>産経新聞 >国連の皇室典範改正勧告、葛城奈海氏「削除」を求め反論書提出へ 会見で分担金見直しも訴え 3時間・
>「皇統を守る国民連合の会」の葛城奈海会長は25日、東京都内の日本記者クラブで記者会見し、国連の女性差別撤廃委員会が女性差別撤廃条約と「相いれない」として皇位継承を男系男子に限る皇室典範の改正を勧告したことについて、「一つの価値観を押し付けるのではなく、互いに尊重し合うことが重要だ」と述べ、反論する意見書を月内にも国連に提出する考えを明らかにした。
>葛城氏は「このような不当な干渉が続くなら、国連分担金の見直しや女性差別撤廃委員会脱退も視野に入れるべきではないか」と語った。
>「不当な内政干渉」
>葛城氏はスイス・ジュネーブで開かれた日本の女性政策を審査する同委に出席。
>非政府組織(NGO)関係者がスピーチする10月14日の会合で、「天皇は祭祀王だ。
>ローマ教皇やダライ・ラマ法王は男性なのに、国連は女性差別とはいわない。
>なぜ日本にだけそのように言うのか」と男系男子の尊重を求めていた。
女性の地位の低い日本の代表の言い分を良く表していますね。女性差別は苦しくない。
>葛城氏は会見で、国連憲章は各国の管轄権にある事項への干渉を否定していることを挙げて、「皇室典範への改正勧告は明らかな国内事項への干渉で、国連の自己矛盾だ」と指摘した。
>日本について「建国以来八紘一宇を理念としている。
>世界は一家、人類皆きょうだいを理想とし、和を尊んできた。
>八百万の神々が共存していることはその一つ」と述べた上で、「王位継承を含む、各国の伝統に基づく国家の基本をなす事項は主権ある当事国が決め、国連が口を出すべきではない」と、勧告の削除を求めた。
日本人には形式 (事実) があって内容 (考え・哲学) が無い。だから、内容 (女性差別撤廃) に考えを絞ることなく形式 (男系男子) に強く拘ることになる。それで改革に関する議論が進まない。日本民族は考えを疎かにする保守的な民族である。
>会見に同席した同会の中村敏幸理事も、勧告について「不当な内政干渉以外の何物でもなく言語道断だ」と語った。
>Tennoと訳した思い
>同委を巡っては、日本の左派・リベラルNGOが組織的に委員らに自分たちの主張を訴え続けており、中村氏は「80人以上の人が押しかけ、聞けば現地に事務所を構えているNGOもある。
>毎年のように大挙して、日本をおとしめるような活動をしている」と問題視した。
男女同権は日本を貶める考えですかね。
>日本の男女共同参画予算について、「間違っても予算がこうしたNGOに還流していることはないか。
>厳密に調査する必要がある」と語った。
>葛城氏も「左派の皆さんは、拡声器のように国連を利用して、自分たちの言っていることは正当な主張だと世の中が受け止めるようにうまくリードしていると感じた」と述べ、「われわれ保守の側も声を発しないと左派の意見が日本女性の総意であるかのように受け取られかねない」と危機感を募らせた。
>一方、10月17日の対日審査会では、キューバの委員が「天皇について宗教的な側面があることは理解する」とも発言したといい、「われわれの発言が効いたと思った。
天皇は日本人の序列信仰の対象ですね。天皇家は数ある家元制度の中の本家のようなもので、日本人の序列作法と帰属意識により支えられていますね。
>小さなロビー活動だったかもしれないが、対面で意思を伝えたことが、ある程度伝わった証と受け止めている」と語った。
>葛城氏は同委でスピーチした際、天皇の英訳について「King」でも「Emperor」でもなく、「The Tenno of Japan」とした。
天皇は序列制度の大元締めですね。
>「唯一無二の存在を伝えるため、日本語でありながら、世界の言葉であるようにしたいと思い、あえて『Tenno』と表現した。
日本語文法の階称 (hierarchy: 言葉遣い) に支えられた序列制度は世界でも唯一無二のものですかね。
>世界の平和を毎日祈っている中心の存在として、世界の人が認識できる言葉として広めたい」と語った。
>(奥原慎平)
マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。
‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’
指導を受ける時期というのはどこでもそうですが、日本人は新しい模範とか新しい考え方を受け入れやすかった。あそこでは、基本になる考えを植え付けることができます。日本人は、まだ生まれたばかりの、柔軟で、新しい考え方を受け入れることができる状態に近かったのです。(ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)
マ元帥の発言はどの駐日大使のものよりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。だが、日本人は彼が考えるような知恵遅れの民族ではない。日本語文法には時制 (tense) というものが無いのである。待てど暮らせど非現実を搭載する構文は日本人の脳裏には宿らない。知的な成長が見られないところが英米人の子供と違う所である。
日本人は思考を停止している。だから、無哲学で能天気の状態になっている。頭の中に非現実 (考え) の内容がない。だからことさら現実 (事実) に固執することになる。相手の理由を理解しない守旧派になっていて改革運動の妨げなっている。ただ目の前の内容 (現実) だけを信じている。形式 (現実) があって内容 (非現実) がない。この状態で割り切ることができれば、日本人の生活は円滑に進行する。生まれた時には宮参り、結婚式はキリスト教会、葬儀の時は仏式で済ませばよい。これがただ今行われている日本人の脳足りん生活である。
英米流の高等教育の目的は個人が考え (非現実) の内容を生み出すためにある。その考えの内容は文になり、論文として公表される。日本語は ‘写生画の言葉’ ともいわれ、非現実の内容を示さない。だから、わが国の高等教育の成果は上がらない。わが国の高等教育は使用言語を英語に改める必要がある。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。
国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。
「「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」 (中根千絵)
日本人は氏名を正しく (?) 読むことができない。だから役所の書類にはフリガナ欄が設けてある。これをローマ字欄に換えるだけでも国語の改革になる。これは国の指導ですぐにでもできる国語改革である。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。
'為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり' 上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにしない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。
何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)