからである。その内容は頭の中にある。考えを理解するためには文を文法に従って忠実に解釈する必要がある。  

非現実の内容は三つの世界に分かれている。過去・現在・未来とか前世・現世・来世とかである。それぞれの世界は文法の時制により異なる種類の文になっている。だから、内容が混じることが無い。これは考えの世界であって、考えは印欧語族の言葉の中にある。

日本語文法には時制がないので、考えの内容は日本人には作れない。だから、日本人は思考を停止している。考えの内容は、哲学と呼ばれている。考えから出て来る悩みは強烈である。だから病める魂の持ち主の為に救済を目的とした活動が宗教である。贖罪とか涅槃とか呼ばれるものが人を救う。だからキリスト教・回教・仏教は大きな宗教になった。 

宗教もそれ以外の考えも哲学である。思考を停止している日本人は宗教 (スコラ哲学・インド哲学) もそれ以外の哲学も消化できない。それは無理もないことである。哲学は修道院で発達し近代的な学問となった。   

日本の文化には形があって内容が無い。 形式があって理由がない。 儀式があって教義がない。この流儀で生活していると、生まれた時には宮参り、結婚式にはキリスト教会、死んだときには葬式仏教の厄介になる。良い気分・雰囲気を求めてやまない日本人の生活になる。   

リーズン (理性・理由・適当) があれば、非現実の内容は哲学になる。英米流の高等教育の成果が出る。それがなければ、意味も無い空想・妄想になる。無哲学・能天気のわが国は、お陰様で漫画・アニメの大国になりました。    

アドビシステムズ、マイクロソフト、グーグルというアメリカの3社のCEOはインド人だそうである。アメリカ人はインド人の頭の良さを認めての事に違いない。   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるでしょう。       

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。

「「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」 (中根千絵)    

 

日本人は氏名を正しく (?) 読むことができない。だから役所の書類にはフリガナ欄が設けてある。これをローマ字欄に換えるだけでも国語の改革になる。これは国の指導ですぐにでもできる国語改革である。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)