>現代ビジネス >大日本帝国は「神話国家」だった…日本人が意外と知らない「敗戦前の日本」を支配していた「虚構」の正体 >辻田真佐憲 (文筆家・近現代史研究者) の意見・ 7時間・
>神武天皇、教育勅語、万世一系、八紘一宇……。
>私たち日本人は、「戦前の日本」を知る上で重要なこれらの言葉を、どこまで理解できているでしょうか?
>右派は「美しい国」だと誇り、左派は「暗黒の時代」として恐れる。
>さまざまな見方がされる「戦前日本」の本当の姿を理解することは、日本人に必須の教養と言えます。
そうですね。
>歴史研究者・辻田真佐憲氏が、「戦前とは何だったのか?」をわかりやすく解説します。
>※本記事は辻田真佐憲『「戦前」の正体』(講談社現代新書、2023年)から抜粋・編集したものです。
>大日本帝国は「神話国家」
>では、戦前とはなんだったのか。
>本書は、神話と国威発揚との関係を通じて、戦前の正体に迫りたいと考えている。
>大日本帝国は、神話に基礎づけられ、神話に活力を与えられた神話国家だった。
>明治維新は「神武天皇の時代に戻れ」(神武創業)がスローガンだったし、大日本帝国憲法と教育勅語の文面は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の神勅を抜きに考えられないものだった。
>また、明治天皇の皇后(昭憲皇太后)は神功(じんぐう)皇后に、台湾で陣没した北白川宮能久(きたしらかわのみやよしひさ)親王は日本武尊(やまとたけるのみこと)に、日本軍将兵は古代の軍事氏族である大伴氏(天忍日命の子孫)になぞらえられていた。
>そして大東亜戦争(本書では歴史上の用語としてこれを用いる)で喧伝されたスローガンのひとつは、神武天皇が唱えたとされる八紘一宇だった。
>それ以外にも、国体、神国、皇室典範、万世一系、男系男子、天壌無窮の神勅、教育勅語、靖国神社、君が代、軍歌、唱歌など、戦前を語るうえで外せないキーワードはことごとく神話と関係している。
>もっとも、神話が重視されたといっても、大日本帝国政府が神社を縦横無尽に操り、プロパガンダをほしいままにしていたなどと主張するつもりはない。
>戦前の宗教政策は一貫性に欠け、おおよそ体系的なものではなかった。
そうですね。日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) がない。哲学は体系的な考えである。
>それでも、神話は戦前に大きな存在感をもっており、モニュメントやサブカルチャーなどで参照され続けたのである。
>いわゆる国家神道をめぐるこれまでの議論は、政府や軍部の動きにとらわれすぎていたのではないか。
>本書ではそのような「上からの統制」だけではなく「下からの参加」も視野に入れて、神話と国威発揚の結びつきを考えたい。
>いうなれば本書は、神話を通じて「教養としての戦前」を探る試みだ。
>そしてこの試みはまた、今後の日本をどのようなかたちにするべきか考えるヒントになることも目指している。
>戦前の物語を批判的に整理する
>そのため本書は、細かな事実をあげつらって、神話の利用を解体してそれで事足れりとする立場にも与しない。
>国家はなにがしかの国民の物語を必要とするからである。
>たしかに、国民国家は近代に成り立ったものであり、虚構にすぎないといえばそうだろう。
>だが、現在の国際秩序はその虚構をベースに動いているのであって、これを否定したところで無政府状態のカオスを招来するにすぎない。
>そもそも虚構というならば、人権も平等も皇室制度も貨幣も共産主義もすべて虚構である。
虚構が嫌なら無哲学・能天気になるしかない。
>そんなことをエビデンスやファクトなどのカタカナを振り回して、あらためて指摘しても意味がない。
>むしろわれわれが本当に考えるべきなのは、そのなかから適切な虚構を選び、それをよりよいものに鍛え上げていくことではないか。
そうですね。それには議論が必要ですね。
>戦後民主主義の永続・発展を望むにせよ、21世紀にふさわしい新しい国家像を描くにせよ、自分たちの立場を補強する物語を創出して、普及を図るしか道はない。
>このような試みが十分に行われていないから、戦前の物語がいつまでたってもきわめて中途半端なかたちで立ちあらわれてくるのだ。
そうですね。
TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。
孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)。(引用終り)
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、言葉 (ロゴス) について以下のように語っています。
、、、、、 母親が子供に「チャント・オッシャイ」という場合、明晰かつ透明 (英語ならクリヤー) に言えということでなく、発声・挙止・態度が模範通りであれ、ということである。だが、クリアーということは、原則的にいえば、その人間が頭脳の中に組み立てている言葉のことで、発声や態度、挙止とは全く関係ないのである。、、、、、日本では、「その言い方は何だ」「その態度は何だ」と、すぐそれが問題にされるが、言っている言葉 (ロゴス) そのものは言い方や態度に関係がない。従がって厳然たる口調と断固たる態度で言おうと寝ころがって言おうと言葉は同じだなどとは、だれも考えない。従って純然たる会話や演説の訓練はなく、その際の態度と語調と挙止だけの訓練となるから、強く訴えようとすれば「十字架委員長の金切声」という形にならざるをえない。(引用終り)
日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。
日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。
それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。
英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)
宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ている。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話である。
宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」(引用終り)
>「感染症」を終わらせるためには、怖い怖いと「自宅」に立てこもるのではなく、積極的に「ワクチン」を打たなければならない。
>そこで本書では、「原点回帰という罠」「特別な国という罠」「先祖より代々という罠」「世界最古という罠」「ネタがベタになるという罠」という5つの観点で、戦前の物語を批判的に整理することにした。
>批判的というのはあえて述べるまでもなく、物語にはひとびとを煽動・動員するリスクもあるからである。
>このような物語の構造を知っておくと、今日、軍事的な野心を隠さない他国、たとえばロシアや中国の動きを読み解くときにも役立つかもしれない。
>戦前的なものの再来は、なにも現代日本だけで起きるとは限らないのだから。
そうですね。
>また、北朝鮮の指導思想(金日成・金正日主義)と日本の国体思想はしばしば類似性を指摘されるけれども、その比較をたんなる印象論で終わらせないためには、国体思想の核心を正しく掴まなければならないだろう。
>もっと身近なところでは、神話の知識はときにサブカルチャー作品の読解にも役立ってくれる。
>昨年(2022年)公開された新海誠監督の『すずめの戸締まり』は、明らかに天の岩戸開き神話が元ネタのひとつになっているし、主人公の岩戸鈴芽が宮崎県と目される場所より船に乗り、あちこちに立ち寄りながら東に進むストーリーは、神武天皇の東征をほうふつとさせる。
>その意味するところは、しかし、神話を知らなければ掴みようがない。
>いずれにせよ本書は、過度な細分化で物語を全否定するのでもなく、かといってずさんな物語でひとびとを煽動・動員するのでもなく、両者のあいだの健全な中間を模索することで、目の前の現実に役立てることをめざしている。
>この目的のため、本書では、銅像や記念碑などの史跡も積極的に取り上げた。
>現地に足を運んで、歴史を五感で味わってもらいたいからだ。
>歴史を一部の専門家やオタクの専有物にせず、また右派や左派のイデオロギーの玩具とせず、ふたたび広く教養を求めるひとびとに開放してその血肉としてもらうこと。
>それが新しい時代のとば口に求められていることだと筆者は強く信じている。
(略)
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)